セイジやなくてキヨシです
いま通院しているところで、看護師さんが待合からの呼び出しに「キタムラ セイジさん」というところは皆無だが、かつて、たまに医者にかかるとそう呼ばれることが多かった。ので、「キヨシです」とイチイチ訂正した。本名を漢字で書くと「北村清司」なので、そう呼ばれる確率のほうが高かったのだ。
小説家、詩人で筆名、辻井 喬老師は、博士(経済学)(中央大学・1996年)。日本芸術院会員、社団法人日本文藝家協会副理事長、社団法人日本ペンクラブ理事、憲法再生フォーラム共同代表、日本中国文化交流協会会長。西武鉄道取締役、京浜急行電鉄社外取締役、西武流通グループ代表、セゾングループ代表などを歴任した偉いひとだが、父親は西武グループの創業者堤康次郎さんで、康次郎さんの妾(後に本妻になったのだが、いきさつは著作を読んでいないので不問)青山操の間の嫡男で本名は堤清二さんだ(こっちのほうがセイジなのだ)。オヤジの康次郎親方は5人の女性との間に5男2女を持ったというから、まあ、そういうことで、しかしながら、商売にも長けていたから艶福家だったのだろう。私の父親も紅屋という屋号の奉公先の近江商人の伜だったが、嫡男ではなく妾腹だったので、本妻のほうから追い出された。祖父紅屋は遊び人だった(と、従姉妹は口をそろえる)らしく、けっきょく、堤康次郎親方のライバルなどといわれながら、あっというまに完敗、財産は全部消えた。このあたりの一部は戯曲『虎・ハリマオ』で書いたが、私のほうは、清二さんと弟のように兄弟喧嘩もなく、両親の亡くなったいまも仲良くヤっている。
「清司」という名前は祖母の命名だそうだが、「なんで、ぼく、清司やねん」となんど訊いても「なんでもやっ。もうちょっと大きいなったらワカルわ」と、教えてくれなかった。両親も他界して、あっちの世界で殴り合い蹴飛ばしあいしているのだろうが、だから、もう「清」の一文字について書いてもいいだろう。けど、ここではそれが本論ではナイ。祖母には、堤清二さんに対して怨嗟ほどのものはなかったろうが、向こうは勝ち組、なんらかのなんらかはあったのだろう。私がもっと偉い作家とか詩人とか実業家になっていたら、溜飲も下がったろうが、ビンボな劇作家(ではあるが、レジェンドとか天才とかいわれることはときどきある。揶揄に近いんだろうけど)なもんで、祖母も諦念しているだろう。弟と中が良いというのは、そこは威張ってイイことではないか、祖母さん。
さて本論。やっと本論。ソ連が解体したとき、ロシアのほうから堤さんに「商売の教えを乞いたい」とマルクス・スターリン経済学者だか、商売人が数名、非公式にやってきた逸話だ。このとき、堤さんは「流通、製造システム、販売促進、そのどれが知りたいですか」と、丁寧に応じたのだが、ロシアの御方たちは、「いま仰った三つとも初耳でなんのことかワカリマセン」と首を傾げ、黙礼したそうな。だから、なんぼタリバンが政権を握ったといっても、ロシアや中国に建国について教えられることなどあるのだろうか。と、私はおもうんや。
中華はいうだろう。「もし、超特急列車が事故を起こしたら、車体全部を埋めることです」
ロシアもいうだろう。「毛蟹や鮮魚が食べたいのなら、北方領土は手放してはイケマセン」
もし、日本に来たらスガさんはこういうだろう「とにかくワクチン、安全、安心」ついでにカワムラなんかが、「噛んだらだめだでよ。こっちが感染したがや」。
さて、晩飯はキャベツの残りで、回鍋肉といきますか。回鍋肉のコツは、炒める順番と鍋に戻す順番です。
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