夜に鴉の啼くときは
ふつうの作家さんは夜中に仕事して明け方あたりに寝るらしい。職業を訊かれて「物書きなんぞをヤっております」と応えることがあると、じゃあ、お仕事は夜中ですか、とくる。なんでやねん。どうも、作家というのはそういう時間割で働いているというのが、むかしからのドラマやマンガや小説やエッセーや、そういうところで多く描かれているからだろう。であるので「いいえ、あたしゃ午前中に仕事します」というと逆に驚かれる。「朝飯食ってからです」「えっ、朝ごはん食べてみえるんですか(この〈みえる〉は方言らしい)」「はあ、まあ、トースト半分と柑橘類、ヨーグルト、牛蒡茶ですが」「なんとまあ健康的な」「そういうの普通なんじゃナイんですか」「そうすると夜は呑まれるワケですか。バーとかスナックとかで、チーママとかの乳揉んだりしながら」ハードボイルド小説の読みすぎですな。「いえいえ、家。家で手酌ですけど。複数のヒトと一緒に呑むと悪酔いしますから。乳揉んだりしたらセクハラですし」「午前中にお仕事されて、それからナニされるんですか」「スーパーの開店する時間になって新しい品物が入る時刻には昼飯と晩飯の買い物に」「そんなまともな生活なんですか」あかんのか、まともに生きてたら。
「夜はぜんぜん仕事されない」「かつては劇団ヤってましたから、夜は稽古でしたから」聞き手は誰でもいいのだが、なんか面白みのナイ作家だな、という顔になってくる。「夜に仕事をすると鴉が煩くて、決まって朝には誰かが死にますし」今度はギョギョッと退く。「買い物もオモシロイですよ。こないだ、高齢の、まあ、私と同年くらいですか、そんなのが二人でハナシているのを聞いてました。
「ヤッとコロナも終りみたいやナウ。もう、東京でも300人くらいしか出てナイだろ」
「ああ、なんかもうエライ災難だったわな」
「やっぱりワクチンと、日本人の真面目さが功を奏したというか、政治家のいうことヤルことみなアカンかったなあ」
「三密も守ったしねえ」
「しかし、デルタが出てきたときは、またかとおもったけど、却ってデルタで気の緩みがシャンとなって良かったじゃないのかナウ」
「デルタが出るた、だわな」
と、二人して金歯もろ出して笑ってらしたが、
私はそうはおもわない。
いや、今後第6波がくるのかどうかはワカラナイ。しかし、人々の努力でCOVID-19が現状、収まっているとはおもわないということだ。COVID-19も生命体だ。生命体である限り「進化論」的に存在しているはずだ。どういうことかというと、種の繁殖、存続は、それが原始的な「刺激と反応」によるものであろうと、集合的に維持操作しているということだ。つまり、この、現在のCOVID-19の静けさはウイルス自体の都合じゃないのか。増えすぎるのは大量絶滅につながる。進化論的にみてカンブリア紀末(約4億8800万年前)の大絶滅なんかはそうではないかという説もあるくらいだ。だいたいヒトがなぜ〈死ぬ〉のかという理由は、不死になるとどこかで一挙に大量に絶滅する危惧があるからで、私たちはともかく単純に〈死ぬ〉のではなく〈死なねばならない〉ようになっているから死ぬのだ。
COVID-19もパンデミックで大量に増えた、さらに変異株でまた増えた。このままでは絶滅するという、あたかもユングの集合的無意識のような作用で、ともかくここいらが増える限界と、そうおもって(意思はナイのだけど)数合わせの段階に移行したということだ。
この収束めいた静けさに安心していると、その空白を埋めるべく、別のウイルスがこれも進化論的にいうならば/空席になったニッチ(生態的地位)を埋めるべく、急激な適応放散が起きる/ことになる。
あっ、鴉が啼いている。昨今、まったくめずらしくなくなったなあ、ゴミ出しと鴉の闘争。明日、誰が死ぬねん。知らんで、もう。
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