Sophism sonnet・69,8-1
古希の三戒
アト半年もせずに古希(七十歳)になるので、自分なりにそれからの「戒め」をかんがえた。
戒律のうち「戒め」は「律法」ではナイので目標程度のものだ。(キリスト教のモーゼの十戒も「律」ではナイ)
・愚痴を云わない
・むかしは~~だったと云わない
・なるたけ自分に向き合わない
年寄りの愚痴ほど聞くのも観るのも醜いものはナイ。ついで「むかしは良かったナァとか、むかしはこんなふうだった」とか、これも愚痴の範囲に入りそうだが、そういう「無い」ものに対して語っても仕方ない。要するに「いま」しかないのだから。年寄りの知恵などシレたものなので、若い「明日来るひと」はそんなものには耳をかさず、来るべく明日が来るように希望と覚悟を同時に持てばヨロシイ。自分に向き合っていると(そういう時間が長くなり過ぎると、ということだが普段そういう時間の無いひとはそういう時間は持つべきだと理っておいて)おそらく自己嫌悪に陥るか、他者への憎悪が鎌首を持ち上げるだけだ。出来るなら自分のことは放っておくほうがイイ。せいぜいアト3~5年なんだからストイックではなく、エピキュリアンでヨロシイ。
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