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2021年10月

2021年10月25日 (月)

愛と性をみつめて

中学生のときでしたナ。県大会の女子体操予選会場にまさか自分の通学している中学校の体育館が使われるとは、そら、おもいもしまへんでしたワ。部活で新聞部の友達がおりましてナ、いやもう当時のレオタードみたいなもんまだ切れ目の浅いおとなしいもんでしたけど、そらもう股間を押さえながら(抑えながら)いまでいうアスリートの写真撮りに付き合いました。いやもう、勃つは起きるは、鼻血は出るワで、けっきょくその日は早引きさせてもらいました。花の命は短くてとはいうものの、あのアスリートさんたちもいまでは七十歳前後。箪笥の奥に仕舞い込んであるあの日のレオタードを時々出して、そっと触れて、思い出にひたる、てなことあるんやろか。
/東京オリンピックではドイツの女子体操選手が性的な視点で見られることへの抗議の意味も込め、レオタードではなく、足首まで隠れる「ユニタード」で競技会場に現れ大きな話題になった/(さまざまなメディア)
ルッキズム:外見的な美醜を重視して人を評価する考え方。容姿による差別をいう。(『デジタル大辞典』)
/7月のビーチハンドボール欧州選手権ではノルウェー女子代表がビキニパンツを拒否し、男性には認められている短パンでプレーに臨んだことで罰金を科せられた。/(ウイキ)
/アメリカ形成外科学会の統計によれば、過去10年のうちに、男性が美容整形外科手術を受けるケースが急激に増加しており、2017年だけでも1300万件以上の美容整形外科手術が行われたという/(ウイキ)
/2000年代初頭、韓国では就職活動を有利に進めるため、男性の9.3%、女性の22.3%が「リクルート整形」を行なっているという報道がなされた/(ウイキ)
/2003年には、日本でも就職活動を行う大学生や再就職を目指す中高年男性がプチ整形を行なっているという報道がなされたという/(ウイキ)
『風姿花伝』(世阿弥・能楽秘伝書)にいう花とは、あくまでも風に吹かれる花の姿です。風にそよぐ花の美しさです。花そのもの、それ自体ではありません。その書では老いたる花についても述べてあります。ここに記すと長くなりますので、それくらい買って読め。
コント・1
部下「部長、どないしますねん、A子さん、めちゃ美人でスタイル抜群でっせ。しかし、事前リサーチのデータによると、ちょっと仕事のほうが。B子さん、仕事バリバリのキャリア・ウーマンやそうですけど、あの面、いやお顔と図体、いやスタイルでは。
人事部長「阿呆やなおまえ、そんなもんどうにでもなるがな。「いや、A子さんには将来性があるんだ」とか「こういう局面では強いんだ」とか、人事を正当化するためには、なんとでもいうことができるんや。美人やから選んだということを客観的に裏付ける証拠はどこにも存在しないんやで。なぜかというたら、それは心の中の問題やからや。恣意的にいくねん。胸を張っていうたらええねん。「A子さんが美人。そんなこと思ってません」こんでしまいや。
部下「なあるほど。
コント・2
「こないだの東京五輪の女子床運動、良かったなあ。ユニタードいうんか。俺はああいうピッチリした垂れ尻のみえへんの好みやなあ」
コント・3
「今回のビーチバレー、久々にコーフンしたなあ、ビキニパンツみたいな見厭きたもんやのうて、ショーパンやったからなあ。もう、隙間からこぼれてのぞくんやないかと。はあっっ」

えー、とかく「愛」の問題は難しいのであります。
女性アスリートの「たくましさ」「力強さ」、男性アスリートの「やさしさ」「可愛さ」を観たいというてるひとのほうが変態やと、69歳の老いぼれはおもいます。

2021年10月24日 (日)

年貢の納め時

40年のあいだ年金を納付してきて、現在は給付されているいわゆる年金生活者なのだが、未だに納付している銭がある。納付は終わっていないどころか始まっているワケだ。衆院選挙戦竹縄で(つまり竹で縄をつくるような公約ばかり)、メディアでは「バラマキ選挙」と称されているが、あのバラマキの銭は別にその政党の金庫の中に在るワケではナイ。じゃあ、何処に在るのか。それは国民、市井の大衆が納めた税金の中にしかナイ。
COVID-19の臨時給付や援助やなんかでこれまた政府はバラマキしたが、この銭もナンダカこっそりとあちらこちらから銭を引っ張ってきているだけのことで、私の場合、年金のほうから天引きされる「介護保険料」が5100円から22800円といっぺんに多くなった。これはそれだけ支給される額が減ったということだ。だいたい介護保険というのは、今後、たとえば私の場合などはおよそ十年後に必要になってくる銭で、いまのところはこの22800円納付を家賃支払い以外の生活費に充てていた(年金基金を足した)13万円相当の銭から差し引かねばならない。光熱費、上下水道費、医療費を差っ引くと、兵站がほぼ無くなる。餓死だな。
そういう殺され方は断固拒絶しているので、テキ屋仕事をせっせとやらなければならない。劇作家や作家などの物書き、文売(ブンバイ)稼業を真っ当な(まさか芸術とかの)仕事だなどとおもったことは一度もナイが(この理由についてはあらためて書くが)、テキ屋仕事だろうが銭にさへ換えられれば乏国の飢えと病に弄ばれる幼童の貧者の一灯にもなる。幸い(だとおもうしかしょうがナイのだが)現在のところ、扶養すべき責任を負うものもナイので、書けなくなったら一巻の終りでヨロシイ。殺されるよりはマシだからな。自燈明とは、自分がどんな燈明であるにせよ、燈明である限り自らの足下を照らし、他者にとって仄か微かな目先の明かりくらいにはなるだろうという、釈尊のエエ加減な悟りに倣った生き方で、捉え方を換えれば他人の迷惑省みずというエピクロス主義の闊達さともいえる。

本日より、二人芝居の開幕。舞台で死ねたら本望などという気はさらさら無いので、エエ加減にしかやらないだろうけど。

2021年10月17日 (日)

死にたくないなら(改訂)

殺されないことだ。/死にたくないなら殺されるな/だ。「殺人」の絶えた日はナイ。地球上で殺人の起きなかった日というのはナイ。互いに殺し合う戦場(戦争)というものを勘定に入れなくとも、私たちは殺される。此度、疫病と失政でヒトが殺されていくのを目の当たりにした。救えるべく命を放置される。守れるべき命を黙殺した。「医療崩壊」などCOVID-19において始まったのではナイことは以前に書いた。私たちは医療ガイドラインに記された統計において治療される。さらには、ワクチン接種の〈済・非済〉によっても少しずつ命を測量される。自身の生死を他者の設計(プログラム=システム)における統計データにとりこまれ管理されるのだ。そうして医師たちは、患者さま第一(というか、責任回避)で医師法なんて平気で逸脱し「私どもはadviceをしているだけで病と闘うのは患者のあなたです」と述べる。そうじゃナイだろ。自分でなんともならない病だからこそ医者に行くだべ。闘病が自助じゃ医療じゃナイでやしょ。と、ぼやくは患者ばかりなり。
/殺されない/というのは/生き残る/ということではナイ。積極的に/生き延びて死ぬ/ことだ。そうして、もちろん矛盾が生まれる。生き延びるためには殺してもよいのか、だ。自然には「食物連鎖」という生存、存続の摂理があるが、私たちはその摂理から逸脱して、殺される。
アルベール・カミュの述べた「不条理」と「反抗」については難解というより文学的に過ぎてまったく思想、哲学のcategoryを滑降しているので、ワカリニクイ。うんだべ、では、/簡単にいうとワカリヤスイ/のか。さてどうだろう。イエスだって簡単だけどワカリニクイことをいっている。マチウ・20じゃ「天国とは葡萄園と労働のようなものである」と、要するに天国における「平等」を簡単に説いているのだが、そらまあ、マルクス主義者からしてみりゃ「キリスト教」は阿片だ、なんていいたくもなるわな。しかし「簡単」のほうが簡単に決まっている。カミュ当人は友人とのバカ談話の中で「不条理というのはネ、つまり永遠の愛などというのはナイということさ。なんでならヒトは死ぬからネ」と、えらく簡単にまるでjokeのように不条理を説明している。簡単だが、ワカッタような気になるワケでもナイ。永遠でなくとも愛なんてあるのかどうか私は知らない。うーん、どうも不条理というのは簡単ではナイようだ。たぶん、私たちは「簡単ではナイ」ところを生きているらしい気がする。だから楽じゃネエんだ。むしろ、簡単を「単純」に置き換えると、なるほど、そのほうが理が納まる。単純なものほど簡単ではナイからなあ。では「不条理」という単純ではナイものと闘うための営為を彼はどう表現しているだろう。ハッキリとした名言、命題的文章はナイが、『ペスト』の中では、主人公のリウーは、えーと、おい冗談じゃねえな。高校生の頃か、そうか半世紀以上むかしか。何が冗談じゃねえのかというと、いまおもいだすとおもいだせないのだ『ペスト』、どんなハナシだったっけ。そういや、ネズミが最初に出てきたな。神父がヤケにクソだったな。地中海の水浴が気持ち良さそうだったな。ほいで、なんだったか。私は大慌て(でもナイけど、まあ副詞的にはそんな調子で)あらすじをネット検索して読んで、ああ、そうだった、そうだったよなあとホッとした。(リウーの妻の死については多感だった頃、これこそ不条理じゃねえのけとおもったワ)。
カミュは体躯はそれほどでもなかったが、Face photoを観るかぎり、イケメンだ。Tabloid的にいうと、サルトルは醜男だったから、その点でカミュをずいぶん憎々しくおもっていたらしい。とはいえ、サルトルにはボーボワールという都合のいい女性がいて、といってボーボワールを抱いていただけじゃナイ。ボーボワールに仲介させて、けっこう女子学生のつまみ食いはヤっていたと、これもtabloidだけども。ワワ、ハナシが逸れ過ぎたべな。
そうそう「反抗」だったよな。ぼんやりとした記憶では、リウー(たち)は医師だったから、出来るかぎりの医療に専念していただけで、「負け試合」とわかりきったペストとの闘いに決然とナンカした覚えはナイ。それが、彼らの「反抗」だったのだとおもう。それでペストに罹患したものが死んだとしても、リウーたちを責めることは出来ない。リウーたちも余計な悲嘆は排している。この「反抗」という闘いが何であるか。閉じられた街で何故、無辜な民が死なねばならないのか、問うても答えは出ない。そういうことを仏教では〈不問〉というが、リウーたちは仏教はもちろんのこと、キリスト教の信者でもナイ。カトリック(正統)でもクリスチャン(異端)でもナイのだ。罪も罰もナイのだ。そこには、ペストという生物との死活をかけてはいるものの「勝ち目の無い」簡単ではナイが単純な闘い、「反抗」が在るだけだ。負ければ死ぬことに寸分の異論もナイ。単純なものと闘うことほど難しいものはナイ。これじゃあ読者はついてこられないかなと、ついつい不安になったカミュは演劇、つまり戯曲で『カリギュラ』なんてのを書いてみる。なるほどワカリヤスイ。不条理の解説が高校演劇なみだ。とはいえ、こんなの舞台でヤル気にはナンネエ。
COVID-19は進化学的生存のためにいったん攻撃力(繁殖力)を休止したが、しかしその気配たるや文目も知れず泰然としている。ヒトはそれに簡単に単純な油断という立場をとっている。中には大喜びで居酒屋で久しぶりの一杯だ。いいのかねえ。いまに選挙の当選で万歳のかけ声があちこちでこだまするだろう。用心したほうがイイ。私たちは案外、こういうものに/殺される/のだ。万歳っ、COVID-19は終わった。/生き延びた/そうかねえ。未だCOVID-19は終わってはいない。油断するな。さて、出来るかねえ。
私たちはけして複雑なものに難解な闘いを挑むのではなく、簡単なものに単純に対峙しよう。闘う準備などしなくていい。どうせまた始まったらジタバタするだけなんだから。
/死にたくないなら殺されるな/は、その〈死〉が/殺される死/ではナイことを立証すべく、/自らを死に追いやるものへの「反抗」/に他ならない。あんなふうには死にたくナイ。こんなふうに殺されるのはゴメンだ。それで充分。死闘もよろしいかも知れないが、私は自分自身の納得と覚悟に見守られながら「単純」に自らの死を死にきることが出来ればヨシとおもう。南無自燈明。オレもアンタもこれはこれで弱者(貧者)の一灯なんだからな。

2021年10月15日 (金)

何を忘れたのか憶い出せナイのは忘れているからだ

いや、おもいだしたくナイからなのかも知れない。今朝からずっとだ。何か忘れているのだが、どんなモノ、用事、だったのか確かに忘れているのだが、ワカラナイまま生活がつづいている。
Apart from,昨日、自民党軋ん田総理の衆院選挙に臨む所信表明の会見がイヌアチッケーで包装(放送)されて、いつものごとくだが私はこういう作文された演説を聞くと「ぬけぬけとスラスラいきよるなあ」とだけはおもう。同じ与党のコンペイ党にいたっては、「きみら、何の反省(ヘーゲル的反省やねんけど、まあ、小学生児童のションベンたれ反省でもエエとしても)それもあれへんな」。ぬけぬけにシラジラしいを足し算したみたいヤ。その後で記者質問があるのだが、突然、総理、応えにとっつかえて「それは協議してからあらためて」に舵が歪むのだ。
それを聴いての野党の所感と(でけもせんよな)選挙公約表明があるのだが、霊話新鮮組のMr.ヤマモトは過激なこともヤルが(それで、いちど、おまえは腹を斬れと書いたこともある)、あの所感表明はいうなれば「虚を突いてシン」というかimpactは優れていたとおもう。「いまイチバンの問題は自殺だとおもうんです」と、COVID-19禍下における自殺者が世相と政治状況を結びつけているのではないかという、一種の疑義提議でもある。Mr.ヤマモト、『シーシュポスの神話』(アルベール・カミュ)の冒頭のあの名言/真に重大な哲学の問題は一つしかない。それは自殺だ。/をみごとにパロっている(のかどうかは知らんけど)、これをヤラれると、他の野党の演説は単なるHysterieにしか聞こえてこない。私はけして彼の党派のsympathizerではナイのだが、こういうコトバの操り方を聴くと、彼の脳髄の斬れ味がただものではないことは了解出来る。
なんか、そう、「忘れていたものをおもいださせてくれる」ような、そんな感じ。他の与野党も同様のことはいっているのだが、いまの世界は「政治的言語」でかたると、途端にワケのワカランところに弾かれる。「自宅待機という名のもとに放置され、屍をさらした彼らの無念、怨嗟、非業、ルサンチマンのためにこの選挙を闘う」くらいはいったら、どうだ。
さて、私は、これから昼飯。焼き塩鮭、煮肝、赤飯という献立。こういうunbalanceが世相を物語る(のかどうか、文学しただけ)。朝は小寒い感じだったけど、次第に気温は上がっている。とりあえず、ベランダの硝子戸を開けて風を遠そう。死なないように。

2021年10月12日 (火)

強酸党は何故きらわれるのか

エダノ葉立憲代表は、シン・連合軍ヨシノ会長から「強酸党とあんまり仲良くしちゃいやよ」とクギを刺されたらしい。立憲に対して国主党も「強酸はダメ。うちはあんたらと共闘せん」と偉そうに、どんだけ自分らチカラあるのか知らんけど、わんっと吠えられたらしい。立憲内部でもanti強酸はいてる。なんで、強酸はきらわれるのやろ。
強酸党の言い分、主張、政略は立派なもんだとおもう。ただし実現の可能性がimageとしても思い浮かばない。強酸党の規約なんかを読むと、基本的にはマルクス-スターリン主義だということはよくワカル。だいぶ修正はしてるやろけど、基本原則はスターリン主義なんやとおもう。スターリンの一国社会主義も理屈としては立派なもんや。いまは、マルクス-毛沢東主義の中華が、カラダは資本主義、アタマは共産主義で、やっぱり一国社会主義から徐々に世界に社会主義を増幅させていくというやり方をしているようにおもえるが、やり方が強権やからなあ。タリバン(メディアのいうてるタリバンのことやけど)と、どこも変わらへん。何処からも好かれへん。ビンボと金持ちの格差を無くすんやと、集金平(ジン・キンピン)がいいだして、金持ちから税金とって、ビンボに分配という策なんやけど、そないしてくれるんやったら、うちらもう働かんと横にでもなってるわ。どうせ働いても同じことやからな、と、若者は寝ころんでいるらしい(ほんまのことは知らんで。メディアがそういうてるから、真に受けてるだけやけど)。分配のためには生産や、と、集金平がハッパかけたら、今度は電気が足らんようになってきた。あわてて石炭くべとる。それ、ヤったらアカンのやないのかなあ、二酸化炭素が、気候変動が、カーボンが、ほんでノーベル賞やったのに。中華、ようワカラン国やなあ。
強酸党も舵切って「微笑み路線」やめて「野武士(のぶせり)共闘」といい始めた。とにかく政権交替、奪取にdashやというワケや。私が高校生のとき、宣伝ポスターに「正義の味方 強酸党」というのがあって、そのキャッチの「正義の味方」。これはすぐに撤収されたけど、オモシロオカシかったなあ。ほんま、笑うたわ。笑ったけど、友達のひとりが真面目な顔して「正義の味方も悪を殺しとるナ。斬っとるし、撃っとるし。やっぱ悪人は殺してええんかの。悪人にも女房子供、嫁さん、愛人、恋人、おるやんけ」いうたんや。「阿呆かおまえ、それはテレビの中だけや。あんなんウソや」と、今度はその友達が笑われよったけど、当時、毎日の挨拶みたいに新聞にアメリカがベトコンに北爆かけて、そのニュースはテレビでもやっとった。物識りの友人は、「自由のためにひとを殺すのはかめへんねん。ほんで、ワカランのは、ベトコンもアメリカも自由のために闘うて、おんなじこというとるからワカラヘンねん」なんや、それ〈カミュ-サルトル論争〉かいなと、何回か文庫読んだけど、けっきょく、暴力革命を肯定するか否定するか、いうとんのちゃうかなと、高校生の私には理解でけんかった。カミュのほうがいうとることはエエようにおもえたけど、なんや矛盾を抱え込んどるみたいやし、サルトルは自信満々で「私はマルクス主義者だ」いうとるみたいやから、つまり真理の前には人殺しOKみたいやし、ほなその真理は誰が決めるのかいうたら、「歴史が決める」みたいやし、そらちょっと無責任みたいやったし、
と、強酸党を庶民大衆が嫌うのは、けっきょくやっぱ中華が嫌いなのと同じことやないかなとおもうわ。いつ、強酸党が中華みたいになるかワカラヘンでと、このへんやな。こういうことこそ歴史の真理ちがうんかなあ。立憲との選挙協力も野武士共闘も、烏合の衆と皮一枚みたいにみえるわ。強酸党は、ハッキリと庶民大衆の前に、党の規約とか、日本を最終的にどうしたいか、ババーンと出してみいな。

2021年10月 8日 (金)

青空のはてのはてな

無神論者ではナイ。八百万の産土の神々があってよし。ヤハウェ、キリスト、マリアあってよし、ルシフアーだってよし。ムハンマド、アッラーあってよし。浄土も蓮華経も弥勒もあってよし。ただし私とどう関係しているのか私は知らない。要するに無信心、信仰心が無いのだ。あったところでみな関係妄想のような推測にしか過ぎない。従って邪推という推論すら含まれる。たとえばヤハウェは〈完全〉だから、完全に失敗な世界を創造したために、何が失敗したのかがヤハウェにもワカラナイともいえる。この場合ワカラナイということは不完全なのではなく完全である証拠だ。完全には矛盾も含まれねばならない故。すると、少なくとも創造物の私たちニンゲンは失敗作であるので、世の成しごとの何もかもに責任というものはナイ。という命題すらたてられる。八百万の神道はけっきょくキリスト教国に一敗地に塗れた。浄土や蓮華や弥勒を仲間にしても勝てなかった。どうも、あっちにはギリシャの神々も味方したらしい。あっちは闘い慣れた神々で、常時悪魔(堕天使ルシファー、サタンとか)と闘っている(続行しているという説)。ものの初め、ことの初めからのその闘いは五分の闘いらしいが(どちらも同等の力だから決着がつかない)その余力で勝っているのだから、まあ、島国の神には勝ち目はなかったろう(けどタリバンには負けたナ。だからアッラーに負けたというワケでもあるまい。だってtopの神は同じだもの)。あっちのスタイリッシュな神々に比して百姓一揆のようなものだったんのだろう。といったことも〈創作〉するのは可能なのだ。私たちは幾らでも神を持てばヨイとおもう。パチモンが殆どだろうけど、鰯の頭もなんとやらだからナ。霊魂というのは趣味にあわないが、スピリチャルというならそれはよかろうとおもう。
てなことを書いている10分ほど前には、昼飯の支度と晩飯のちょっとした拵えをしていたのだから、このrealとillusionの架け橋(変容・変貌)がまたオモシロイ。
この年齢になると、食いたいものを好きなように食えるという快楽から乖離しなくてはならない。そういう高齢者はけっこう多いのだ。とはいえ、いざそういう食材を工夫してみるとこれがなかなか愉悦であって、心身から余計な欲望、欲求が消去されていくのがワカル。これをこそ、ほんとうの断舎利というのではあるまいか。私が誤解、曲解、反撥されがちなエピクロスやスピノザに肩入れしているのは、その哲学があまりに釈迦のかんがえと似ているからかも知れない。/パンと水さえあればゼウスと幸福で勝つこともできる/といってのけたエピクロスだが、やっぱあれだな「パンと水」は必要なのだ。だからそれ以上は必要ではナイ。富や権力などもってのほか。カール・マルクスは革命後の世界の人間像にエピクロス的存在をimageしたらしいが、それもまたワカルってもんだ。スピノザくんの哲学(神)は哲学・神学業界では「神即自然的汎神論」と称され認識されている。近いよネ、エピクロス、スピノザ、釈迦の思想、思考。私が信心なくとも無神論者ではナイというのはこういうことだ。そうそう、老荘はちょっと手を出したが、諸星大二郎画伯の作品漁読でもうそれは充分だろうという気がしている。
さて、本論としては、/命題「鬱疾患は精神疾患ではナイ」/の続きを書こうとしたんだけど、またこんどにナリマスな。

2021年10月 2日 (土)

冷や飯を食う

自民党総裁選も、台本通り終わった。
「えっ、ニイちゃん、台本通りってのはどういうことなんでぃ。
「そりゃあ、クマゴロさん、候補が四人出揃ったところで結果はもう出ていたということですよ。ノゾキにつがぬ莫迦もアリと。
と、ニイちゃん、黒石をパチリ。
「ま、そりゃそうだわな。危ない選挙なんかをたとえシャーレの中の嵐でも、自民党がやるワケがないわの。
 と、ご隠居、白石を盤に置く。
「しかし、最後のノダメさんは、少々安全パイに過ぎましたねえ。
と、ニイちゃんが黒を盤に打つ。
初秋の縁側、いい風景だねえ。けど、この国には相変わらず黒い雲の下、dark soupが煮えている。
「まあ、しょうがナイね。老人にしてみりゃコウノ鳥が畏かったんだろうねえ。そんなもんで、論功行賞、ノダメはご入閣と。なんしろ、ニカイから目薬が8人も推薦人出したからねえ。あれで磐石と。
「で、コウノ鳥さんは三下で冷や飯と。
「いったそうだねえ、サッソウ服毒素売りが/コウノ鳥にはしばらく冷や飯を食わせとけ/とな。
何がなんだかワカラナイといった、クマゴロさん。
「ああ、あの、おいらね、そりゃ、popular(通俗。ここでは大衆、正確にはpopulace.publicとまでもいかない)ですけどね、その、あの、コウノ鳥が三下というのはどういう意味なんでかね、ご隠居。
「三下は三下ですよ。三の下、つまり三役の下だね。
「三役ってのはあれでしょ、貸元、代貸し、出方、
「そりゃ、ヤクザの三役じゃナイですか、まあ、政治屋もヤクザだけど。
「つまりだね、政治屋ヤクザの三役というのは幹事長、総務会長、政調会長で、これが党三役じゃな。アトは選挙対策のときの大将をいれて四役かな。その三役の下だから三下。うーん、まあ、ここを守っておくか、辛抱の白と。
「攻撃は最大の防御なりとは、囲碁の語句ですからね。じゃあ、遠慮なく攻撃の黒と。
「んでもって、三役は決まったんですかい。
「決まったよ。
「その幹事長、総務会長、政調会長てのは、いったいどんな仕事をするんですかい。
「幹事長はアマグリ総務省だったナ。こいつはね、4月に決定した(2021年分の自民党に配分する政党交付金は170億2163万円)党運営全体に使われる銭の差配役というワケだ。まあ、自民党の銭を握っているというワケだ。
「そりゃ、えれえなあ。三役の中でも一段と格上ですね。
「総務会長にフクちゃん。仕事は総務だから、党の最高意思決定機関の長となってますけどね、さあ、どうですかね、普通、党にはツルの一声てのがありますからね。政調会長がタカの市、これは、会社でいうと経営計画づくりなど社長を補佐する経営企画部の筆頭ですね。ですから、親分(back)にくっついていれば、けっこう威張れますね。これがあるんで、タカの市さんに白羽の矢がたったんでしょう。敵基地先制攻撃とか小型核融合原子炉とか、ほんとに勉強したのかな。敵基地先制攻撃なんて電子パルス攻撃ならレッキとした核攻撃ですよ。
「するてえと、コウノ鳥の広報本部長というのは、
「だから、冷や飯だといってんだよ。アッソウがそういってんだから、そうなんだろ。脱原発とか、イージス・アショアだったかなあ、ともかく役に立たない防衛地対空ミサイルの配備取り止めとかね、日本じゃ、毒舌政治屋はわりと面白がって歓迎されるけど、血気盛んとか、血気に逸るのはちょっとバカにされちゃうね。わしなんか、コウノ鳥くんは国士無双の相と易でみたんだがね。
「私はまだまだ希望は棄ててませんよ。コウノ鳥さんはけっこう羽をむしられましたが、国民はそんなに莫迦じゃナイってことはよくわかりました。第二の石破さんにはならないような気がしますね。まあ、下手に冷や飯食ってあったかい飯を望むより、冷や飯に残り味噌汁ぶっかけて食う。これくらいの臥薪と、冷静な民意分析の嘗胆で、潜龍、虎視眈々といってもらいたいですよ。で、ここに黒を打つ。死活決まりでどうです、ご隠居。
「おっと、全軍死すか。
「なんか、囲碁も政局モワカンネエなあ。
「クマゴロさん、ワカンネエものなんかアリマセン。今後の日本はワカリ過ぎているくらいです。ワカンネエのはあの娘(こ)のココロくらいかなあ。
「よし、ニイちゃん、もう一局。今度はわしが黒で、新戦法ブラックホール布石をみせてやろう。
「ああ、あれね、あれはもう古くなっているってハナシですよ。囲碁や将棋は政治とチガッテ真面目に勉強してますからねえ。
「おっと、滴(しずく)だ。悔し~涙か憾みの雨か~その一粒で、ええ~変わる心も~ある~ものを~。
嗚呼、縁側よ。懐かしの秋雨よ濡れ縁よ。乾くなニッポン。

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