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2022年3月

2022年3月30日 (水)

Sophism sonnet・69,9-10

そして、宇宙へ

「核抑止論」という論理、戦争の理論があった。それをロシアのプーチンは私がよく使う「アリストテレスからハイデガーへ」と同様に「核脅し論」へと引っ繰り返した。二十一世紀屈指の策略家、政治家と歴史に残ってもおかしくはない。まさに「コロンブスの玉子」だ。
「核抑止論」というのは、全面核戦争に勝利者はいないという戦争抑止策で、数ある「戦争論」の一種だ。北朝鮮をはじめ、世界のあちこちの小国までもが「核」を持ち始め「核拡散防止条約」などあって無きものとなった。
しかし、どうしてそれだけ「核」を持ちたがるのかというと、これは至極簡単なことで、通常兵力(軍事力)においてはアメリカと比肩する国家は皆無だから、という答えしかナイのだ。通常軍事力ではロシアと中国が同盟しても、アメリカの国家軍事予算や軍事力そのものには太刀打ち出来ない。北朝鮮の前国家主席、将軍様、金日成が息子に遺したコトバ「核だけは棄てるな。核だけがアメリカとの交渉力だ」は命題そのものとしては正しい。
私がまだ少年(ガキ)の頃、核は爆撃機搭載だった。つまり、引き返せる確率があったのだ。(『未知への飛行/フェイル・セイフ』というヘンリー・フォンダ主演の名作映画がある)。それが、ICBMの登場で、核発射は大統領からの指令を二名の米兵が受け取り、それぞれkeyを回し、それぞれがボタン(あるいはスイッチ)をいれなければ機動しないということになった。ともかくそうしたら世界は壊滅する。Keyとボタン、それを前にして二名の米兵は大統領命令が遂行出来るか。この二名は毎日交替する。一日だけの勤務である。かつ一週間に一度精神科カウンセラーからカウンセリングを受ける。なにしろ世界壊滅なのだから。その精神状態や、ジェットコースターの比ではナイ。死刑執行を待つ死刑囚より辛い。ほんとうにこのようなpressureの極みのような任務が可能だろうか。そこで、アメリカは少なくとも数回実験を試みた。「これは演習ではナイ」という警告で、実際に兵士が命令に従うかどうか試してみたのだ。
結果は、一度も成功しなかった。世界壊滅のボタンなど押せるワケがナイ。さらに、命令を出す大統領がまともかどうかも不明確だ。あんさん、トランプみたいなのもおりますねんで。あるいは、大統領入院中ということもある。意識不明ということも。9:11のとき、ブッシュはうんと田舎の小学校を訪問して子供に絵本を読んであげてはった。このとき、補佐官が大統領に耳打ちする。ブッシュがfreezeする。この映像は残っている。さて、そういうときは、副大統領が、その副大統領がテロで狙撃されていたら、次は〇〇と順番は決まっているのだが、あいにくICBMはロシアから北アメリカまで20~30分で到達する。順繰りでは間に合わない。かくしてsuper computerの出番となる。発射された飛翔物体の炎の色を宇宙衛星がスパコンに通信、スパコンが識別、報復発射判断、発射。これがおよそ20~30秒。
にしても、世界壊滅に変化はナイ。
何か防御兵器は出来ないか。最初にかんがえられたのがMADと称されるもので、核ミサイル(ICBM)が成層圏から着地点に向けて出た瞬間を狙って(スピードが落ちるので)核ミサイルで迎え撃つという方法だった。これは都市破壊そのものは免れるが、放射能の拡散放射で、けっきょく人類は死滅するということで、研究の段階で取りやめになった。そこで、登場するのがこのブログでも先述したレーガン大統領のスターウォーズ計画だ。これは太平洋上、ICBMがまだ成層圏を飛行しているときに、宇宙衛星からレーザービームでこれを撃ち落とすというもので、かなり本気に研究開発がされ始めた。しかし、レーザービームは照射時間がかかり、その電力も膨大で、電源を太陽光発電では賄えないということで、頓挫した。頓挫はしたが、このスタウオ計画の骨子は、まったく白紙になったワケではナイ。ここからアメリカの宇宙開発は超スピードで邁進する。アメリカの宇宙開発は平和目的(だけでは)ナイのよ。
「核抑止論」はやがて過去の戦争理論となっていく。「そして、宇宙へ」と戦場は宇宙へ、電子へと移ることになる。もちろん、地上戦が無くなったワケではナイ。ガラっと様変わりして、分隊から始まり小隊、中隊→→→師団という此度ロシアがウクライナに仕掛けた侵攻のごとく、第二次大戦のような軍隊体制はなくなりつつある。兵士は指揮官の指揮で動くのではなく、ほぼ個別に衛星受信された情報で動く。此度のウクライナはそれに順当する情報戦で数少ない兵士が、大軍のロシア兵と同等に闘いこれを破ることが出来た。
現状でresearch出来る限りの(なにしろ軍事機密が多いから)情報から「そして、宇宙ヘ」の闘いを想像していくことにする。

つづく。

Sophism sonnet・69,9-09

ばち、あたったんや

多い日には週四日通院というのがある。
で、とある、個人病院の待合でのことだ。ここは少なくとも第二次QQ指定病院なので、公共ほど大きくはナイが待合も広い。私はたいてい朝イチバンに出向く。それがもっとも衛生的だとかんがえてのことだ。ところで、その日はたまにあるのだが、二番手だった。娘さん(といっても五十がらみだが)に付き添われた車椅子の老婆がいた。関西のひとらしい。
「ばち、や。ばち、あたったんやで」
「お母さん、なんやの、なんで罰があたるの」
「プーチャンもな、ゼレンスケもな、どっちも悪もんいうたら悪もんやねんで。プーチャンはそら悪いわ。ぎょうさんの世間の人を殺しとるんやからな。せやけんどな、ゼレンスケもな、国民に銃を持たせてみなで闘え、逃げたらアカンいうのはな、そらあんた、むかしのニッポンの本土決戦とおんなじやで」
「そやけんど、ロシアのいうこと聞いてたら、みんなけっきょく殺されるやないの。プーチンのいうてることなんかみんなウソやで」
「アホかあんた、これだけはおぼえとき。政治みたいなもんはもうみんなウソや。日本人はな戦争してそれだけは賢うなったんや」
「でも、ロシアは核兵器使う、いうてるんやで」
「原爆かいな。そんなもんむかしアメリカが日本に使いよったがな。二発もや。アメリカみたいなもん、けっきょく、インデアンみな追い出して占領してでけた国やないか。どこの国が正しいてどこが悪やて、みな、悪ばっかりやねんで。そやからな、神さんと仏さんがわしらに、ばちアテてはんねん。わしはもう九十近いさけ、いつ死んでもええ。そやけど、若いもんがなあ、年寄りが始めた戦争で死ぬのは、ばち、は、バチでも哀しいばちやな」
「そんなこというたら、ウクライナに申し訳ナイわ」
「ほんまに、あんたアホやな。自民党みたいなもん、ウクライナ応援で今度の選挙は大勝ちやで。それが政治や。日本も悪や。ばち、アタッテあたりまえや」
 いわれてみれば、そうかもしれない。バイデンは次第に感情的になってきている。ブリンケンだけが苦労しているようだしな。ついついこっちもゼレンスキーの国会演説にはトキメいたが、いってみれば、いつの間にか日本はアジアのリーダーにされている(煽てられている)というのも出来すぎだしな。こちとら次の芝居(舞台)がやりたいだけのことで和平や停戦協定合意を望んでいるだけだしな。悪だな。ばち、あたるワナ。
ばち、あたったんやナ


2022年3月25日 (金)

Sophism sonnet・69,9-08

で、日本はどうなる

こいつはウッカリというのだろう。ウクライナの方ばかり観ていたので、アジア、とりわけ日本について(具体的にいうと戦時の現在について)目を向けるのをthroughしていた。
北朝鮮、餓死者死屍累々を乗り越えて、全力を尽くしてのアメリカ本土全域を射程出来るICBMの完成。いろんな夢があるもんですな。大量殺戮兵器の完成に歓声があがっていることでしょう。とはいえ、こいつは北朝鮮にとっては、無理心中兵器。問題なのは短距離ミサイル。Questionマークがつくのは、それ、何処へ撃つの、でしょうけど、おそらくNATOとロシアとが戦闘せざるを得ないとなれば、ロシアとの協定(だかなんだか、なんでもイイのですが)ロシアからの戦術核は日本に届きませんから、核弾頭をつけなくとも、北挑戦のミサイルは日本の米軍基地施設に撃ち込まれるでしょう。これはこれでロシアとの共同戦線。ロシアは北方領土に軍を集結させて、北海道占領(解放というふうにいうでしょうけど)を威嚇。北のミサイルは青函トンネルを爆破。
そうはうまくいかないでしょう(ロシアにとってウクライナとの二正面攻略は無理)。私、専門家ではありませんが、ロシアのウクライナ侵攻が開始されたとき、日本は自衛隊の北海道方面軍は北方領土を占領すべく(ような、でいいんですが)態勢をとったほうがイイと書いたんだけどなあ。まあ、それは政治的にロシアを刺激(というか口実を与える)ことになるので、出来やしねえでしょうけど。戦術的にはマチガッテません。
昨今はクラウゼヴィッツが述べたよう「戦争は政治(外交)の延長である」(戦争論)ではなく、これが逆になっています。つまり「戦争の延長」にしか外交(いわゆる和平交渉)が出来ない。ロシアがキエフを攻略出来なくて、一部撤退まで始めているのは、兵站の問題が大きいでしょう(あるいは、COVID-19が関係しているかも知れない)。中国に対して援助を求めているのは軍事(武器)ではなく兵站、軍資金援助。「兵站を制するものが戦争の勝負を制する」は、別に孫子の兵法ではありません(あるかも知れませんが)。「攻撃は最大の防御である」は囲碁の格言で、どんな兵法書にも出てきません。「兵站」については『幼女戦記』を読めばよくワカル。自衛隊の隊員は『空母いぶき』とともにみなさん読んでます。つまりロシアは侵攻が難儀になってきたので、地上戦は一旦引っ込めて、遠方からのミサイル攻撃に変更。ともかくロシアの戦死者が多すぎる。それ以上にウクライナ民間人の死者も多い。だからともかく殺しまくってゼレンスキーが折れるのを待つという持久戦にいっとき切り換え。しかし欧米、ウクライナにとって運が良かったのは、極超音速ミサイルの命中精度が良くないということ。けっきょく一発は撃ってみたが、畑の中に落ちたようです(もちろん、ロシアはそんなふうには報道していませんが)。それ以降は使っていない。こいつはアメリカ援助武器でも撃ち落とせないですから。
日本は、インフレがひしひし進んでいます。いま1$が120円以上している。日本は食料の自給が三割だというのは、あれは計算の仕方によっていろいろです。だいたいで6~7割じゃナイですかね。みなさん、シティハウスなんか建てるのがブームですが、農地に転用となるのか、また買い出しとかになるのか。中華帝国はロシア侵攻前に世界中の小麦を爆買いした。たぶんロシア侵攻を知っていたというより「読んで」いたんでしょう。なにしろ食わせなきゃいけない国民が莫大だから。
昨日はNATOとEUの会議がありましたが、メディア向けに発表されたものは予想どおりで、ああいうものは、新聞と同じで書かれていることは真実味は少ない。紙を剥がさないと真実は見えない聞こえない。あれだけ雁首揃えたんですから、かなり緻密なことが決められているはずです。

:もはや、演劇に何が出来るか、なんていえる情況ではナイ。そも演劇が出来るのかという様相です。「日本も戦争に巻き込まれるのじゃないの」などと、呑気なことをいっているひとがいますが、およそ大衆てのはそこいらあたりだとおもいます。物価のことだけは心配している。現状が日本も「戦時下」だということには目を覚まさないといけません。日本も私たちもすでに現状戦争の中の一つのコンテンツです。

:でも、アト3年、いや贅沢はいわないから2年は舞台やりてえな。その不・可についてはここ2~3ヶ月のあいだに、シナリオが世界に提示されるでしょうけど。それ以上のことは私にはワカリマセン。


2022年3月22日 (火)

Sophism sonnet・69,9-07

地対空から空対地、空対空へ

「マイクロ波によって反応器空間(反応場)につくられる電界」簡単にいえば、電子レンジと同じ原理。これが兵器にならないだろうか。数年前、ダム設計技師の知己と、ICBMを超える兵器はナイのかと雑談をしていたことがあって、無いなら「無化」させる方法はないかということになり、二人考え出したのが、マイクロウェーブを用いた「電子戦」で、このときは空想の世界だったが、こいつがいまや現実のものになっている。
かつて対ICBMは地対空で、これは現在でもイージス艦や地上パトリオットなどがあるにはあるが、レーガン時代はMADと呼ばれる宙空で核ミサイルによる敵ミサイル攻撃もかんがえられたことはあった。しかし、これは後の放射能被害が大きすぎるということで、断絶、その後、レールガンや、スターウォーズ計画に移行するのだが、レールガンは電力が大きく電源が難しい。スターウォーズ計画は銭がかかりすぎる。しかし、その名残というか、ICBMや制御基地攻撃の次世代兵器として登場してきたのがマイクロ波だ。
この兵器は「CHAMP」と呼ばれ、電子レンジなどに使われるマイクロ波を利用。空中発射巡航ミサイルに搭載して、ステルス爆撃機(戦闘機)から発射する空対空の防御システムだ。CHAMPを使えば敵側の人命を失うことなく攻撃を実行できる。 敵地の領空に低い高度で撃ち込むと、強力な電磁波を放出し、敵の電子制御システムを妨害する。(2017.12.08・アメリカテレビ放送)。
つまり、地対空から空対空、空対地までICBM防御(戦略核防衛)は進んできた。極超音速核弾頭ミサイルの速度がマッハ5~10だとしても、先日のウクライナでの実戦ニュースのように命中精度にはかなりの難がありそうだ。ところが、マイクロウェーブは防御専門とすれば、電子だから光速ということになる。レーザーよりも照射時間が短くてすむ。防戦に限るというのは、空対地の攻撃兵器に転用すると人体に被害が及ぶという報告がフェイクなのかまだ不明ではあるが存在するのと、ICBM制御基地は殆ど地下に設営されているため、ここは空対空がもっとも望ましいとおもえるからだ。つまり、ICBMを撃ち落とす、というより制御不能にしてしまう、ということだ。これで、核ボタンによる恐怖からはおおよそ解放される可能性が大きい。とはいえ、これで核への畏怖がなくなったワケではなく、プーチンのように「核戦争は限定核、戦略核でヤレル」、つまり勝者があるという妄信から、戦術核の地上戦、空対地が行われる危険は充分残っている。
海中では原潜のセカンド・ストライク防御のための攻防が在り、地上では戦術核の戦闘がある。マイクロ波の防御をくぐったミサイルは遠慮なく都市を惨状に変える。何れにせよ次世代戦術核戦争は「電子戦」となることはマチガイない。

:日本においては、陸上自衛隊第1電子隊(JGSDF 1st Electric Warfare Unit)が、北海道千歳市の東千歳駐屯地に駐屯する。北部方面隊直轄の通信科部隊で、電子戦のうち通信電子情報活動及び通信電子攻撃を主要な任務とする。

:どうもヤルとなると、拘る質なので、この辺りまでをresearchしてみたが、戦略核戦争回避の糸口がみつけたかったのだ。どうやらなんとかそれは成ったようだが、ともあれ、ロシアとNATOが対戦ということになれば、世界大戦となることはいうまでもなく、戦術核による限定核戦争となるのはプーチン侵略戦争の性格からしてマチガイナイ。極超音速ミサイルの命中精度の低さには少々安心したけれど。
現状、世界の軍事力第五位の日本、通常兵器ではまだけっこうなものだ。「核共有」などという阿呆にのせられないように。

:ウクライナへの義援金は、「ユニセフ」か「国境なき医師団」が確実に民間援助となる。義援金が兵器に変わっては意味がナイ。

2022年3月20日 (日)

Sophism sonnet・69,9-06

戦略program

ウクライナ侵攻で手詰まりのロシアとNATOとの戦闘は、NATOのウクライナ援助の多寡に関わらず、ロシアの一方的な情報広報(つまりこの戦争が欧米からの解放だ)によって、ウクライナが降伏(ロシアは停戦、解放と称している)しない限り、始まるとかんがえたほうが現実的だ。非軍事、中立が条件とロシアはいうが、傀儡政権が立てられるのはアタリマエのことで、しばらくはウクライナのレジスタンスが続くことになる。少しはmoratoriumが訪れる。プーチンの命令した核戦争準備態勢というのは、ロシアの核戦争実施方針における、「まず一発」で、何処かの小都市に一発落としてその惨状をみせ、相手方に降伏を迫ることだ。しかし、もちろん、NATOは核で報復反撃する。この辺りまでがmoratoriumでしょう。
そこで、9-05でも述べたように、核ミサイル搭載の極超音速ミサイル「キンジャル」との限定核戦争と戦略が移行するのだが、全面戦争に備えて戦略的には、まずセカンド・ストライクである原潜どうしの破壊戦闘が始まる。各国の原潜が海中で何をしているのかというと、追っかけっこをして敵原潜の位置を見失わないようにしているだけだ。このポラリスタイプの原潜を破壊しておかないことには、地上のICBM基地を叩いても意味がナイ。
ロシアのICBMはおよそ6600で世界一多いが、発射基地では米国のほうが多い。6600発を一度に撃てるワケがナイので、海中で原潜が闘っていると同時に、発射基地(現在はサイロタイプは少なく、移動タイプが多い)をステルス爆撃機で叩くことになる。ともかく、ICBMは20~30分で米本土に飛来するので、発射の際の炎の情況からスパコンが核ミサイルを判別、自動的に報復ミサイルを発射することになっているが、これは全面核戦争の場合だけで、限定核戦争の場合、ともかく把握しているだけの移動基地を叩く。まさに核戦争は限定、戦術核であるにせよ、電撃戦なのだ。何故なら少しでも敵ミサイルの発射数を減らして、防御、自国の損害を最少にしなくてはならないから。
戦術核極超音速ミサイル「キンジャル」が飛び交っているとき、プーチンは核シェルターに側近と愛人の新体操の方と避難、そこからmissionを出す。モグラのように、そこで何年愛の暮らしがあるのか知らないが、戦術核による放射能汚染が地上から無くなる日は遠い。願わくは愛人の腹の上でmissionを出す前に文字通り腹上死してくれるのが、私たちにとってはイチバンありがたい。
世界のどの都市、基地が攻撃から免れて、幾つ遺るのか(残るではなく遺るだろうな)ワカラナイが、どのみち核の冬で、そのアトどうなるかは先だって書いた。
災害、疫病、戦争、三拍子揃った滅亡の日々。
私はあたかも、カミュの『ペスト』、サドの『悪徳の栄』の世界の如くに、七十歳まで生きることが出来て運が良かったなと本日の晩餐の味噌汁をありがたく戴きつつ、書きかけの小説のつづきを書く。きょう、私に出来ることはそれくらいだナ。明日や三日後、一週間後、一ヶ月後があったとしてもそんなmoratoriumを生き残るしか、無い。有終の美というのがあれば、イイナアなんておもいつつ。

:悪運はかなり強いので、無信心な私としては、私の悪運に全世界のチップをベットする。

Sophism sonnet・69,9-05

戦術核戦争の変貌

地域的な戦術核戦争は段階的に戦略核戦争となって、ICBMによる世界壊滅、人類滅亡となるchartは、少々書き換えられた様相だ。
プーチンは、ウクライナ侵攻当初から「核戦争に勝者なし」を口にするやら戦陣の核態勢の指令やらを出して、威嚇を繰り返していたが、最近その口調が変わってきた。「世界大戦になれば核壊滅だ」のアトに「それはないと思うが・・・」と、自身で付け加えているのが最近の論説に見受けられる。これは、多少穿った受け取り方かも知れないが、たぶんプーチンの頭の中の妄想は「戦術核で勝てる」に変わってきている。つまりICBMを必要としない核戦争、戦術核戦争でNATOに勝てるという妄信がチラついている。
その証左となるのが、イワーノ・フランキーウシク州の地下軍事施設を破壊したと発表された極超音速ミサイル「キンジャル」の実戦使用だ。この極超音速ミサイルは射程2000㎞の空対地ミサイルで、戦闘機発射タイプだが、核ミサイルも搭載出来る。なにしろマッハ5のスピードだから、パトリオットのような地対空防御は間に合わない。対応出来る防衛システムとしてはレールガンがあり実戦配備段階だと聞くが、命中精度は未だ不明、かなりの電気エネルギーを消費するので電源の問題がある。アトはお馴染みのレーザー照射だが、実験では駆逐艦からの洋上標的を破壊した実績はあるが、実戦配備されるのかどうかは専門家ではナイ私にはワカラナイ。
以上の観点からいって、今後、戦術核戦争にウクライナ侵攻戦略が移行した場合、つまりNATOとの戦闘が始まった場合、極超音速ミサイル「キンジャル」が使用されることはマチガイナイ。つまりプーチンはこう云いたいのだろう「核戦争は限定核によって行われ、露西亜はそれに勝利する」
さまざまな戦略専門家、ロシア軍事専門家が指摘しているように、ロシアの当初のキエフ攻略電撃戦が失敗したことは、これだけの日数をかけてキエフが占領出来ないところからマチガイナイ。これは逆にウクライナ住民にとって惨劇となった。ロシアは戦術を無差別爆撃に変更して、ウクライナのゼレンスキーから「降伏」を引き出すという蛮行しか出来なくなっているということだ。しかし、ウクライナは日本よりその国土の広さは1,5倍で、ここを長くロシア軍が占領統率することは確率が低い。もはやロシアにはその軍事力も兵站もナイ。(よって、中華帝国への軍事協力を求めている)
ということで、今後NATOが本格的にロシアに対峙するとなると第三次大戦に突入するのだが、プーチンの不敵な妄信、核搭載の極超音速ミサイル「キンジャル」にどう対応するかが、NATOの戦略的課題となるだろう。

:昨日、SNS(ツイッターだとおうが)でどなたかが、「マイクロウェーブ防衛」についてひとこと、これは防御システムとして「敵基地攻撃」なんかより、こっちを開発したほうがイイと記されていたが、私も賛成だ。原理は電子レンジと同じでエネルギー式は
P=α・ε“・E2になる。
Pは単位体積あたりに与えるエネルギー (W/㎥)。
αは定数、ε“は誘電損失係数と呼ばれて物質固有の値。
Eは電界強度(V/m)と呼ばれるもので、マイクロ波によって反応器空間(反応場)につくられる電界の強さ。
もちろん、電子なので、マッハ速度など問題にならない。

2022年3月16日 (水)

Sophism sonnet・69,9-04

分けるけるということは出来ない

:昨日、ちょっと怖いことを書いたので、きょうは忘憂 緩和になることを書いてみた。

以下に記すことは宗教教義でも神秘学でもナイ。
とはいえ、釈迦やその弟子などはそれを充分に識っていた。仏教における「不二法門(ふにほうもん)」は維摩経のコンテンツとして特徴的なものだが、互いに相反する二つのものが実は別々に存在するものではないということを説いている。ここからハナシをすすめると禅問答めいた頭クルクルになってくるので、すっごく簡単明瞭に述べると、何度もこのブログで書いたことになるのだが、円周率(π)が何故計算終了出来ないのかは、円という「分け方」に問題があるからだ。円という線分で円の内部と外部を分けるということはそもそも不可能なのだ。
何故なら、円という分割の線分などは無い(存在しない・存在不可能)なのだから。つまり円というのは数学における平面概念であって実体ではナイ。外部と内部が分けられないのだから、その内部の(半径を1とした円)の面積(π)は求めようがナイ。このように外と中(内部)というような二項対立を不二法門は否定する。たとえば、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提。/有漏(うろ)と無漏(むろ)というのは、仏と衆生の関係、菩提というのは涅槃往生をいう/。
もっとも切実な生死の対立もここでは否定される。もとより生死は「不二」のものであって分けられるものではナイ。生が終わったから死が始まるというワケではナイ。少し諄(くど)くいうと、「生」というのはたしかに飯食って糞して生きることで、「死」はそういうことの終わることではあるが、終わってしまったものが始まるというのは矛盾である。よって「死」が始まるということはナイ。(ついでにいえば、「くどく」は「口説く」でもあるが「功徳」でもある)。この文脈が宗教教義ではナイ証拠に、物理学な見地に立てば、私たちの「生」はこの宇宙の始まり、ビッグバンから「時空」とともに始まったニュートン力学的な生命体の在り方でしかナイ。私たちにはもう一つの「生」の在り方があって、それは量子力学的自然のものだが、不二の法則から、この二つを分けることはもちろん出来ない。その観点からすれば「生死」というものは二項対立ではナイ。無論、私たちはこのままでいつまでも生き続けることは出来ないので、ニュートン力学的存在はとりあえず「固有の時空」とともに終わる。ただし、もう一つの在り方、量子力学的自然存在としては、単に波動という振動に戻ってコヒーレンス(純粋状態)な「場」に存在を相転位するだけだ。ここで、その場の状態が真に「純粋状態」であれば、波の「重ね合わせ」(この波束収縮の頂点が「粒子」と称されるものだ)として散逸構造による連続運動を始める。つまり、あらたにエネルギーとして生じる。仏典『般若心経』では「色即是空 空即是色」と記されているが、いわゆる消滅と生成の循環である。

:そもそも、私たちはそれぞれが「重力波」なのだが、(だから重力波は逆に観測されない。それは海の中で水をみつけるようなものだから)この宇宙という「場」においては、ニュートン力学にコンプライアンスしている。
:この観点から、私は鬱疾患を精神疾患とは考えていない。鬱疾患は物理的変容だ。

これは私の死生観でもある。

2022年3月15日 (火)

Sophism sonnet・69,9-03

核戦争というものはない

「核戦争」という語彙には矛盾が含まれている。「戦争」には勝利者と敗者が在る。核戦争にはこれが無い。およそ「戦術核」だけで終了する戦争などあり得ない。たとえば、日本、私の住処の名古屋、ここは小牧基地にICBM(大陸間弾道弾)が飛来するとする。一発のミサイルでヒロシマ原爆の16倍の威力がある。これが日本に何発打ち込まれるのかは不明だ。その場は地下鉄や地下に逃げおおせても一旦空中に吹き上げられた放射能はゆっくりと地上に降り注ぐ。核の冬が始まる。太平洋上にでも避難しない限り、惨事は免れない。熱波でまず最初の犠牲者は蒸発する。次は炭素化する。さらに風速100m以上の風力で、建築物はことごとく瓦解する。地下に逃げ込めたものは蒸し焼きになる。なんとかその場を生き延びたものも被爆する。東京だとほぼ瞬時に犠牲者は1000万人に及ぶ。
日本全国において500~1000人の生存者が残り数年を生き抜いて、さらにその子孫の100人が生き残って、向こう5年のあいだに世界中で、人類の生存者数はほぼ5000人足らずとなる。これがもっとも/楽観的/なシナリオだ。
核戦争は戦争では無い。強いて名付けるならば、「核殲滅」だ。
核戦争にせよ交通事故にせよ、パンデミックにせよ、ヒトは必ず死ぬのだから、私は核殲滅に対しての恐怖感は無い。
ただ、いままでの何も彼もが、そうしてこれからの未来が消滅してしまうことに、どこに向けていいのか、憤りと哀しみだけは極めて強く感じる。
地球は全宇宙で高度生命体の生存している唯一の天体だ。10億~30億年後には太陽の膨張で消えてなくなるのだから、いずれは消滅する。
弥勒もイエスも何も彼もなくなった「空(くう)」にやって来て、ただ呆感とすることだろう。その顔がみられないのは残念だ。

:それぞれの国(米・露・中・欧州)に準備されている関係者シェルター生存者は勘定にいれていない。場所や入居人数、入居年数は明らかにされていない。

2022年3月13日 (日)

Sophism sonnet・69,9-02

インスタレーションな情況

インスタレーションはこう定義される。
/インスタレーション ( installation art) は、1970年代以降一般化した、絵画・彫刻・映像・写真などと並ぶ現代美術における表現手法/
もう少し砕いていうと、/作品が設置された空間そのもの。具体的な作品のみならず、アートによって成り立つ空間も作品として捉える/
アートの領域を飛び出して拡張してみれば、ロシアのウクライナ侵攻は世界情況に対するインスタレーションとしても使用可能だ。/ロシアのウクライナ侵攻によって影響、加害を受けつつある世界(経済、個人)はインスタレーションな情況に陥っている/
これを逆に縮小すれば、プーチンによってロシア国民はインスタレーションに陥っている/と称することが出来る。

感染症や物理学などを専門とする科学者10人が国立感染症研究所に公開質問状を提出した。質問状は大きく二問だが、重要なのは二問目の、
/空気感染(エアロゾル感染)世界的にコンセンサスを得られている科学的知見との不一致について/
だとおもわれる。質問は、
/新型コロナウイルスの主たる感染の運び手はエアロゾルであって,Fomite infection(接触感染)は稀であることが,世界の科学界のコンセンサスとなっていると考えます.
このことは,WHOやCDCも認めており,だからこそCDCは最近医療従事者だけでなく国民へのN95マスク着用の推奨までしているわけです.Nature, Science,BMJ などの学術誌・医学誌でも既にレビュー論文を載せたりeditorialで認めたりしており,日本の科学者も標準的知見として日常的に触れている知見です.しかるに,貴研究所では未だにこれに反する形で,「感染経路は主に飛沫感染と,接触感染」と主張しています.
Q6. この齟齬について,どのように理解すれば良いのか,ご説明願います./
この質問について国立感染症研究所の回答は「参考にします」だから、「無回答」と同じだ。この国立感染症研究所の在り方(ハイデガー的にいう存在の仕方)は国民、世間一般にとってインスタレーションであることは見当違いではナイ。我々庶民大衆は、国立感染症研究所などというものがこの国に存在することすら知らなかったから(と、ここまでは副詞だとおもうべし)、もちろん、何の仕事をしているのかも知らない。ワカッテいるのは少なくとも国立なんだから、我々の税金で食ってる連中がわんさといるということだ。真面目に働け、ナ。

:インスタレーションは現代音楽の定義を借りると「なんだこりゃ」らしい。

正直、私個人としては、このQue Será, Será(起こることは起こるべくして起こる)なインスタレーション情況に何も打つ手がナイことに苛立っているだけだ。けれども、この情況を量子ビットの重ね合いにおけるファンクション(作用素・状態Vektor)の出力だとする思考手順だけは手放すまいとだけ、鬱疾患の真っ最中に努めているので、mental、physicalともにキツイ。Max150人の読者諸兄姉に告る。きょうの昼飯は、レンジでチンした茶碗蒸しを温めたご飯にかける私考案の丼と、なめこをチンしたものと納豆をマヨネーズで和えたものだ。食事だってインスタレーションなのだ。

2022年3月 8日 (火)

Sophism sonnet・69,9-01

善悪の此岸

此岸とは、仏教における彼岸に対して用いられる。つまり此処、私たちが住んでいる現世のことだが、きょう私が述べたいのは現状の此岸で行われている戦争における「ロシアにもいいぶんはある」について/それはオカシイ/という私のいいぶんだ。
まず、ロシアの論理について「あながちマチガイではナイ」論者の最初のいいぶんは「戦争には善も悪もナイ」という目線から始まる。これは論理的にこうつづく「戦争を始めたものが悪人であるとは限らない」。なるほど、プーチンにしてみれば、NATOの拡大はかつてのLeningradのナチスとの攻防、ロシア兵1000万人の犠牲者(民間人を含んで100万人という考証だが、戦時中のことゆえ確かではなく、後のスターリンによる粛清者と同数であるというところからはじき出された誇張された数だとおもわれる。それくらいの粛清ならプーチンもヤってるかも知れない。それは誰も知らない)を出した、冬の戦線を思い起こさせるのに充分だろうけれど、しかし、この時代、スターリン・ロシアのあの時代、プーチンはまだ生まれていないのだからそれは様々な資料と想像とのリンクから生まれた強迫(脅迫)観念でしかナイ。あの時代、ロシアに迫ったナチスはLeningradでナポレオンと同じように冬という化け物に敗れるまでロシアの驚異だった。それと同様のことがNATOの拡大によって引き起こされかねナイ。独裁者であろうとも、独裁者を独裁足らしめる国家存亡のときと、ここでNATOにtriggerを引くのは当然だろう。
脅迫(強迫)観念ではあるが、あちこちの識者がいうようにプーチンの精神に疾患や異常、病態が発生しているというのはマチガイだ。此度の侵攻は独裁者であるととも為政者である限り、順当、冷静な判断だ。よって、ここでで善悪の判断をつけるのは不当といえる。
此度のプーチン侵攻の善悪をいうのはここからだ。
その戦闘のやり方が、帝国日本の五族共和、八紘一宇による満州国建国、アジア侵略と同じであるならば、それは歴史的に「悪」と裁断するしか他はナイ。あの頃日本は資源もなく、米英に追い詰められていたから戦争するしかなかった、といういまだに現状国会にもはびこる「ウロウヨク」論者。彼らはここで「核共有」を持ち出す。「三原則と命とを秤にかけりゃ」論陣派閥のニタリ顔を観るのもおぞましい。
「戦争は外交の延長上にある」というクラウゼヴィッツの「戦争論」はもうすでに過去のものだ。いまは「総力戦」の時代をこえて戦争は対個人として具現化してきている。情報戦、諜報戦線の個人への繰り込みは、戦争というものが国家に対してだけではなく「個人」に対して「悪」かどうかをその判断の基準としている。
その基点に立って、此度のプーチン・ロシアのウクライナ=世界への宣戦はかんがえられねばならない。つまり、現在のエピステーメにおいて「戦争」は露骨にいえば「人殺し」でしかナイ。ここで、もうひとつ深読みするならば、ウクライナ国民がウクライナという自国を背負って闘っていることと、ロシアが諸外国からの傭兵を銭で買って闘いを継続しようとしているという差異ではなかろうか。
日本国憲法9条は/国権の発動による戦争/を認めてはいない(これは侵略の抑止だ)。しかし、殺されないための防衛のための闘いも認めていないなどという陳腐なものではナイ。百犬が一匹の犬の自らの影に怯えて吠えたのを聞き、いっせいに吠えだすという愚挙。そんなものを議論している価値がどこにあるのか。非核三原則と命とは同時に秤にかけられるものではナイことは明白なのだ。いずれそんな秤(議論)などは、ある程度の確率しか導き出さない。要するに「確率は同じです」という丁半博打の結果のようなものしか提示しまい。
それならば、核共有などという前に、/一家に一台マシンガンを持つことを許可する/という「議論」をしてみるがイイのだ。阿呆どもめ。その阿呆どもの口車に、怯える犬の如く乗せられるんじゃアリマセンぞっ。

: 議論なら、まず近くの知人、友人とやればイイのです。胆にあるものをそこで吐き出せばいいのです。それがcommunicationの始まりです。

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