Sophism sonnet・69,8-19
Moratorium(執行猶予)
中学も終了間近になると、教師と保護者と当事者(児童・生徒)の三者面談があって、教師がいう。「あんたの息子さんは偏差値がこれくらいだから、この高校はマチガイナク行ける。もう少し勉強すれば、段階を上げて最高ランクの受験校に行ける」
私は偏差値というものがどういうものかいまでも知らない。何かの学力の相対数値だというくらいの理解しかしていない。だから逆に「いまのランクからもう一つ落としたら、何処に行けますか」と訊ねた。理由は受験のための勉強などやりたくなかったからだ。そこで試験勉強しなくても入れる新設の石山高校ということになって、六期ということで入学した。ところが、現在(いま)この高校は女子の受験高の滋賀県トップで、当時はクラスの3割しか女子はいなかったのだが、いまでは受験女子であふれているらしい。しかしまあ、私は試験勉強はしていない。親が不安がるといけないので、友人が数人集まって試験勉強するふりはした。ある時は二人で、という場合もあった。そのときもあのときも、勉強は二の次で、たいていエロ本を読んだり、将来はどんな女とヤリたいかとか、とりあえずエロが中心にはなったが、今度のピンク映画のポスターはスゴイぞ、とか、スケベエというより可愛い憧憬だったろう。
私は高校で勉強なんぞスルつもりはなかった。若い時間、いうならば青春の門口なのだが、そういう時間を無駄にしたくなかったのだ。けして軟派ではなかったが、できるだけこのmoratoriumを有効に生きたかった。当時から私は身体に故障が多く、四十歳から五十歳が生存限界だとかんがえていたからだ。
一学年200人で中間テストでは席次が170番くらいだったので、「何も試験勉強しないとこのあたりか」というデータに基づいて、期末テストは落第点をとらない程度に勉強したら席次は40番以内になった。特に試験勉強のようなものをしたワケではなく、だいたい私には数学にせよ、英語にせよ、ナンの授業でナニを教えてもらっているのかほぼワカラナカッタので、「古典」などは白紙提出で、その代り裏に何故白紙答案になったかという言い訳を漢文(もちろん正確なものではナイのだが)で記した。表は零点だったが、裏の漢文は赤く三重丸があって60点と書かれてあった。「倫理社会」は教師のミスで試験用紙が時間を間違えられて配布されたため、教師はすぐに回収、大急ぎで5問、書き込み答案の試験となり、私は86点で学年最高点となり、同級生から「きみはいったいどんな試験勉強をしているのか」と訊かれたりしたこともある。なんのことはナイ、試験10分前に目を通した部分がそのまま出題されていた。ヤマカンが当たっただけである。つまり勘と悪運は強かったのだ。
大学をどこにするか、また三者面談があった。私はいろいろ大学を調べたが、学びたい学問も無く、行きたい大学もなく、偏差値でここならどうかと幾つか示されたが、偏差値の意味はそのときもワカラズ、けっきょく「留学します」と適当に誤魔化した。
いま、COVID-19のせいで、満足に学校での学問が出来ず、モニターでのコミュニケーションでは学生生活もままならず、小・中・高・大、と昔でいうならノイローゼ、いまは「うつ病」症状に陥る生徒、学生が増えているらしい。しかし、学校などというものはmoratoriumなのだ。というか人生なんて、いくら頑張ってもツマラナイことのほうが多いし、まず90%はおもうようにナラナイ。生きるのが終わるまでのmoratoriumなのだ。
飲酒、博打には興味がなく、dragなどは子供のときからイヤになるほどのまされているので、これも興味がなく、女に関しては「愛」というものがワカラズ、悩みにおいては「孤独」というものがワカラズ。「情」と「退屈」とに置き換えて過ごしてきた。ほんとうにココロからワカルのは「哀しみ」だけだ。
私のmoratoriumも残りが数えられる程になってきたが、さてそれが終わってからどうなるのだろう、という「好奇心」も「悪運」と「勘(balance)」とともに私の三種の神器である。
このmoratoriumをどう愉しむか。「鬱陶しい」季節を生きている「あした来るひと」よ、まずそれをかんがえたまえ。
それだけが「きのう生きたひと」である私の得た教訓だ。無常のうちに常に在るもの、血と青空と風が世界だ。
(どや、きょうはヤケに文学的やろ)
:昨日「パンとビール」を選んだ資本主義国家に悪態をついたが、プーチン一家にとって、民主主義一家も「ヤってやろうじゃないか」と、もっともswiftに慎重だったドイツが武器まで供給するという。これはもう仁義の上の殴り込み、「死んで貰うぜ」だ。
つまり、「風」が吹いたのだとおもう。
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