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2021年10月12日 (火)

強酸党は何故きらわれるのか

エダノ葉立憲代表は、シン・連合軍ヨシノ会長から「強酸党とあんまり仲良くしちゃいやよ」とクギを刺されたらしい。立憲に対して国主党も「強酸はダメ。うちはあんたらと共闘せん」と偉そうに、どんだけ自分らチカラあるのか知らんけど、わんっと吠えられたらしい。立憲内部でもanti強酸はいてる。なんで、強酸はきらわれるのやろ。
強酸党の言い分、主張、政略は立派なもんだとおもう。ただし実現の可能性がimageとしても思い浮かばない。強酸党の規約なんかを読むと、基本的にはマルクス-スターリン主義だということはよくワカル。だいぶ修正はしてるやろけど、基本原則はスターリン主義なんやとおもう。スターリンの一国社会主義も理屈としては立派なもんや。いまは、マルクス-毛沢東主義の中華が、カラダは資本主義、アタマは共産主義で、やっぱり一国社会主義から徐々に世界に社会主義を増幅させていくというやり方をしているようにおもえるが、やり方が強権やからなあ。タリバン(メディアのいうてるタリバンのことやけど)と、どこも変わらへん。何処からも好かれへん。ビンボと金持ちの格差を無くすんやと、集金平(ジン・キンピン)がいいだして、金持ちから税金とって、ビンボに分配という策なんやけど、そないしてくれるんやったら、うちらもう働かんと横にでもなってるわ。どうせ働いても同じことやからな、と、若者は寝ころんでいるらしい(ほんまのことは知らんで。メディアがそういうてるから、真に受けてるだけやけど)。分配のためには生産や、と、集金平がハッパかけたら、今度は電気が足らんようになってきた。あわてて石炭くべとる。それ、ヤったらアカンのやないのかなあ、二酸化炭素が、気候変動が、カーボンが、ほんでノーベル賞やったのに。中華、ようワカラン国やなあ。
強酸党も舵切って「微笑み路線」やめて「野武士(のぶせり)共闘」といい始めた。とにかく政権交替、奪取にdashやというワケや。私が高校生のとき、宣伝ポスターに「正義の味方 強酸党」というのがあって、そのキャッチの「正義の味方」。これはすぐに撤収されたけど、オモシロオカシかったなあ。ほんま、笑うたわ。笑ったけど、友達のひとりが真面目な顔して「正義の味方も悪を殺しとるナ。斬っとるし、撃っとるし。やっぱ悪人は殺してええんかの。悪人にも女房子供、嫁さん、愛人、恋人、おるやんけ」いうたんや。「阿呆かおまえ、それはテレビの中だけや。あんなんウソや」と、今度はその友達が笑われよったけど、当時、毎日の挨拶みたいに新聞にアメリカがベトコンに北爆かけて、そのニュースはテレビでもやっとった。物識りの友人は、「自由のためにひとを殺すのはかめへんねん。ほんで、ワカランのは、ベトコンもアメリカも自由のために闘うて、おんなじこというとるからワカラヘンねん」なんや、それ〈カミュ-サルトル論争〉かいなと、何回か文庫読んだけど、けっきょく、暴力革命を肯定するか否定するか、いうとんのちゃうかなと、高校生の私には理解でけんかった。カミュのほうがいうとることはエエようにおもえたけど、なんや矛盾を抱え込んどるみたいやし、サルトルは自信満々で「私はマルクス主義者だ」いうとるみたいやから、つまり真理の前には人殺しOKみたいやし、ほなその真理は誰が決めるのかいうたら、「歴史が決める」みたいやし、そらちょっと無責任みたいやったし、
と、強酸党を庶民大衆が嫌うのは、けっきょくやっぱ中華が嫌いなのと同じことやないかなとおもうわ。いつ、強酸党が中華みたいになるかワカラヘンでと、このへんやな。こういうことこそ歴史の真理ちがうんかなあ。立憲との選挙協力も野武士共闘も、烏合の衆と皮一枚みたいにみえるわ。強酸党は、ハッキリと庶民大衆の前に、党の規約とか、日本を最終的にどうしたいか、ババーンと出してみいな。

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