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2022年1月

2022年1月31日 (月)

Sophism sonnet・69,8-8

8-7のつづき

「今後も使える」という言説で封じ込めていくなら、「演劇」のあらゆるものは「今後も使えます」。だって、役者さんやstaffさんはそうです。「今後も使えない」のはケータリングのお菓子程度でしょう。しかし役者、staffさんにはその都度、賃金が支払われます。さらに云うならばこのAFFに申請するunitなどはおそらく役者staffの賃金支払いも満足に出来ているところは極少ないとおもわれます。

:と、本論に入る前に私がこの項で用いる(他でもよく使いますが)「作用素(function」について捕捉説明をしておきます。最初、私もfunctionをどうして作用する素というふうに訳すのか、理解していいのかワカリマセンでした。けれどもそれは私の考え違いで「作用素」というのは作用する素ではなく、「要素」を「作る」というふうに理解すべきなのです。そうすると、「重ね合わせ」という概念も自然と理解出来ます。「あれであるし、これでもある」「あれでもないし、これでもない」という要素集合を重ね合わせると〔「あれであるし、これでもある」「あれでもないし、これでもない」〕という要素集合が作れます。量子コンピュータの量子ビットの手品のタネです。

「衣装」を前述した「役」と同じに扱ってみましょう。すると、これは変数の入れ換えだけのことだといえます。
・「衣装」それ自体としての営為
・物語全体との関係としての営為
・演者の了解による演技としての営為
となります。が、「衣装」をマルクスの価値形態としてみると、その使用価値から、次のようにいえます。
/「衣装」とは、その役の延長である/
ですから、「後から何度でも使え」ナイ、のです。これはたとえば時代劇の鬘でも同じです。刀もそうです。近衛十四郎さんは、どの時代劇に出演しても自身の刀は〈これ〉と決めていらしたことは、そのために道具部屋には近衛さんの刀用の刀置きがあったことは有名なハナシです。近衛さんの刀は柄が長く時代劇ツウ、ファンにならすぐにワカリマス。これなどは「後から何度でも使え」そうにみえますが、そうではアリマセン。近衛さんは柳生十兵衛(江戸柳生)を演じるときと、柳生連也斎(尾張柳生・柳生 厳包)を演じたとしても新陰流は同じで史実上、刀の拵えは違うけけれども、近衛さんは自分の愛刀を使う。これは、柄の長い近衛刀が近衛さん自身の延長でもあるが、時々の役の延長でもあるという「使用価値」の拡張である「相対的価値形態」に準じているからです。この場合でも「後から何度でも使う」ことが出来るという概念は不適当です。拡張した主格が異なるからです。具体的にいえば『柳生十兵衛武芸帳』と『秘剣・柳生連也斎』とでは、まったくチガウ剣として扱われます。そうしてドラマ終了とともにそこで、その刀の相対的価値形態は終わっているのです。
この量子ビットを用いた「重ね合わせ」の論理は、演劇営為のすべてのものを包括しています。あらゆる経費は必要経費です。
しかしfictionのdramaの在り方が理解出来ていないAFFは明らかに無知、無教養、不勉強で、文化をどうのなどという資格すら無いとおもっていいでしょう。もっとも、そんなことを知らなくてもAFFの事業目的は『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』とはなんの関係もナイ事業だとすれば構わないといえばそれまでです。逆にさまざまな申請者の「泣き」の事例を「重ね合わせて」も、出力されるAFFの事業はAFFが標榜している支援事業ではありません。
AFFの資金は、もともと私たちの税金か国債の銭ですから、AFFの労働価値は資金自体には存在しません。AFFの労働価値は、申請者(表現者・興行者)との交換によってしか生じません。その営為を詐欺まがいの詭弁によって申請者にねじ込んでくるのだとしたら、AFFの仕事は、当初の目的から逸脱した不当な労働(これはブルシット・ジョブ=まったく世の中の役に立たない仕事より非道い、醜い)としか云いようがありません。
COVID-19はそれ自体は人類にとっての〈敵〉ですが、カオス理論の「蝶々の羽ばたき」のように、政治や運動の偽善、擬制をあぶり出す「革命的」なこともヤってしまいました。
AFFの理念、目的はともかく、その営為がコンプライアンス(compliance・「法令遵守」)に則ったものなのか、エスタブリッシュメント(Establishment・「社会的に確立した体制・制度」やそれを代表する「支配階級」)の手先・手下でしかナイのかは、その事業体が、ネゴシエーション(negotiation・交渉や折衝、当事者同士が何らかの合意・調整を達成する目的で、お互い情報を提供しながら議論を行うことを指す)が可能なものかどうかで、ほんとうに『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』なのかを裁量・糾弾していく権利は申請者(表現者・興行者)に在ることは「日本国憲法」が保証しています。AFF問題は、私たちの生存の権利に関わる問題だからです。

/とりあえず・了/ですが、演劇関連についてのAFFの蛮行に対しては逐次論理的反証はしていくつもりです。


2022年1月29日 (土)

Sophism sonnet・69,8-7

8-6のつづき

ちょっと誤解されそうなことを勢いのあまり述べてしまいました。
/一着のdress(衣装)は演劇の表現とは無関係なことだ/
これは衣装staffさんに対しては失礼に聞こえたでしょう。誤解は解いておいたほうがイイ。このコトバはAFF(ARTS for the future)が申請者(主催者)に対して突き付けた詭弁に対して反証したものです。「衣装は今後も使えるものだから支援の対象にはなりません」という言説に対する反論、その言説が誤謬だということを述べたのです。
/演劇において一着のdress(衣装)とは何なのか/。という〈問い〉もしくは〈問題提起〉を立てるとします。おそらくAFFは答えること(かんがえること)が出来ないでしょう。それが出来るなら、「今後も使えるから・・・」などという愚答、逸応、詭弁でそれを経費には認めないなどといえるワケがありません。では、当事者としての申請者(興行者・表現者)にはそれが出来ますか。出来なければ反証もクソもヘッタクレもナイ。「衣装は衣装じゃないですか。役者の着る服、着物じゃないですか」くらいにしか、そういう一般論、情況論的な安直な、その程度の思考で芝居なんかヤっているから付け込まれるのです。いくら演劇が趣味化、カラオケ化しているとはいえ、もうちょっとかんがえましょうヨ。こういうのは量子コンピュータといえども、ちょっとは首を傾げるでしょう。しかし、「重ね合わせ」のアルゴリズム(確率計算)によって、答えは出すでしょう。そのfunction(作用素)には、マルクスが資本論で用いた価値論も含まれているはずです。
少々心配になってきたので、ことのついでに述べておきますが、function(作用素)というのは、「数学」の方程式というもので習った、基本的な数式y=(f)xの、括弧の中のfのことです。つまり一次方程式です。リニアです。非線型ではない直線です。真っ直ぐネ。
だから真っ直ぐな見識、見解を(もし出来るなら、相手が受けてくれるなら)AFFに対して反証すればイイのです。
が、
そうしてみたところで、それを、のらりくらり、と詭弁で躱(かわ)すという、ブルシット・ジョブ(まったく世の中の役に立たない仕事)しかAFFはやろうとしない。私が『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』における借金地獄で泣いているひとびとの訴えを糠に釘、暖簾に腕押しでしか応答しないことについて、こりゃあ、一着のdress(衣装)の本質論をAFFに説明しても無駄かも知れないと、ここ数分おもいました。演劇がどういう表現かなど、AFFにとってはどうでもイイのじゃないか。そりゃ、目的が「税金集金のリスト」作りなんだからそうでしょうけども、文化庁がそこまでブルシット・ジョブ(まったく世の中の役に立たない仕事)をヤルには何かべつの入斜角があるんじゃないか。別の理由があるんじゃナイか。600万が60万や30万に化けるのを放置出来るのは、これから税金を搾り取ろうとしているにしてはちょっと不思議だな、と、参院選を前にして政府与党も、ちとマヌケなんじゃないだろうかと、ふとおもったワケですわ。
そこで、ここのところ私が同様にケッタイだなと感じている岸田内閣の政策について、/不思議化/している他の政策をアタッテみました。これもまた「重ね合わせ」的思考です。
二つほど述べててみます。
〇昨年11月末にオミクロン株の感染拡大を受けて国土交通省が日本に到着する国際線の新規予約を一律で停止。水際対策とのこと。しかし予約を一律停止することによって海外にいる日本人も帰国できなくなってしまった。これには、与党内でも批判があって岸田首相は「外国人の原則入国禁止」に方針を切り替えた。これは「ひとのハナシを聞く首相」としてはヨロシイことです。
△ところが、岸田首相や官邸幹部は、この「新規予約の一律停止」という国交省の方針を実は「聞いていなかった」ことが明らかになり斉藤鉄夫国交相が国交省の官僚による独断だったことを認めて謝罪。「入国制限」という国家の重要な政策が官邸に伝わっていなかったというのは、岸田内閣官邸の/不思議化/でしかありません。
〇文部科学省でも似たようなことが起きていますね。国公立・私立大の個別入試についてオミクロン株の濃厚接触者は受験を認めず追試などで対応するよう各大学に通知した。これは昨年12月24日に通知されたが同27日に撤回された。
△この方針に関しても官邸は何も「聞いていなかった」ということが判明。/不思議化/です。

:つまり、此度の文化庁(がヤっているのか何処かの下請けがヤっているのか知りませんが)AFF事態にしても、この/不思議化/の一個じゃないのか。岸田官邸は岸田総理をはじめ、ようするに「聞いていない」のではナイか。いやいや、文化庁ですら「知らん」のかも。
この「聞いていない・知らん」/不思議化/がつづく限り岸田政権は長くはナイのではないか。というか、岸田総理は「ひとのいうことをよく聞くこと」には一所懸命だが、そのアフターケア、あるいはそれに対する政策が立てられていないのではないか。もしくは立てられているのだけれど、省庁が「下手に動いて失策するよりもじっとしてよっと」を決め込んでいる。これは私も県営ホールの館長を1年半仕事したときに思い知らされています。

しかしまあ、揶揄しているだけでは仕方ないので、政治的なことはそちら専門の方々に任せておく、とおもいなおして、当方はいま少し「演劇」表現からの経費擁護を続けます。

この項、もう少しつづく。

2022年1月28日 (金)

Sophism sonnet・69,8-6

8-5のつづき

まず、「量子」という「の」が何なのか、の一般的な定義を記しておきます。
「量子とは波でもあり粒でもある、なんだかわからないモノ」これが現在の量子力学の定めた「量子」のもっとも単純、簡単な定義です。ニュートン力学では時速というものがあって、ある運動物体がA→Bへと移動する距離と時間からそれを求めることが出来ます。けれども量子はそれが出来ません。何故なら量子には「時間」というのが無いからです。もし、そんなシロモノでcomputerをつくったら、おそろしい速度で計算が出来るのではないかと閃いたひとがいました。デイヴィッド・ドイッチュというイギリスの物理学者で私より一つ年下の1953年生まれ。
で、これは実現しました。あまり難しいことではありません。量子による重ね合わせ「状態ベクトル」の応用です。
普通のコンピュータはみなさんもご存知のように、ビットは「0」か「1」だけです。常に「0」か「1」のどちらか、これを1ビットといいます。1ビットのディスクが1枚のものを1バイトといいます。ディスクの枚数を増やしていけば、いまは普通にみられる「ギガバイト」のものが出来ます。
ところで量子コンピュータは「量子ビット」を使います。これは「0」と「1」のどちらかではなく、「どちらでもある」つまり「重ね合わせ」で、どちらが出るかは「確率」になります。
普通のコンピュータなら一回の計算に一回のfunction(作用素)を使います。これで例えば素因数分解の高度なものを解こうとすると数千年かかりますが、量子コンピュータの場合は、重ね合わせの計算ですからfunctionを一回に済まして確率的に出力することが出来ます。つまりアっというまに解いてしまいます。
さて、本論と離れてはキケンですから、私たちの求めたいもの、私が説明したいものを述べておきますと、「演劇」の速度なんかではありません。もうお気づきだとおもいますが、そもそも「演劇」というのは、量子コンピュータと同じことをヤってしまうのです。つまり、「演劇は重ね合わせ」の「確率」から生じる「表現」なのです。
これを位相構造でいいあらわすと、たとえば演劇には「役」というものがありますが、演劇における「役」というのは
・役それ自体としての営為
・物語全体との関係としての営為
・演者の了解による演技としての営為
の「重ね合わせ」として存在します。
演劇は「重ね合わせ」の表現(媒体)なのです。
:こういうことをぜ~んぜん知らなかったブレヒトくんなんかは、陳腐な理屈を弁証法を用いた異化効果(役者は役に同化するのではなく批判的になる)なんていうてたんですね。アホラシイ誤謬です。

従って一着のdress(衣装)だけを問題にすることは絶対に出来ません。不可能なのです。それが後々も利用出来るかどうかは、演劇表現の領域に入ってきませんから、dress一着を取り出して非支援とか削除対象とかは演劇という表現の〈場〉においては述べることは出来ません。雑巾にしてもよろしいし、古着屋に売り飛ばしてもヨロシイ。いずれにしても演劇の表現とは無関係なことです。

この項、つづく

Sophism sonnet・69,8-5

AFF(ARTS for the future)『コロナ禍を乗り越えるための文化芸術活動の充実支援事業』における借金地獄で泣いているひとびとへ

まず心得てもらいたい。これは夢のようなハナシだ。論理はまともなのだが、前提が夢のようだから、夢のようなハナシだ。と断わっておく。
前提命題を示す。
/AFFがふつうに〈議論〉の出来る生命集合体であること/
ね、夢のようでしょ。

泣いているひとのある事例を適当にSNSから拾ってくる。
〇演劇を二年に一度か三年に二度ほどやっているunitです。申請書を出しました。600万円で申告しました。申請受諾という返事がきました。大喜びで、初めて「銭が使える舞台、演劇」を創りました。収支報告書を出しました。すると、例えば「衣装は今後も使えるものだから支援の対象にはなりません」以下、非対象物件ということで殆ど削減され、けっきょく支援額は60万円となっていました。支払いに事欠いて借金に泣いています。

:地獄ですね。しかし全てが地獄なのではありません。もちろん満額認可というところもあります。それらは一様に「法人格」を持っています。そこから簡単に、この事業の目的が何であるかは推測出来ます。おそらく
〈任意団体・個人〉の事業から「税金」を収奪するためのdataが欲しかったのです。ですから人参ぶら下げて、集まってくる馬(この中には名馬、駿馬、汗血馬もいたでしょう)を一網打尽にしたというワケです。
しかし600万円許諾しておきながら「支援対象外」で削減、支払い60万は「詐欺のような」やり口です。「のような」と書いたのは、これでは詐欺にはならないからです。まあ、テキ屋の商法程度でしょう。
収支報告書を書きなおして提出することが出来るので、再提出したところも多いはずです。数ヶ月かかって返事が届きます。「ここがダメ」といわれたところは訂正、加筆したつもりなのに、また「イチャモン」がつきます。その間、支払い先からの督促がきます。親戚縁者に泣きつくしか手はありません。いまどき数百万の銭を無担保で貸してくれるところはありません。マチガッテ「0ナンバー」なんかから借りたらそれこそ「十一(といち)」の無間地獄です。

:私は演劇が専門です。従ってほかの表現芸のことは疎いです。音楽関係とかはワカリマセン。演劇は50年ヤっていますから、経験学習や理論学習から〈自分なりに〉思想は持っています。
もし、AFFが議論出来る相手なら、人智の在る事業団体であるならという仮定で、先程の「支援対象外」の理屈は成立しない(正しくナイ)ことは証明出来ます。
まず、そもそも「演劇とはどういう表現媒体であるのか」ということを示さねばなりません。
論文のように長文になるのも面倒ですから、「量子コンピュータ」の仕組みと、量子力学の位相構造を使って単純に説明してみたいとおもいます。

次回につづく

2022年1月27日 (木)

Sophism sonnet・69,8-4

相似(analogy)2

・ロシアとウクライナ
・台湾と中華大国(人民共和ではナイとおもうので、私はこう呼称している)
・COVID-19パンデミックとトンガ海底火山大噴火

日本はどないすればイイのか。ドラマ(fiction)を書いてみる。
・自衛隊北部方面隊の第2師団、第5旅団によって北方領土奪還態勢をとる。
・第11師団と東北方面隊第9師団において、津軽海峡を封鎖する。
ここでロシアに「中華大国が台湾侵攻を現状のまま実効すれば、日本は東南シナ海驚異からの本土防衛のため、即座に北方領土四島に専守進攻する用意あり」と通告。つまり、ロシア→ウクライナの相似を造ってしまう。ロシアにしてみれば、なんで中華大国とウチとこを一緒にすんねんと抗議するだろうけど、「あんたらがやってることとおんなじやんけ」と一蹴。
これで、わざわざウクライナに対する軍事直截派遣或いは経済協力という間接的な営為に出張らなくても、アメリカとNATOに対するスジは通るし日本政府の顔は立つ。また、台湾防衛は日本が実効するというフラッグは台湾との今後の友好関係を明確に出来る。
これを諸葛亮孔明的相転位型パラドクス作戦と称す。
・COVID-19パンデミック(オミクロンならびにステルス・オミクロン)に対しては、もう五回も経験学習しているのだから、日本の政府と御用専門家の莫迦さ加減も身に沁みているはず。(あの、阿呆どもは、けっきょく何もヤってナイのとおなじ)。よって、私たちが成すべきことヤルべきことは「恐れず侮らず、謬見せず」と簡単にいうとそれだけ。つまり、今後も続くであろうCOVID-19とのお付き合いは「一犬おのれの影に吠え、百犬その吠え声に吠える」情況を辛抱強く観さだめ、訓戒、諫言、対応営為していくことを作用素(function)とする他ナイ。いいかたをかえれば、現状の情報を如何にsamplingしてリミックスするかだ。オミクロン株は侵略の速さが凄まじいので自治体もビクついているのだろうけど、慌てて対応をマチガウなんてことがなければ、特にどうってことはナイと知るべし。ワクチン、検査アイテムが遅れれば待てばイイ。戦争で一回の機関銃掃射による戦死者より死者はうんと少ない。
けっきょくのところ、前述の三つの「相似」の共通点は〈脅し〉ということだ。人類滅亡の時計が「あと残り100秒」といえど、ヒトの寿命など「吸って吐いての一息」なんだから。
ウクライナ情勢においては米国国務長官アントニー・ブリンケン氏のネゴシエーションが最も信頼出来ると私はおもう。

:世界情勢のデンジャラス(dangerous・危険なさま。危ないさま)もナンだけど、こういうドタバタに乗じる与党内タカのツメ(獅子身中の虫)の動きに注意するのもタイセツ。

2022年1月25日 (火)

Sophism sonnet・69,8-3

相似(analogy)

読んで字の如く相似(あい、に)ているもののことで、広く数学や物理学、哲学などに用いられたりするが、政治的にとなると「近頃ちょっとミステリ」となる。(「ミステリという勿れ」かも知れまへんが)。
三つ思いつく。
・ロシアとウクライナ
・台湾と中華大国(人民共和ではナイとおもうので、私はこう呼称している)
・COVID-19パンデミックとトンガ海底火山大噴火
ロシアとウクライナについては、日本は「対岸の家事」のようにもみえるけど、そうでもナイ。日本とロシアのあいだには北方領土問題が未だ歴然と横たわっているからだ。もし、両者が単に領土問題ならば相似というより同じになる。しかし歴史は異なる。ロシアが大国ソ連の頃、北海道を制圧(当時のソ連の用語でいうなら〈解放〉)するのに要する時間は二時間と防衛省はみていた。日本のような島国に陸軍(陸上自衛隊)があって戦車による防衛訓練がなされるのは、内戦と北海道防衛(あるいは奪還)のためだ。
ウクライナのほうは人口が二千万、ソ連時代モスクワに次いでロシアで二番目の都市だった。ワルシャワ条約機構がなくなって、NATO(北大西洋条約機構・ヨーロッパと北米の30カ国からなる政府間軍事同盟)のほうに鞍替えする国が増え、ロシアとしては、真綿で首を締めつけられるような、いつ寝首をかかれるかワカラナイ状況になってきたいま、ウクライナにまでNATOに加盟されると、枕を高くして寝ていられない、というのが現状況における言いぶんなのだが、これは歴史を逆に辿っていくとマルクス=スターリン主義による一国社会主義革命の方法論に問題があるのだけど、いまそれを書いているとsonnetどころかsymphonyになるので、やめといて、理由はどうあれウクライナに対してロシアが威嚇していることは事実だ。ウクライナ国境からモスクワまでは、東京-大阪間より近いんだから、ミサイルなんか配備されたら、それが戦術核だったら、アっというまにモスクワは壊滅してしまう。つまりロシアのやっていることは威嚇(脅し)というより、防衛だとロシアからすればいえないことはナイ。この女はオレの女だとロシオくんは云い、ウクラちゃんはロシオくん嫌いやから納豆同盟に入ると主張するのだが、ロシオくんは腕ずくでもウクラちゃんをと迫る。色の道と政治とはそれこそ、相似している。
かたや中華大国はなんやワカランけど台湾を自分のものにしたい。もともと自分ものやったんや還ってきてくれ、とはいわない。自分の女と寝ることの何処が悪いねん、やな。というけど夫婦間でも強姦罪は成立する。中華大国にはそんな法律はナイので、海上からの攻撃は戦艦や戦闘機、爆撃機の燃料に銭がかかるし、海上で攻撃されたらほぼ終りやから、ほんなんやったら、よっしゃ、架橋や、華僑やと、台湾まで橋を架けている。いま海上に出来た橋の先は海底トンネルを掘って台湾に近づいている。つまり夜這い作戦に変更ちゅうワケやな。これは海底油田を盗掘するのに自国からなが~いパイプを伸ばして日本海海底まで侵入したやり口に似ていないこともナイ。
ロシアはどうしても北方領土辺り近海が手薄になるので、ここはそれ中華大国と仲良し路線で、日本列島一巡りの戦艦旅行なんかヤッてんねん。この辺で中ロ(ちゅうろ)はいうてみたら臨時の軍事同盟、つまりはウクライナと台湾の両面強姦作戦やな。あるいは前からだけやなくてケツの穴までいてもたれ作戦や。そやから日本にとっても対岸の火事ではスマンのや。そこで、COVID-19パンデミックとトンガの大噴火や。天の怒りか地の声か、やな。フォークルの『帰ってきたヨッパライ』やないけど、神さんが「こらおまえ、地球が、人類がたいへんなときに、何やってんねん、ほなもう、ノアやソドムやバベルと一緒や、滅びてしまえ~」と、これは冗談のスキームになるけど、そういうてはるみたいにおもえるところが、オモロイ(面白がっている場合ではナイのだが)ところや。
さて、日本はどないすればイイのか。それはまた次回に書いてみる。

2022年1月22日 (土)

Sophism sonnet・69,8-2

誰いま何を識るや、いま何を行わんとするや

COVID-19の新株オミクロンについては、正しく対処、対応すればさほど手強いウイルスではナイ。というのが私のかんがえです。
私たちは第一波から5回、経験学習をしました。どういう経験学習かというと、日本の政府、官僚、専門家なんてのはアテにならないという勉強です。それを逸早く学ばせてくれたのがアベノマスクでした。自分の身は自分たちで守らねばならないのがこの日本という無知無策無情の国です。
私が毎日買い物にいくマーケットでは、いまでもけして密にならぬように自然に150㎝の距離を保ってレジに並んでいます。それが普通になりました。店員さんは景気よく「きょうは大根、葉もの、安いよ」と声を張っていますが、声の方向には気配りされているようです。空気感染は無いなんていっていた専門家はエアロゾル感染はあると、いいなおしました。「御用専門家」のいうことの何処が専門的なんでしょう。この馴染みのマーケットは大きな店舗ではナイのですが、魚屋さんが入っていて、一尾もののワタを抜いて三枚におろしてもらえます。焼き魚もその場の厨房で焼いていますから、なんだかヨロシイ。専門家です。豚肉は大手のスーパーより質がイイけど、しかし牛はアカンですな。和牛なんかの高いのを買ってみて、ハズレばかりでした。最近は中性脂肪を落とすために野菜中心、タンパク質は大豆ですが。とはいえストイックな食事だけというのは良くアリマセン。釈迦もまたなんだかんだと方便を使って、ビハーラ(僧坊)ではけっきょく肉だって食えるようにしていました。病気になったり栄養失調になったりしていては修行が出来ないからです。
ともかくこのマーケットは何をどう売ろうとしているのか、目指すところのイノベーションに至るまでよくワカル。すくなくともいまの日本の政府のCOVID-19対策よりは、うまくヤっています。
このあいだ、国会中継を病院の待合テレビで観ていたら、どこだかの野党議員が、ワクチンが手遅れになっているのではないかと(アタリマエの)質問。これに総理が「え~、接種におきましては、あ、前倒し、い、を迅速に行いまして、へ、また、子供さんの接種年齢も~~~」と、半月前に聞いた答弁をしている。おまけにまだ水際対策なんかまったく意味のないことを続けている。待合では、受付に「いつから予約出来るのかしら」という当然の質問者がやって来る。のだけれど、受付の答えは決まっていて、どれだけの分量がいつ受けとれるのかワカラナイので、と、ここで「仮の予約も出来ないのォ、なんだか今回は予約不要とか政府が云っていたような気がするんだけど」うーん、要するにいま誰がどれだけのワクチンをどう分配するか決めているらしいんだけど、誰なの。で、オミクロンの急拡大には手遅れ。日本の政府のいうことなんかまともにアテにしていてはこの国では生きていけません。彼らは総選挙とその前の総裁選で手一杯で、COVID-19のことなんか忘れていたようですから。そういう国、そういう政府ですからねえ。
エッセンシャルワーカーになるのかどうかワカリマセンが、イヌアッチケーはここのとこ再放送が多い。ラジルラジルとかがあるのだから、再放送はとくにやんなくても、とおもうのは素人。おそらくイヌアッチケーはシフトを大幅に変えています。たとえば常に半数から三分の一の職員は待機(出社していない)させている(はずです。と、おもうんだけどね)。

:予防には嗽(うがい)はあまり効果を期待できませんが、鼻うがいは喉うがいの200倍効果があるそうです(お医者さんがいっていました)。私もヤっています。簡単にポケットで持ち歩けるアイテムはドラッグストアで売っていますヨ。
:敵基地攻撃なんて現状兵器で出来る方法アルんだから、北の花火より前に、自前(国内生産)のワクチンだぜ。なんで、総理になるとみんな顔つき変わって莫迦になるのかね。

Sophism sonnet・69,8-1

古希の三戒

アト半年もせずに古希(七十歳)になるので、自分なりにそれからの「戒め」をかんがえた。
戒律のうち「戒め」は「律法」ではナイので目標程度のものだ。(キリスト教のモーゼの十戒も「律」ではナイ)

・愚痴を云わない
・むかしは~~だったと云わない
・なるたけ自分に向き合わない

年寄りの愚痴ほど聞くのも観るのも醜いものはナイ。ついで「むかしは良かったナァとか、むかしはこんなふうだった」とか、これも愚痴の範囲に入りそうだが、そういう「無い」ものに対して語っても仕方ない。要するに「いま」しかないのだから。年寄りの知恵などシレたものなので、若い「明日来るひと」はそんなものには耳をかさず、来るべく明日が来るように希望と覚悟を同時に持てばヨロシイ。自分に向き合っていると(そういう時間が長くなり過ぎると、ということだが普段そういう時間の無いひとはそういう時間は持つべきだと理っておいて)おそらく自己嫌悪に陥るか、他者への憎悪が鎌首を持ち上げるだけだ。出来るなら自分のことは放っておくほうがイイ。せいぜいアト3~5年なんだからストイックではなく、エピキュリアンでヨロシイ。

2022年1月19日 (水)

Sophism sonnet・69,7-5

Sophism sonnet・69,7-5
フィクション

いまごろの若いひと、Z世代だかなんだか私の語彙でいうと「明日来るひと」に該当するのだが、そこまで世界を転じなくてももう少し上の若い人は日本の国会の「一杯のかけそば・騒動」なんかは知らないとおもう。の、ですが。
日本がね、中華大国よりうんと豊かだった世界。中華大国では自転車が道路狭しと大衆が乗って走っていて、自動車なんかの類は夜になってもヘッドライトつけへんねん。何故かというと視えるから。前が。多少視えなくても障害物も、対向車もナイ、そんな世界やった頃のこと。日本の国会でひとりの議員さんが最近読んだ『一杯のかけそば』というハナシに涙したので、ちょっとここで朗読させてもらう、いうて、本、読まはった。
粗筋は特にヘンテツもナイ、貧困の親子三人が蕎麦屋でかけ蕎麦を一杯頼む。蕎麦屋の亭主も女房も三人なのに一杯とは妙だなとおもいつつ、云われたとおりテーブルに置く。親子はその一杯のかけそばを分けつつ食ったというハナシ。蕎麦屋の亭主とかみさんは、厨房にしゃがみつつ涙を拭ったのであった。そうして、それを聞いていた国会議員さんたちも涙ぐんだのであった。
まあ、いまの世の中でしたら、こういうのはほんとうに実話としてあるでしょう(ほんとうにはもっと悲惨な親子心中もありました)。かけそばは親子心中の最後の晩餐だったのかも知れません。しかし、これは虚構の、いうてみたら寓話。つまり「創った噺」虚構、fiction。ということが「ワカッテ」(ここがオカシイんですけど)本を読んだ議員も泣いた議員も〈騙された〉とこんどは怒ったんですネ。ここで私たちが教訓とすべきは、国会議員のセンセ方は国会の最中にゲームしているくらいですから、ゲームが虚構だということは識っているのでしょうけど、どうも虚構というものと現実というものの区別が曖昧だということです。COVID-19が現実であるのに、ここまで来るとfictionじみてvirtualじみているので実感が薄くなっているのではナイでしょうか、ねえ。でないと、この危急、火急のときにのんびりし過ぎなのに「先手を打っている」とか、いうてはるんですな、ソーリ大臣。先手も後手も一手ずつでっせ打てるのは。それを忘却してらっしゃるのじゃナイでしょうか。

:『般若心経』は「大般若経」からのsamplingとremixによるイノベーションであると、かつて学習したのだけど、どうもそうではナイらしく、「大般若経」には『般若心経』に該当する部分は無いらしい。(らしいというのは私の怠慢で「大般若経」を読んでナイもんですから)。つまり、偽経の類に入るらしく、いわば創作教典になるワケですが、そうなると作者の思想にこれまた驚嘆するところ。
研究者において「観自在菩薩」は、読者自身(在家)のことであるとしているひともいるんですが、これもオモシロイ。釈迦入滅時に阿南に遺したコトバ「自燈明」と連鎖していきますから。

2022年1月13日 (木)

Sophism sonnet・69,7-4

それほど、滋賀県民は莫迦ではナイ

「徹底ローカル」地域の持続可能性に立脚する
嘉田由紀子・参院議員
2022年1月13日(毎日電子版)
で、嘉田由紀子元滋賀県知事がゆうてや(は)る。「琵琶湖の湖底は一部で低酸素状態にあるが、専門用語を避けて「琵琶湖が息苦しい」と伝える。擬人化し、カタカナ語を避け、ひらがなを使う。政策を伝えるにはくらし感覚に訴えることが原点ではないか」
私は物書きとして、こういう県民(私も元県民でした)一般人を莫迦にした上から目線の「見下しコトバ」に対しては敏感に反応するほうでんねん。このかたが専門用語というふうに示しているコトバはどう読んでも「低酸素状態」やないやろか。それを「琵琶湖が息苦しい」と伝えるということでっけど、なんでんねんそれ。そっちのほうが意味ワカランのちゃいまっか。文学でっか。「詩」でっか、副詞的活用でっか。「低酸素状態」くらい読んで字の如しで、よ~おワカリまっけど。
ああ、そうか、お得意のスローガンか。そういやこの方、知事選のときの政策は「もったいない」というスローガン一発で、なんやワカランかったけど当選しや(は)った。バックに何(誰)がおるんか知らんけど、滋賀県の県民ミュージカル文化の黒幕のこというてんのやったら、たしかに「琵琶湖が息苦しい」はピッタリのコピーやとおもいますわ。私、国松さんのファンですし、誤解されても何でも、あんさんみてたらジェンダーみたいクソくらえや、いうときますワ。

:今年70歳、もう惜しくはナイ余命。最近、大人げなく、感情的にでもいいたいことを云うようになった。

Sophism sonnet・69,7-3

むかし「さすらい」いま「絆」そうして「寄り添い」お次の番だよ

お次の番は省庁のresearchによると、サステナブル(Sustainable)だ、そうです。合成英語なのですが、「持続可能な」「ずっと続けていける」という意味です。COVID-19に対する反撃とかリベンジとかではなく、主に若衆辺りが中心の広く世界的な社会現象です。あるいはそういう社会の実現への傾向です。むかしふうにいうなら「継続はチカラなり」ですか。
立派です。でも挫折したら終りです。
私と演劇の関係をいうなら「もう一回やりたいのココロ」ですかね。役者をやっていた頃は本番初日、袖幕に立ちながら200近い脈拍を堪えて「もう二度と芝居などするものか」と毎度決心し、舞台に出るや否やそんなことは過去のこと。楽日を終えて打ち上げして、一週間もすれば「もう一回やりたいのココロ」になっている。この繰り返し。それで半世紀50年。
ところで、ザ・クロマニヨンズの甲本ヒロトさんはインタビューに応えてこんなこと云っています。「続けていこうなんて一度もおもったことナイです。毎回々々のライブが愉しければそれでイイ」
甲本さんは、ブルーハーツ時代から聴いています。舞台でも「ラブレター」を使いました。もちろん、JASRAC通してです。甲本さんはかの大女優にしてウイキの職業欄に「歌手」とも書かれてある方と『乙女の祈り』をデュエットしています。甲本さんの部分だけ、ときどき聴いています。
だいたいやね、演劇みたいなもん、「持続可能な」「ずっと続けていける」ようもシロモンやナイよ。そんなことは、演劇(或いは劇団)経験者ならみなさん、よお~おくご存知のことやないの。と、コノ云いマネが誰の真似かも、もういまの若衆は知らない。持続しませんねえ。
「演劇はその場で消えていってしまうものだから」というてた小春がまた早うに消えよった。/如月を待たずに去りし小春かな憂いをいまにたれぞ憶ゆる/
三十年来の悪しき歯がもう限界で二本抜きました。そのぶんだけ首から上の痛みが軽減しました。ちょっとluckyでした。麗しの歯科女医さま。「入れ歯」というのだけは勘弁して下さい。せめて「義歯」と、「義」なる「歯」にしましょう。
Sophism sonnetはテーマも主旨も課題も所感も特にアリマセン。こういうのはけっこう「持続可能な」「ずっと続けていける」ものだとおもいつつ書いています。人生もそういうふうに生きれば良かったなあ、と、しみじみとシジミじゃないのよ涙はの年頃です。
もうすぐシス・カンパニー『奇蹟 miracle one-way ticket』前売り始まります。アトはオミクロン、さらにまだまだ出てくるだろうCOVID-19の異種株との闘いです。罹患したら闘えません。患者は闘わなくてイイという、久能整くんに倣っておきます。
ここでお断りを一つ。私、チケットについては一切携わっておりません。前売り開始になるといまはコンピュータが処理しますから、ほぼ3秒で完売するそうです。お早めに。

2022年1月10日 (月)

Sophism sonnet・69,7-2

銭になるなら

駅前の道端でポケットはからっぽ。「兄ちゃん、仕事あるで」と声をかけられたことは若いころ何度かある。私は風体が質素、simple is bestなので(というよりビンボ臭い)ので、「タコ」に釣られそうになったワケだ。
当世、「兄ちゃん(あるいは姐ちゃん)、仕事あるで」と、500円玉、あるいは千円札一枚程度で誘われたら、この額じゃ「タコ」じゃナシ。だいたい「タコ」が前払いするワケもナシ、「なんんんのしししし仕事」と、ふらふらと、「あそこの集団に入って並んでいるダケ」と云われたら、なんやチケット取りか程度に並ぶかも知れない若者、中年、高齢者、ともかくビンボであれば、銭になるなら乗るかもナ。で、/NHK大阪放送局は9日、2021年12月に放送したBS1スペシャル「河瀬直美が見つめた東京五輪」について、字幕の一部に不確かな内容があったと発表した。「五輪反対デモに参加しているという男性」と「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」という記述について、実際に五輪デモに参加した事実が確認できていないと説明した。NHKのディレクターらの確認が不十分だったとして、視聴者におわびした。(毎日電子版2022/1/9 18:12最終更新 1/9 22:21)/みたいなことになる。
ともあれ、イヌアッチケーは報道機関ではなく表現者の法人でもなく、宣伝媒体だということだけは、再確認しておこう。職員の中に確固たる〈表現者〉が在ってもだ。

ついでに、といってはイカンのだけど、同じ電子版で /変異株「オミクロン株」が国内で発見されたことを受け、政府は2021年11月末に外国人の入国制限強化に乗り出した。この団体は外国籍の家族と再会できなくなった人たちが中心となり結成。12月上旬にオンライン署名サイト「Change.org」にページを立ち上げ、制限緩和を求める署名を呼びかけ、今回は要望書と共に林氏宛てに提出した。(2022/1/9 16:00最終更新 1/9 16:00)/
これには賛同署名しましたワ。日米安保破棄、防衛は自衛隊と交替(こうたい)というのが私のおもうところ。いまのところ、「戦争」を止めるのは「抑止」しかナイからで、右翼といわれようが、タカ派といわれようが、反戦が無理なら非戦でいく、しかナイ。オミクロン株ばらまいている米軍に支払っている「おもいやり予算」(この名称は以前のもので、どうも反感が強いから変更されていますが)を自衛隊の予算にまわして、遅れている自衛隊の防衛力を装備すればいいのです。憲法改定には反対です。九条についてはキチンと読めば、矛盾などアリマセン。

なんて書いているいま、ワンギリの電話。アブねえなあ。これまた毎日電子版によると、インスタなんかに写真を挙げるだけで、当人の居場所を捜し当てる「特定屋」などの情報専門屋が存在するようで、風景や持ち物だけでヤっちまうという。
世間の現状は「情報戦」ですネ。

2022年1月 4日 (火)

Sophism sonnet・69,7-1

孤独死・反抗・パラ、パラと書き留める

去年の記憶、良かったナアのほうは東京パラリンピックの開会式・閉会式。私ども芝居もんは、あれだけのことをスルのにどれだけの稽古、練習を費やしたかという感慨もこめて、まだ、ヒトは棄てたもんじゃナイ。そうおもうのだ。貧者の一灯に似て、芸は不要不急のものではナイ。そうおもうのだ。
孤独死、要するに餓死。あるいは自殺。孤独は悪いものではナイ。自ら命を絶つのも咎められることではナイ。願わくは独り満ちてこの世の終りを迎えられんことを。
イヌアッチケー紅白。30%の視聴率。立派なものです。コンテンツとしては一昨年の無観客の演出のほうが静かに冴えていたし好きだったけど。明けてウイン・フィルの年始コンサートが聴けるのだから、イイではないか。こちとら自宅にテレビが無いので、両方ともホテルでの鑑賞です。
「リンチパーティ」ねえ。〈ふさわしくナイ〉歌詞だそうで。櫻坂、ありゃ乃木坂の深窓の令嬢に対する異端(Protestant)反抗(resistance)がコンセプトの少女たちだからナ。どちらかといえば、ガリィ=陽子のキャラだし。みんな悲惨なの。ミャンマーもアフガンも日本も。
COVID-19に罹患して謝罪する。そんなことする必要ナイとSNSは述べ立てる。けんどもよ、ロビー、食堂、コンコース、ウレタン・マスクで喋りまくっている乙女やおばはん、酔っ払いのオジサン目にすると、やっぱり謝罪の一つくらいしてもらいたいね。たしかに疾病と闘う必要は罹患者にはナイ。しかし、防疫は仁義でしょ。兵站は不足してからでは取り返しつかない。とはいえ今度冬季五輪スル大国のように世界中から食料を買い漁るのもどうかとおもうネ。並べて書くことじゃナイけれど、なんか並んでしまったナア。
ともかく去年の夜は「明けました」新たな「芽が」「出たい」「出てもらいたい」と願う、欲する年頭でございます。

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