Sophism sonnet・69,6-1
時間について
手にしたほんとうの時間を記憶せよ
ニュートン力学世界における時間は〈魔物〉なのだから
病むこと、老いること、死ぬことは、生まれてきたために生ずる時間よる〈魔物〉なのだ
忘却、忘れるということも時間、〈魔物〉のマジックに他ならないのだから
私たちは多くと交わり、多くを学び、多くを喜び悲しみ愛しんできたのだが、これらはみな時間によって忘却せしめられるのだ
私たちはナガレゆくニュートン時間ではナイ、自らのほんとうの時間を記憶して手放すべきではナイ
:おそらくハイデガーは『存在と時間』において存在に対する了解と時間との関係をアリストテレス=キリスト教神学から転換すべく、思弁的なものから実在的に引っ繰り返そうとして、けっきょくその試みは未完に終わったとおもわれる。が、しかし、この場合の未完とは失敗ということではナイ。具体的にいえば、存在とは何かを問うことと時間とは何かを問うことは等価であり、「頽落」というconcept(概念)は日常存在のニュートン力学による時間と等価であるなんてところ、私は半分くらいは賛同します。(つまり半分はそりゃチガウということですけどね)。
ひさしぶりに書くので、ちょっと難しいことがハッタれるかどうか試してみました。
哲学というのは、ハッタリをカマすことですから(つまり実験不可能が多いということなんですが)、じゃあ哲学を科学する、或いは科学を哲学的に語る「科学哲学」とかいうのは、これは循環論に陥ります。こいつはいってみれば「宗教」と等価でして、〈当人が信じている限り正当〉ということになります。私はそのての御方には近寄らないようにしております。
うん、ひさしぶりにしては、キの字らしいliteracyでした。
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