無料ブログはココログ
フォト

« Sophism sonnet・69,8-7 | トップページ | Sophism sonnet・69,8-9 »

2022年1月31日 (月)

Sophism sonnet・69,8-8

8-7のつづき

「今後も使える」という言説で封じ込めていくなら、「演劇」のあらゆるものは「今後も使えます」。だって、役者さんやstaffさんはそうです。「今後も使えない」のはケータリングのお菓子程度でしょう。しかし役者、staffさんにはその都度、賃金が支払われます。さらに云うならばこのAFFに申請するunitなどはおそらく役者staffの賃金支払いも満足に出来ているところは極少ないとおもわれます。

:と、本論に入る前に私がこの項で用いる(他でもよく使いますが)「作用素(function」について捕捉説明をしておきます。最初、私もfunctionをどうして作用する素というふうに訳すのか、理解していいのかワカリマセンでした。けれどもそれは私の考え違いで「作用素」というのは作用する素ではなく、「要素」を「作る」というふうに理解すべきなのです。そうすると、「重ね合わせ」という概念も自然と理解出来ます。「あれであるし、これでもある」「あれでもないし、これでもない」という要素集合を重ね合わせると〔「あれであるし、これでもある」「あれでもないし、これでもない」〕という要素集合が作れます。量子コンピュータの量子ビットの手品のタネです。

「衣装」を前述した「役」と同じに扱ってみましょう。すると、これは変数の入れ換えだけのことだといえます。
・「衣装」それ自体としての営為
・物語全体との関係としての営為
・演者の了解による演技としての営為
となります。が、「衣装」をマルクスの価値形態としてみると、その使用価値から、次のようにいえます。
/「衣装」とは、その役の延長である/
ですから、「後から何度でも使え」ナイ、のです。これはたとえば時代劇の鬘でも同じです。刀もそうです。近衛十四郎さんは、どの時代劇に出演しても自身の刀は〈これ〉と決めていらしたことは、そのために道具部屋には近衛さんの刀用の刀置きがあったことは有名なハナシです。近衛さんの刀は柄が長く時代劇ツウ、ファンにならすぐにワカリマス。これなどは「後から何度でも使え」そうにみえますが、そうではアリマセン。近衛さんは柳生十兵衛(江戸柳生)を演じるときと、柳生連也斎(尾張柳生・柳生 厳包)を演じたとしても新陰流は同じで史実上、刀の拵えは違うけけれども、近衛さんは自分の愛刀を使う。これは、柄の長い近衛刀が近衛さん自身の延長でもあるが、時々の役の延長でもあるという「使用価値」の拡張である「相対的価値形態」に準じているからです。この場合でも「後から何度でも使う」ことが出来るという概念は不適当です。拡張した主格が異なるからです。具体的にいえば『柳生十兵衛武芸帳』と『秘剣・柳生連也斎』とでは、まったくチガウ剣として扱われます。そうしてドラマ終了とともにそこで、その刀の相対的価値形態は終わっているのです。
この量子ビットを用いた「重ね合わせ」の論理は、演劇営為のすべてのものを包括しています。あらゆる経費は必要経費です。
しかしfictionのdramaの在り方が理解出来ていないAFFは明らかに無知、無教養、不勉強で、文化をどうのなどという資格すら無いとおもっていいでしょう。もっとも、そんなことを知らなくてもAFFの事業目的は『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』とはなんの関係もナイ事業だとすれば構わないといえばそれまでです。逆にさまざまな申請者の「泣き」の事例を「重ね合わせて」も、出力されるAFFの事業はAFFが標榜している支援事業ではありません。
AFFの資金は、もともと私たちの税金か国債の銭ですから、AFFの労働価値は資金自体には存在しません。AFFの労働価値は、申請者(表現者・興行者)との交換によってしか生じません。その営為を詐欺まがいの詭弁によって申請者にねじ込んでくるのだとしたら、AFFの仕事は、当初の目的から逸脱した不当な労働(これはブルシット・ジョブ=まったく世の中の役に立たない仕事より非道い、醜い)としか云いようがありません。
COVID-19はそれ自体は人類にとっての〈敵〉ですが、カオス理論の「蝶々の羽ばたき」のように、政治や運動の偽善、擬制をあぶり出す「革命的」なこともヤってしまいました。
AFFの理念、目的はともかく、その営為がコンプライアンス(compliance・「法令遵守」)に則ったものなのか、エスタブリッシュメント(Establishment・「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」)の手先・手下でしかナイのかは、その事業体が、ネゴシエーション(negotiation・交渉や折衝、当事者同士が何らかの合意・調整を達成する目的で、お互い情報を提供しながら議論を行うことを指す)が可能なものかどうかで、ほんとうに『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』なのかを裁量・糾弾していく権利は申請者(表現者・興行者)に在ることは「日本国憲法」が保証しています。AFF問題は、私たちの生存の権利に関わる問題だからです。

/とりあえず・了/ですが、演劇関連についてのAFFの蛮行に対しては逐次論理的反証はしていくつもりです。


« Sophism sonnet・69,8-7 | トップページ | Sophism sonnet・69,8-9 »

経済・政治・国際」カテゴリの記事

演劇」カテゴリの記事