無料ブログはココログ
フォト

« Sophism sonnet・69,10-7 | トップページ | Sophism sonnet・69,10-9 »

2022年4月14日 (木)

Sophism sonnet・69,10-8

曇天の辟易

フランスの大統領決戦投票を前にして、マクロン現職に対してルペン氏は「大統領になったら、NATOをやめちゃう」という公約を発表した。マクロン現職との差は2ポイントで極めて接戦、微妙なところで、そこにきてこれだから青天の霹靂のまったく反対となる。この公約にはオマケがついている。「そのアトでロシアと和平協定(条約だったかも知れないが同じことだ)を結ぶ」つまり事実上の降参だ。
で、そうなると(ルペン勝利となると)どうなるか。ロシアはすぐにでも和平条約でも協定でも結ぶだろう。これがあながち虚偽ではナイ。これは和平ではなく「軍事条約」だからだ。よって同じことだと書いた。NATOはロシアと脱フランスとに挟まれた状態になる。ルペン氏は極右なので、ロシアと「ご一緒」してじわじわと欧州制覇を狙う。中華にはアジアと中東はくれてやるから、中華とはロシアと脱フランスで欧州帝国として友好条約を結ぶ。まるでアレキサンダー大王の広大な領土か、ローマ帝国の再来だ。今後の世界史地図が変わる。
私は冷戦時代、『ザ・シェルター』という家庭用シェルターをsituationにした戯曲を書き、上演された。ところで、このとき私はほんとうにそんなものがあるとは知らなかった。稽古の最中に(私は兼演出)新聞の記事をプロデューサーがみせてくれて驚いた。そのシェルターに避難した家族はどんな気持ちで出入り口の蓋を開けるのだろう、とおもったことだけは記憶にある。瓦礫になった街に風が灰とともに吹いている。生き残ってさてどうすればいいのか。
ウクライナには殆どの家にシェルターがある。また地下鉄は、いうなれば小ぶりの地下街になっている。人々は夜、そこに避難して毛布にくるまり、朝、まだ食料の残っているマーケットに買い物に行く。それも長くは続かない。核戦争は数時間で終わるが、ロシアとの戦闘はこれからまだ続く。もし、ロシアが負けるなんてことがあったら、プーチンは最後のカード「死の手」を切る。けっきょく同じだ。 
こうなると、毎日が処刑を待つ死刑囚と同じになってくる。毎度の飯をありがたく食べるしか出来ることがナイと私が書いたのはそういうことだ。ならば、維新の会の事実上のbossである橋本のいうように「早いところ負けろ」がいいのか。戦争というものは絶対にヤルものではナイ(プーチンはそれを簡単にヤってしまっかたが)。しかしヤルとなったら勝つか分けるかしなければならない。ウクライナの市民、兵士が白旗を挙げる。みんな揃ってシベリア直行だ。日本は前述したように戦術核でカタがつく。小型、中型戦術核といえど、ヒロシマ、ナガサキと同じ破壊力は持っている。
私は先に逝った盟友、知己の遺品や写真を夜毎みつめる。そこに奇妙な優越感の存在というものを感じる。核戦争だろうが、心不全だろうが、どうしたってヒトは死ぬのだが、ヒトの「死」には生物学的必然の理由がある。大絶滅の防止だ。キリスト教には復活というものがあって火葬はしない。しかし、それもままならぬだろう。要するに「火葬」される手間だけが省かれる。
きょう、鍼灸師のところで、三週間に一回の鍼を打ってもらった。鍼灸師は、いつものように私の手首の脈をとりながら「あなたの脈は強いんです。元気な証拠ともいえますが、いつも何かかんがえごとをしてらっしゃいますね」。確かにそいつは私の思考癖というものだ。「虎に我が身を食わせる方法」そればかりをかんがえている。アルバイトのレジのお嬢さんのことをかんがえることもあるけれど。マスカラが濃いなあとか。これは私がスケベだからで思考癖とは関係ナイ
朝、青空を観るのが好きだ。きょうも生きて目を覚ましたな、とおもいつつ。

« Sophism sonnet・69,10-7 | トップページ | Sophism sonnet・69,10-9 »

暮らし」カテゴリの記事