Sophism sonnet・69,9-03
核戦争というものはない
「核戦争」という語彙には矛盾が含まれている。「戦争」には勝利者と敗者が在る。核戦争にはこれが無い。およそ「戦術核」だけで終了する戦争などあり得ない。たとえば、日本、私の住処の名古屋、ここは小牧基地にICBM(大陸間弾道弾)が飛来するとする。一発のミサイルでヒロシマ原爆の16倍の威力がある。これが日本に何発打ち込まれるのかは不明だ。その場は地下鉄や地下に逃げおおせても一旦空中に吹き上げられた放射能はゆっくりと地上に降り注ぐ。核の冬が始まる。太平洋上にでも避難しない限り、惨事は免れない。熱波でまず最初の犠牲者は蒸発する。次は炭素化する。さらに風速100m以上の風力で、建築物はことごとく瓦解する。地下に逃げ込めたものは蒸し焼きになる。なんとかその場を生き延びたものも被爆する。東京だとほぼ瞬時に犠牲者は1000万人に及ぶ。
日本全国において500~1000人の生存者が残り数年を生き抜いて、さらにその子孫の100人が生き残って、向こう5年のあいだに世界中で、人類の生存者数はほぼ5000人足らずとなる。これがもっとも/楽観的/なシナリオだ。
核戦争は戦争では無い。強いて名付けるならば、「核殲滅」だ。
核戦争にせよ交通事故にせよ、パンデミックにせよ、ヒトは必ず死ぬのだから、私は核殲滅に対しての恐怖感は無い。
ただ、いままでの何も彼もが、そうしてこれからの未来が消滅してしまうことに、どこに向けていいのか、憤りと哀しみだけは極めて強く感じる。
地球は全宇宙で高度生命体の生存している唯一の天体だ。10億~30億年後には太陽の膨張で消えてなくなるのだから、いずれは消滅する。
弥勒もイエスも何も彼もなくなった「空(くう)」にやって来て、ただ呆感とすることだろう。その顔がみられないのは残念だ。
:それぞれの国(米・露・中・欧州)に準備されている関係者シェルター生存者は勘定にいれていない。場所や入居人数、入居年数は明らかにされていない。
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