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2021年12月28日 (火)

Sophism sonnet・69,6-6

私たちはナニを売っているのか

ふだん売っているものが、災厄によって売れなくなり、売り物どころか売り手までが災厄によって自殺(や自殺同様)の死に方をする。
ということに対して援助の手を差し伸べるのが国政、行政なら立派なものだ。
が、これを機に税金取り立てのlistや情報を収集しておこうということが魂胆ならば、そういう行政を〈鬼畜〉と称す。死者に鞭打つ、病者の布団を剥ぐの類だからだ。

私たちはふだん何を売っているのか。マルクス以前までこれは「商品」だと考えられていた。この「商品」を〈使用価値〉という。以前、手持ちの小型掃除機の吸い込み(吸引力)が弱いとクレームを付けた消費者に対して、別の消費者が「私のはかなり役に立っていますが」と、消しゴムのカスを吸い取る写真を投稿した。阿呆と利口のチガイはこういうところに散見出来る。つまりこれを「商品」の〈使用価値〉あるいは「商品」という。
この売り物に別の意味で「いや、そうやナイ」と異議を唱えたのがマルクスで、「わしらが売っているのは商品やナイ。〈労働力〉や」といったワケだ。(と、勉強したのだけどマチガッテいるのなら、賢いかた、ご訂正を)

そこで私はもう少し、私たちの「商品」〈使用価値〉「労働力」を深堀りして、自分なりにこう云いなおした。
「私たちが売っているものは〈表現〉という「労働力」です」
そうすると、新たに「価値形態」に「表現価値」という領域が生まれる。これを含んだものとそうでナイものを単純に等号(=)で左右同一価値にしたために、マルクスは初期の『経済学批判』から逸脱したように(私には)みえたのだが、たぶん、この辺りが『資本論』編纂者の責任、つまり〈未完〉の部分なのだろう。

本名を書かないと書類が通らないという。戸籍謄本を提示せよともいう。ひでえのになると「チラシの芸名の横に(―――)として本名書かないのですか」と反問される。私は半世紀演劇に身を寄せているが、小劇場演劇はともかく古典芸能で例えば歌舞伎「市川海老蔵」のとなりに本名が記されているチラシは100%みたことはナイ。
援助担当の――科、係は大忙しだろう。しかし忙しいからといって、財務省からいくらケツを叩かれようが、この先労働現場逼迫、崩壊寸前などと云うのじゃアリマセン。どこの中小企業でも徹夜、時間外労働(残業)で、それくらいは忙しいのです。大事な税金徴収です。確定申告で徴収した税金の49%は公務員の生活費に充当されています。自分たちが食うためだとおもって、ここはひとつ踏ん張って下さい。影ながらではなく正面きって応援叱咤鞭撻します。

:人はパンのみで生くるにあらず(新約・マチウ書・四ノ四)

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