Revue 『名古屋で噺劇』
原則として、映画批評はするが演劇の批評はやんない。で、ありますから、これもrevueとは趣がチガウとおもってもらってけっこう。
円頓寺レピリエ2021/08/07/13:00公演の『名古屋で噺劇』。桂九雀師匠が落語をお芝居に仕立てなおしたもの。演目は『星野屋』『芝浜』『三味線栗毛』。演題については、ネタ帳に記された先の演者のネタのメモがそのままタイトルになったもので、よって江戸落語などは奇妙なタイトルが多いたとえば『ぞろぞろ』『だくだく』、なんのことだかワカラナイ。上方落語も要するにネタ帳のメモなのだが、今回の『三味線栗毛』などは五文字で三味線と馬の噺だと見当はつく。ただし、私は初耳。武家の三男坊部屋住みがあんなに遊蕩していたとは信じ難いのだが、まあ、噺だから。
『芝浜』は三遊亭圓朝の三題噺が原作ということになっているが、かなり多くの別の説がある。どころか、この演目については出典も諸説あって、いつ頃、現在形になったのかもハッキリしていない。上方では場所を住吉の浜に置き換えて演題もチガウ。江戸落語としては三代目桂三木助が1950年代に演じたバージョンは特に高名と評されているのだが、これについてはまたまた噺家仲間でも評価が分かれる。主には二つ。まず『芝浜』或いは住吉の浜の情景についてなのだが、これが口頭の噺としては描写しにくい。三木助は冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸(いっすん)」という句を挟むという独自演出をした。この演出には、落語評論家として知られ三木助と親しかった作家の安藤鶴夫がブレーンとして携わったと言われている。これが気にいらなかったのが、談志家元で、「三木助さんの芝浜は好き嫌いでいえば嫌いでした。安藤鶴夫みたいなヤツのことを聞いて、変に文学的にしようとしている嫌らしさがある」とコメントしている。(家元はことあるごとに安藤鶴夫の悪口書いてるからなあ)。五代目古今亭志ん生や三代目古今亭志ん朝は、あえて芝浜の風景描写をしない。慌てて戻ってきた魚屋が財布を拾ってきたことを女房に語り聞かせるだけで、その理由について、志ん生は「三木助の芝浜は芝の浜のくだりが長すぎて、あれじゃとても夢と思えねぇ」ともいったという。私も高座でライブを観たことがあるが(演者は忘却)芝浜がどんな場所であるのかはさっぱりみえなかった(つまり、財布を発見するまでが難しいのだ)。ここを『噺劇』では、魚屋が早朝(明け六つ)眠気を覚まそうと顔を洗うというnaturalな演出と、みつけた財布を煙管で手元に引き寄せるという微細な演技で上手く絵にしている。財布の中身は五十両なのだが、昨日芝居を観るまで二分銀(金)だとは知らなかった。そういうところを含め、仕種の微細な演出が噺を絵にしているところは見事だとおもう。とかく『芝浜』のような人情噺は江戸落語のものなので、characterがはっきり目でみえる芝居に仕立てるとけっこうオモシロイ。そのニ、女房が財布の夢を夫に嘘だと明かすplot。ここは「祝いにお酒でも」とすすめる女房を前に、酒を口許まで持っていって静かに置き「いや、やめよう。飲んだらまた夢になる」で、噺はオチなのだが、これはもう、演者のcharacter頼み。噺ではいくら名人(たとえば六代目三遊亭圓生)が演じても、この女房は無理だと私はおもう。さほど難しい役ではナイのだが、女性にしか出来ない原性的ジェンダーというものも在るのだ。
〈夢オチ〉で有名なのが『ねずみ穴』だが、このオチを、弟「ああ、夢で良かった」というのに、兄「俺もそうおもう」でオチにするのはどうだと談志家元が語っていたことがあるが、これにはゾッとした。
演目にもよるだろうが、足のある『噺劇』はかなり役者も鍛えられる、すこぶるオモシロイ分野だと「ほおお~っ」と思いの外感心した。
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