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2022年5月12日 (木)

Sophism sonnet・69,11-05

プーチンとはプラトンで米欧はアリストテレスなのだ

Max150人のブログ読者はもう、読むというより観るのも秋田コマチ(安くて美味しいです)ではなく、厭きたかも知れないが、私自身はどうしても粘る資質なので、そう簡単にロ×ウ戦争を善悪や片方の妄想性疾患で論じ終わらせたくはナイのだ。で、むかしお世話になった『高校生のための欧州思想史』(のようなタイトルだったとおもうんだけどナ)の記憶を繙(ひもと)く。ここで安直に大統領の執務室にデカデカと飾ってある「ピョートル大帝」を持ち出さないのが、私流のやり方で、そんなことは巷の頭のイイ専門家がいくらでも指摘しているから、今更なあだからだ。ちなみに、神秘学をお好みなら、プーチンは古代ギリシャ語でΠούτιν.プラトンはΠλάτων.まあこれはサービス。問題なのは、この「世界」についての認識の仕方(思想)。先に何がここで云いたいのか述べておく。プーチンが観ている「世界(認識)」と米欧が観ている「世界(認識)」では、プラトンとアリストテレスとの世界認識とその観方に〈同じ差異〉が在るということ。
簡便にドグマチックに二人の差異を記すと、プラトンの場合、この世界は「イデア」という理想社会(天上の世界)と俗世界(私たちの住んでいる世界)に分けられている。従って、ひとは死ぬと卑俗な肉体はイデアへと上昇するので、その哲学は「死に方の哲学」とまでいわれている。つまり、プラトンにとっては、ほんとうの世界は「イデア」であって、此の世は醜い世界なのだ。ところが、プラトンの弟子だったアリストテレスは、このプラトンの世界認識を真っ向から批判する。「だって、此の世界で生きているのだから、この世の醜さは此の世の我々が変えるのが常道だろう」と、いまふうにいうなれば「無神論」的であり、その変化を促す方法は世界最初の「民主主義」だった。これが、後にキリスト教神学に取り入れられてスコラ哲学となるのだから、いやもう世界はややこしい。しかし、カトリックは神学とアリストテレス合理学の融合のおかげで、いまなおキリスト教世界に君臨しているといって過言ではナイ。
ハナシを現状具体にもどす。プーチンくんにとって、空を仰いで「イデア」を観るということは、かのいまは亡き「ソビエト社会主義共和国連邦」、「ソ連」の隆盛を観るということになる。それに反して米欧は、プーチンくんから観れば汚れた此の世(可感界というそうな)になる。なにしろ、それはプーチンくんの観測では烏合の民主国家だからナ。そうなるとプーチン=プラトンにしてみれば、此の世を「イデア=ソ連」の世界に創りなおす、此の世をアリストテレス世界から奪還するということが、最大の目的になるのだ。こういうことは、米欧の頭脳(というか思想、思考ではワカラナイというかおもいつかないだろうナ)。であるのに、汚れた此の世は、なんと、どんどん広がって(それも米国主導で)ロシアを呑み込もうという巨魁な大蛇になってきた。ここはこれを防ぐことが「唯一の選択(プーチン自身のコトバ)」なのはアタリマエなのだが、これもまた、EU、NATOにはワカラナイ。(スジは通っているのだけれど、まさかプラトン派思考とはナア)
先だっては、暴力団の「縄張り争い」的な理屈展開だったが、今回はちょっとacademicになっている。
次は(と、まだ拘泥するのだが)、カイヨワの『戦争論』を通読してから、ロ×ウ戦争を見物してみるつもりだ。

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