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2022年4月19日 (火)

Sophism sonnet・69,10-13

高みの見物・4

/朝早よ起きて~東の山みれば~猿のケツ真っ赤っか
一番星顔出して~西の空観れば~猿のケツ真っ赤っか/
これは作詞作曲もちろん不詳、幼い頃から高校生の頃まで私を乳母代わりにみてくれた文字も読めない(自身の名前は「慈雨(じう)」だったが、近隣からは「おじゅーさん」と称されていた)女性がよく口にしていた歌だ。
ロ×ウ戦争を高みの見物(とはいえあちこちリサーチ)しつつ、私の頭の中や口から出るのはこの歌だった。理由はワカラナイ。
ワカラナイ、ワカラナイと云いつつも、終わるとなんだか愉しいの、と、キャストもお客もそういいつつシス・カン公演の『奇蹟 miracle one- way ticket』は大阪で大千穐楽(千秋楽とも書くのだが「秋」の字には「火」が含まれるので、火事予防にこう書くのが正しい)。ともかく一週間の開演延期を乗り切って、めでたし、めでたし。(COVID-19陽性キャストが出ても「コロナと闘う」という阿呆なスローガンで公演を強行したところもあったそうだ)。
さて、ほんとにもうワカラナイのはロ×ウ戦争で、これはメディアの裏付けの希薄な垂れ流し報道の責任だとおもう。事は単純なのだ。しかし単純なものほど難解なものはナイ。私もあんまり長くこういう殺し合いに付き合っているのは鬱陶しい。明日は我が身という不確定要素もあるので幾つかいまの〈おもい〉をまとめておく。

〇戦争だけは〈絶対〉にやっちゃいけない。意味なく価値あるヒトがただの〈数〉となって死ぬからだ。昨日開店したばかりのケーキ屋や花屋が突如爆発炎上して、いっぺんに妻と子供を失った若い店の主人が呆然と立ちすくんでいることも多かったろう。しかし殺したほうと殺されたほうには面識ひとつナイ。こんな世界が存在してイイわけがナイ。
〇戦争は突然にヤってくる(ように私たちにはおもえる。ほんとうはジワジワと迫りくるカタストロフなのだけど)。戦争になったら「殺されるか」「逃げるか」「虜囚となるか」「闘うか」しか道はナイ。そうして「勝つ」か「引き分けるか」しなければ〈負け〉は最悪の情況でしかナイ。
〇私は名古屋に出てきてから50年、「演劇」という他愛のない闘いをヤってきたが、何をやるにせよ「ともかく引き分け」でヨシとしてきた。ロ×ウ戦争もそれがイチバン良いとおもっている。
〇此度のロ×ウ戦争は「核」がまさに〈核〉だった。そのためにNATOはロシアに動きを封じられた。アメリカはのっけから第三次大戦を防ぎつつギリギリの闘いを支援するという矛盾に苛まれた。つまり「核抑止力」が「核脅し力」として作動した。
〇ともかく日本も含めて、現在、世界は大戦ではナイとはいうものの、「戦時下」に入った。
〇特に驚くことではナイが、「核共有」を論議すべしという風潮は民意にも政治家にも評論家にも高まるにチガイナイ。「持ち込む」ことくらいはイイのではナイかと、そういうあやふやなところで、論議が収束するならば、それこそが「負け」なのだ。
〇「引き分け」の方法は二つある。「核脅し」に対しては「核抑止」ではなく「非核」による防衛で、「核」を無効化する手立ての考案と、新しいエネルギーの創出、殺し合うことなく、一人も犠牲者を出さず、泰然毅然と生きられることを求めるべきだ。そのような夢のようなideaはあるのか。
〇ロ×ウ戦争で驚くのは第一に宣戦布告もなく(ロシアは「戦争」とは述べていない。よって戦争法的には出鱈目に近い)。さらにそのパターンは1世紀前の戦闘に近似して、たまたまクラスター弾のようなものが出てくる程度の旧態戦争だ。サイバー戦は情報戦程度のもので、電子(電磁波)戦、無人ロボット戦、宇宙戦、次世代兵器といったこれからの戦争(兵器)はほぼ顔をみせていない。とどのつまりは非核ミサイルと戦車戦なのだ。

:この項、つづく 

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