Sophism sonnet・69,10-4
虎穴で人食い虎に勝つ方法
クラウゼヴィッツの『戦争論』は現在では旧論とされている(つまり現代戦とは差異が在り過ぎる)が、それはあくまで〈状況論〉のコンテンツにおいてであって、「戦争は政治(外交)の延長にある」という〈本質論〉は依然として正しい。
ところで現状は、私たちは戦禍という「虎穴」に放り込まれて成す術がナイ。ただ、情況に甘んじてはいられない、という焦燥の不快な煙に包まれて悪寒に苛まれているだけだ。私は愛や孤独を感受する能力はまったく会得出来ていないが、反抗と悲哀の能力は〈同化〉を通して憎悪と虚無にまで増幅している。
さて、フランスのマクロン大統領と、極右派のルペン代表との支持率のポイントがたったの1ポイントになった。この時期、もし極右派のルペン氏が大統領になったりすると、EUにとってもNATOにとってもブラック・ホールが出現することになる。ひょっとするとウクライナ避難民は追い出され、ロシア・モスクワは即座に戦術核の攻撃にさらされるかも知れない。こういう混沌と錯綜がおててつないで闊歩しているような状況では、どこの国民でも「云うことだけは勇ましい」指導者、ハーメルンの笛吹のような先導者を求めるものだ。
マクロン大統領はプーチンと数回クレムリンで戦時中会談を実施している。あのアリスの遊園地にありそうな長いテーブルの端と端で話し合っているが、いつもいわゆる物別れに終わっている。のではあるが、オモシロイ言辞をプーチンから引き出してもいる。これはマクロン大統領の力量というより、偶然に近い出来事だが、いつものように「停戦を」というマクロンに対してプーチンは「未だ期が熟していない」と応えたことが一度ある。このコトバからすると、プーチンは此度の戦争(特別軍事作戦)のゴールをある程度は決めているということだ。コトバを変えれば無駄に長期戦にするつもりはナイということだ。もう一つ二つ私の脳裏に残っているプーチンの思考、コトバ、生きざまにおいてだが、彼はカー・ゲー・ベー(КГБ)在任の折、ソ連の崩壊とともに職を追われたのだが、その後諜報機関には見切りをつけた。彼を知るものからは「彼は二流だった」と称されているが、彼自身も不向きであると判断して政治を目指した。そうして見事、大統領になった。スターリンのときと同様に「なり手」がいなかったのだ。スターリンも単なる田舎者で、「こいつなら神輿として担げるだろう」とかんがえたソ連指導部を次々粛清して(その数1000万~2000万ともいわれている)一国社会主義の盟主となった。
プーチンのもう一つは「柔道」だ。「何故、柔道を選ばれたのですか」という質問に「あのスポーツは相手に隙が出来るのを待って技をしかけることが出来、辛抱すれば勝てるチャンスがやってくる」と応えている。これを逆に観れば、東京ドームの数倍の敷地に建てられたプーチン城など単に「敵に隙をみせている」だけなのかも知れない。
プーチンは虎だろう。人食い虎だろう。人食い虎の虎穴に落ちて、虎に勝つ方法はたったひとつしかナイ。その方法がプーチンに通用するかしないか。臥薪して嘗胆するのも戦略だとはおもうが、時の趨勢はプーチンに有利にしか動いていない。(世論など戦争においては殆ど意味なんかナイのだ)。そこで、臥薪、かつ嘗胆。つまり如何に我が身を食わせるか。その方法、身の施しの方法が見つけ出せるのか、ゼレンスキー、NATOの織田信長戦術に、徳川家康の兵法が可能なのかどうか。案外、その辺りに此度の戦の明暗がありそうな気がする。
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