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2021年12月24日 (金)

Sophism sonnet・69,6-4

マルクスは何処でマチガッタのか

タイトルは、ほんとうなら『資本論』は何処でマチガッタのかのほうが正しいのだが、「マルクスは」と書いたほうが何かとsensational(センセーショナル、世間をあっと言わせるような、人騒がせな、扇情的な、興味本位の、すばらしい、すてきな、おっとびっくり)なものだから、そうした。

『人新世の「資本論」』(の、著者、斉藤幸平さん)によると/『資本論』は未完成である/で、ともかくも『資本論』に対するこれが彼のスタートラインなのだとおもう。確かにそういわれれば〈納得〉がいくところがこの著作の目玉でもあるし、斉藤さん自身のsensationalなところでもある。
/『資本論』は未完成である/、そうだよなとおもう。『共産党宣言』は、ワッショイのホンだからちょっと括弧しておいて、『経済学・哲学草稿』『経済学批判』を読んだアトで『資本論』を読むと、ひどい異和感に陥るのはそのためなのだ。
以前、このブログでも書いたけれど、マルクスは数学(算数)が苦手だったのではないか。それは『資本論』の第1部 資本の生産過程 第1篇 商品と貨幣 で、もう現れている(『資本論』のこのあたりはエンゲルスの編纂らしいから「マルクスの」というと正確さを欠くのだけど)。
ここでは重要なコトバ(用語)がいっぱい出てくる。近代経済学で言うところの、効用の対象となるものとしての「使用価値」やら、他のものとの交換比率であらわされる「交換価値」。この辺りのことを帝京大学で経済学の教授をやっているかつてのメール仲間に語っても「マルクスなんか読んでナイけど、使用価値の高いものが交換価値も高くなるのはアタリマエじゃないか」というばかり。彼の信奉している「科学哲学」の祝詞ではそうなっているのだろう。「数理経済」という分野が登場したとき、遠山啓老師が老婆心ながら先行きを心配されたことがおもいだされる。
この「交換価値」の論理はintroductionとしてはオモシロイところで、相対的価値形態と、等価価値形態を=(等号)で結びながら、「貨幣」というものを露出させていくところはミステリよりイケてる。
のだけど、この等号(=)を安易に用いたところがマルクス痛恨のマチガイなのだ。だから、現代経済学で数学の出来るセンセイ方には相手にされないのかも知れない。そのへんの理屈は今回のテーマではナイ。

コロナ禍における文化芸術活動への支援事業(正式名称ではアリマセン)というのが、文化庁の胆入りでいろいろ行われているときに、小劇場劇団、任意団体、などは、税金のアレコレで申告書を差し戻されて「うーんうーん」と頭抱えているところが多いことは、噂に聞く。文化庁の支援事業活動か。要するにこれはアレじゃないかな、マイナンバー制度(税金の総取り)ですよ。今回は大目にみといて、ちゃんと将来的に法人税と申告税が取れるところをresearch、デジタル化してfileにしとこうというハラだな。文化庁に小劇場演劇やら、任意団体演劇の〈文化〉などワカルわけがナイ。そういうことは劇団をヤっているときに腹一杯経験してきた。だいたい、10万円をどう配布するかにエッチラオッチラしている政府なんて信じられるかよ。

:要するに相対的価値形態と等価価値形態を安易に=(等号)で並べたmistakeと同じ。文化庁が「500万円」と書く〈数字〉と、申告者団体が「500万円」と書くコンテンツは=(等号)では並べることなんか出来ないのです。

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