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2021年8月

2021年8月31日 (火)

レーニンか毛沢東か

中華の習近平(シー・ジンピン)国家主席が発表した政策「共同富裕」という目標。「(1)報酬(2)税金(3)寄付」を通じ所得再分配を図る内容なんだけど、それがホントに出来たら、共産主義世界の方向へマトモにまっしぐらということになる。いまんところ、どうしたってスターリンだからナ。果たしてせめて初期毛沢東までreturn出来るか、あるいは図書館でヘーゲルの「弁証法」の勉強していたレーニンの『国家と革命』までいっちゃうか。ともあれ、この政策を大マジでやろうとしているなら、習チャン、ちったあ見直したナ。しかし、軍事費の増大肥大と覇権拡大、「一人っ子政策」の失敗による労働力不足、高齢化の急速化、そこへきての気象変動にCOVID-19。これは簡単に短期で出来ることじゃナイ。米国のように4~8年でやろうってことじゃなく、中華は百年の計だから、「国家たるや国家を解体するための権力システムだ」と、レーニンみたいに見栄切っちゃって、この数百年の氷間期のあいだにもし実現したら、もう完璧に民主主義は御家取り潰しとなる。「権力は腐敗する」なんだから、もうあちこちの神様だって腐敗しちゃってるからナア。中華は無神論国家だから、まあいいのか。どうなんだろね。ともあれ、中華にしてはめずらしく明るいニュースであります。ここはひとつ「お手並み拝見」といきたいもんですけど、こっちの余生がねえ。
早いところ、雪の降る中、凍るような月を観ながら、その黄色い灯(あかり)の下(もと)で グラス片手に我死なん。いいねえゴッホだねえ。これ、最後の最期の夢アルよ。「共同富裕」ねえ、習チャン、そういう夢持っていたのね。まあ、信用しておくワ。「ひとの夢みて わが夢な 推せ」だ。

2021年8月28日 (土)

ほやから、アカンねん 

毎日新聞 2021/8/27 19:34で(電子版でっけど)読んだんでっけど/国内の感染症や物理学の専門家ら科学者約40人が共同で、新型コロナウイルス対策として政府や自治体に対し、感染予防効果の高い不織布マスクの着用を国民に促すことや、適切な換気方法を周知することを求める声明を発表した/のやそうや。
あのな、いうてええか。いうで。「声明」みたいなもんはデモ行進でもいろいろ出せんねん。それは「〇〇説」とおんなじ。科学者、学者のあいだでは幾つでもある「説」とおんなじやねん。
邪馬台国は九州やっ、いや、畿内大和や。とおんなじ。「声明」て、デモで「ガンバローッ」いうてんのとおんなじちゃうか。(注:邪馬台国についてはすでに結論はでていますが決着はついていません)
そろいもそろて、40人の狩人が、否、科学者が、
「不織布マスクを着用させなアカン」「適切な換気が必要なんや」と声高に。そんなこと、たいていの庶民大衆は識ってるとおもう。
かなり以前に、CDCが「重ねマスク」の効果で実験結果出してるのとちゃうか。そんで、それに日本の「富嶽」が「いや、それ、ちゃう」と反論したんとちゃうか。ここで、不織布、布、ウレタンの効果も数値で出てる。両者のいいぶんはチガウが、決着というか同意は「マスクの隙間がアカン」やった。
〇エアロゾルが新型コロナの主要な感染経路だと最新の研究から明らかになっていることを指摘。
て、それも、遠のむかしに/デルタ株に対しては三密より換気/と、CDCも「富嶽」も結論出してる。
実験でや。ええか、実験でや。
あんたらいまさらどんな実験したねん、40人の狩人、否、感染学者、物理学者。あんたら、科学ではともかく実験での実証が「ものいう」ことなんか百も承知ちゃうんけ。
そらな、医者の中には、データみながら診察して、患者が横におるのに、「データではそうはならんのですけどね」と阿呆みたいなのは確かにおる。患者を診察せんかいっ。
〇1時間に2回程度の短時間の窓開けでは十分な換気ができない。人が集まる狭い密閉空間では、空気清浄機や、室温を保ったまま換気できる熱交換換気を活用して、適切に換気をするよう。
ほう、なるほど、空気清浄機に依るCOVID-19の「換気」は〈有効〉やと認めたんやな。実験でか。実験したんやろな。(メーカーでも「ウイルスの換気については不明」としか返答してへんはずやねんけど)。
1時間に何分くらいの換気を、どのくらいの広さの部屋(密閉空間てどんな部屋や)でしたらええねん。実験ではどうなったんや。わしら芝居もんは、いろいろ調べて、0,1μmの大きさのCOVID-19を、観客二十人程度のちっちゃい劇場でなんとか安全に換気、塩素消毒出来る方法には辿り着いとる。もちろん、実験でや。(人体実験じゃ)
〇代表者の本堂毅・東北大准教授(臨床環境医学)は27日、記者会見を開き「自粛や行動変容だけが感染対策ではない。専門家の知見が十分活用されていないのに、政府や自治体が『万策尽きた』と言うのは違和感がある」と訴えた。
わしら、おまはんらのそういう「声明」に違和感があるワ。少なくとも自治体は自らが病床に送られながらもまだ『万策尽きた』とはいうてへんで。政府は知らん。あいつらはいまCOVID-19どころやナイからな。選挙ヤからな。「人命より選挙」は政治家の常。
☆40人の科学者たちに告ぐ。
そういうおまはんらの声明どおりにするのには、どういうシステム(段取りでええわ)が必要なのか、実験前の「絵」でええからおせえてくれっ。おまはんらがその程度の「声明」出して息巻いているから、庶民大衆はワクチン「打つ、打たん、打てん」でウロウロさせられとんねん。ほやから、アカンねん。
(まいど、無断引用してスンマヘンな毎日電子版の方々)

2021年8月24日 (火)

さすが浜っ子

「歴史認識などで一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、開催に強く反対している」
と海外メディアに対して大見得きって云ったのは、マスク配りのひとだ。「最初にマスクと10万円を国民に配布した私の政策方針はまったくマチガッテいなかった。デルタはマスクで防げるカルタのようなものだ」と、いったかどうかは知らんが、このマスクのひとがCOVID-19に対してヤったのはそれだけだ。それが日本のCOVID-19に対する最初の戦略で、いまもその程度の戦略(ここで戦略などというコトバを使うのはオカシイのだが、揶揄だからイイんじゃないの)を日本は継承している。
横浜市の市長選挙があった、ある都市の市長の選挙に国軍の最高司令官である総理大臣が応援に駆けつけ、そのグルリのひしめき連中も応援したことについて、8人の候補者のうち一人は「宰相が市長の選挙の応援に来るなんてねえ。聞いたことナイですよ」と落選の憾みもこめてコメントしている。横浜は宰相スガの地盤とニュースで聞いて、ああ、なるほどとおもったひとも多かったろう。
で、結果は/横浜市長選で全面支援した側近の前国家公安委員長小此木八郎氏(56)が惨敗。小此木氏は立憲民主党推薦の元横浜市立大教授山中竹春氏(48)に18万445票の大差/てなことになってしまった。当選した山中氏は候補者の中で最も若い。まさか自分が当選するとはおもっていなかった、とおもっているにチガイナイとおもっている。
マスクのひとの戦略を受け継いだ時の宰相はいわば名もない若造に倒されたのだ。(とはいえ、山中当選者の経歴に「臨床統計学を専門とする医学部教授」とあったのは、COVID-19対策に対してのほんとうの「戦略」がたてられそ~)という期待もあったかも。
ともかくは横浜、情況を先取りする浜っ子をなめてはいけない。ということだろう。ところで、宰相はこの結果を「謙虚に受け止める」と、またマチガッタ日本語を使っている。ここで「謙虚に」は使えない(アタリマエだ。負けた者が勝った者にいうコトバではナイ。広辞苑でも引け。そういうとろからしてこの宰相のliteracyには疑問が多いのだ)。とはいえ犬が尻尾を巻くようないい方も出来ないから、さしずめ「痛恨不遜ながら、尊大な姿勢でもって甘受する」くらいかねえ。
かたや、金メダルを齧ったもんだから、そこら中に謝罪スルのを仕事にしている名古屋市長は、直近の最後の任期になる選挙に当選したんだから、名古屋市もさすがだ。なめてはいけない。齧らなければダメだ。愛知県民は愛知のことは、大村知事とトヨタがありゃあ、べつにカワムラみたいなものは、どうでもいいのであって、アト4年は市民税が安く過ごせる、でイイのだ。このあたりまで齧らないとダメだ。さすが名古屋人。任期が終了したら、一度このカワムラという御仁は松の木病院で診てもらうとイイ。(松の木病院という名前の病院がほんとうに存在するからヤヤコシイのだが、私どもの幼少のみぎり、〈松の木病院〉といえば意味がチガッテいた)。このさい、「テレビの視聴率が良かったから、オリンピックとコロナの関連性はアリマセン」といったマルタマ五輪省や、「いまが踏ん張りどころ」なんて、まだ根性論云ってる、いまはヤマナカ夢のナカ経済死体蘇生担当大臣もついでに放り込め。
さて、こちとら、鬱疾患自己マン研究、いまちょっとのところで、シス・カンの仕事が入って、こいつがおもったより手強くて、ひさしぶりにオモシロイのだが、二人芝居の稽古に入る前には片づける予定で~す。 

2021年8月20日 (金)

酸鼻歌・第20210820番

シよ 我らがシよ 私は「試練」というコトバが大嫌いで、自称Christianをやめました
シよ あなたにとっては玩具遊びのひまつぶしでしかナイような日々ではありましょうが
何故 エネエチケーのnewsは 毎日々々、新規感染者数と死亡者数を発表するのでしょう。状況の情報提供でしょうか それにしては退院者数はひとこともいいません。1020747人とかなりの数なのに
シよ 2021/08/19現在 入院者は18106人(在宅待機者東京都だけで6万人)現状の「在宅待機」は憲法(「医療法」)違反です
何故 政府 行政に対して訴訟が起きないのか ワカリマセン
政府 行政は罰せられるべきです
シよ 地獄が無いことは知っております
でも シよ いまから造ればいいのです
政府 行政 関係者を放り込むべきです
緊急地獄特設事態宣言を 行政 政府に対して発するべきです
シよ ヒトは命だけではなく 文化も青春も誠実も良心も みな奪われていくでしょう
こういう出来すぎた終末を私は忌み嫌います
シよ 私はあなたの口からだけは「愛」などというコトバは聴きたくナイ人種です 
シよ 塩持って来い
  

2021年8月17日 (火)

現象と事象

報道、news、media(メディアとは、情報の記録、伝達、保管などに用いられる、それ自体、あるいは物や装置などの媒体のことである)。で、報道にせよnewsにせよメディアは、伝えるものは〈事象〉でなければならない。たとえば、「爆発的に感染がつづいている」という報道は事象ではなく「爆発的」という表現が入り込んでいるので、この場合は〈現象〉という。昨今の報道、伝達にはこの〈現象〉、を交えた表現が多くみられる。「自らの命を守ることを優先して・・・」も、表現だ。そんなことをいうくらいなら「自宅療養の感染者は何処に避難すればいいのか」くらい具体的(事象として)いったほうがいい。「とどまることを知らぬ」とか「ノアの洪水のような雨が(と、さすがにこれはC教に遠慮していわないな)」そういうのは、円月殺法を破る方法を幾つか列挙しているようなものだ。たしかに田村狂四郎でも、片岡狂四郎でも、敵手は円月殺法の破り方に工夫をみせた。しかし、ことごとく失敗した。何故ならば主役が斬られてはハナシにならないからだ。ここでは敵手の工夫が如何にして狂四郎に粉砕されるかが見どころなのだ。唯一、半分成功した例があるが、この半分というのは、狂四郎の描く円に斬り込んださい(どうしても斬り込まなければならない、というのが、この殺法の恐ろしさなのだが)、わざと自らの剣を受け折らせて切っ先を狂四郎の胸(心臓)に飛ばすという、いわば相討ちの離れ業だったが、寸でのところで狂四郎はこれをかわした。しかし、腕胸には深手を負った。
いまのところ、これが結果的にもっとも円月殺法破りには有効だった。しかし、これにはかなりの鍛練がいる。海老原蔵人(片岡狂四郎の『円月殺法』「眠狂四郎 孤剣五十三次」を原作)は、薩摩暗殺部隊の隊長さんだから、最終回で倒されるのだが、彼の対円月殺法は、狂四郎の刀が下段八相から円を描き始める前に示現流でこれを仕留めるという、これはこれなりに合理的で、片岡狂四郎も困惑したが、決闘に使う場所の選定を竹林にするというのはミスだった。
と、ここまでは枕。
人類もCOVID-19に対して、これを破る手段をかんがえていないワケではナイ。東京ドームを集団接種会場にして、一気にワクチン接種とか、ともかくはワクチンということなのだが、場所はあってもまさに「打つ手がナイ」のが現状で、筋肉注射はあれはあれでそう簡単に打てるものでもナイ。また、「打ちたくない」ひともいるようだから、それはそれ自分の勝手(いうならば民主主義的自由らしい)なので、仕方がない。関係あるのかナイのか、民主主義はいともたやすくタリバンに負けましたけど。要するに「欲望」、やりたい放題のほうが民主主義より、すくなくとも男にとっては生き易いし、兵隊は男で明日死ぬのも生きるのも男なら、やりたい放題に加担したくなるのはアタリマエ。
「カクテル抗体」はワクチンに代わる決め手として、2020年にはまだ大量生産に入っていなかったのだが、他ならぬ治験で助かったのがあの前大統領のトランプなんだから皮肉というより腐肉というものだ。それが、いま使われてはいるのだが、なかなかCOVID-19ラムダ殺法も手強いようだ。しかし、現在のところ、今後の展望(展望はあるのだ)として
/COVID-19の長期化を見据え、国内外でより使いやすい次世代ワクチンの開発が急ピッチで進んではイル。たとえば、鼻に噴霧する注射不要のワクチンなどは簡単に製造でき安定供給しやすい新タイプのワクチンとしての治験が始まった。また、米国ではインフルエンザの鼻ワクチンが承認されている。
オックスフォード大学は、鼻に噴霧するワクチンの第1段階の治験を3月から始めている。アストラゼネカ製のワクチンと同じものを鼻に噴霧し、安全性などを確かめる予定で、動物実験ではウイルス量が減る効果が確認された。インドのバーラト・バイオテックや米メイッサ・ワクチンも開発。第1段階の治験を実施中とのこと。
国内では、三重大学や創薬ベンチャーのバイオコモが開発中。COVID-19遺伝情報を運ぶ別のウイルス表面に、さらに高い効果を狙うために新型コロナのたんぱく質を塗布する感じらしい。動物実験では高い効果を示しているが、未だ治験には入っていない。これは最終治験の治験者数を減らして速度を上げるらしい。
鼻から投与する鼻ワクチンの利点は注射不要で痛くない点だ。注射は緊張感からめまいや失神などの「血管迷走神経反射」を起こすことがある。私の知り合いに集団接種待合で倒れ、ストレッチャーで運ばれたものが在る。ほんとにあるんだなあ。私なんか週に二度、喉もとに注射してんだぞ。末梢血管を引っ掛けてドバッと出血することもあるぞよ。
さらに鼻ワクチンはみかけより高い感染予防効果が期待できるらしい。筋肉注射して抗体などを作り、全身に行き渡らせて発症や重症化を防ぐのではなく、鼻に噴霧すると鼻やのど、気管の表面の粘膜中に抗体が多くできる。粘膜から体内に侵入するウイルスをブロックし、感染防御できる可能性が高い。このほか経口投与ワクチンも、室温で保管でき、飲み込むだけでいい。これは第1段階の治験はすでに完了した。
次世代ワクチンに期待されるのは次々と起こるウイルスの変異にも対応しやすいタイプだ。果たして、COVID-19円月殺法が破られるのはいつの日かっ。(毎日電子版、他・参照、ただし、裏はとっていません。そんな方法なんか現在アリマセン)。

2021年8月15日 (日)

無学渡世・第二幕の12

ため息交じりでちょっと整理してみると、鬱疾患について私は次の二つのことを一発狙っているらしい。
・ともかく、かくなるワカラン鬱疾患という疾病のまま、それが原因、要素でなくとも死ぬのは癪なのだ。治らないことは重々ワカッテおります。いっとう最初の診察のアト、「この病気は治りません」といわれたからな。それでショックを受けたということはナイが、「なんか損したなあ」(イチバン損したのはいわゆる症状としてE.D〈勃起不全・射精困難〉になったことですナ〉という気になった。だから、この鬱疾患が「ナンで」あるのかは、自燈明。納得して死にたい。
・鬱疾患を精神病領域から離脱させて、力学的に捉えたい。何故なら力学には熱力学もあれば、散逸構造論も含まれる。それには、自然の本質を解く(説く)量子力学が便利そうだ。
便利そうだといっても、発展途上の最新科学において半可通の私の理解は一知半解でしかない戯言である。しかしまあ、それはいいやとかんがえる。ボーアやアインシュタインだってマチガエたんだからな。

そうそう「励起状態」という語彙が気になっていたので調べてみた。
/量子力学的な系の原子・分子などのとりうる状態のうち、最もエネルギーの低い基底状態よりもエネルギーが高い状態/だそうで、つまりそれが「粒子」と理解されているのか。ふーん。これ(「励起状態」)はこれでhintだな。たとえば、/量子力学的な系の原子・分子などのとりうる状態のうち、エネルギーのもっとも低い状態/を〈うつ状態〉とモデル化してみると、「粒子」である「励起状態」は/エネルギーが高い状態/という状態で、これはふつうにいう〈躁状態〉ということが出来る。私たちはいともたやすく鬱疾患の量子力学的なモデルを一つ、手に入れたことになる。
ここで/原子・分子/と断り書きがしてあるのは、ニンゲンのような生命体を生物として扱うとき、量子力学それ自体としては扱えないことをいっていることになる。シュレディンガーは量子力学には懐疑的だったが、彼の講演『生命とはなにか』はやがて分子生物学の基礎となる。原子・分子レベルまで拡張すると、身体として分析、解析が可能だということになる。鬱疾患をニュートン力学系ではなく、量子力学系の分子レベルで比喩、例示していくとどうなるのだろう。ここで、「励起状態」をもう少し詳しく、毎月、銭払っているウィキペディアでみてみる。
/量子力学において、励起状態は、系のハミルトニアンの固有状態のうち、基底状態より高いエネルギーの全ての固有状態を指す。励起は、光、熱、電場、磁場などの外場によって引き起こされる。励起により、基底状態にあった固有状態は励起状態へ、励起状態にあった固有状態はより高いエネルギーを持った励起状態へ移る/。

2021年8月12日 (木)

無学渡世・第二幕の11

/私たちは鬱疾患者は常にどこかで「私」と干渉(関係)する場合、何か「ズレた」感覚で干渉(関係)している/と、これが作用素を通過したoutput(出力)だとすると、そうして、これが「固有状態」だとすると、input(入力)したときも、/私は何か「ズレた」感覚で干渉(関係)していた/ということになる。しかし、入力したときの私は私でしかナイ。この矛盾は、/私→「私」と作用素で変容したことになる/、という「固有状態」の在り方の掟破りからきている。波束の収縮は入力のときにすでに「ズレた」感覚で起きていて、作用素(この場合ダブル・スリット)を通過したことになる。つまり、結果が原因を変えたということができるということになる。これは時間軸的には、ニュートン力学系では扱えない。
この/結果が原因を変える/というかんがえは、「因果」のまったくの可逆現象なのだが、いわゆる「遅延洗濯実験」として現在の出来事(事象)によって過去を変えることが可能になる、と大真面目に議論されたこともあった。それは、量子が波なのか粒子なのか未だ解決していなかったむかしのことで、実験そのものも、量子が波か粒かを検討すべき実験だった。これは実験そのものの中にほんのちょっとニュートン系力学が交じっていることの立証によって否定されているが、タイムマシンめいたmiracleもそのオマケだったといわざるを得ない。
ところで、あまり詳しくは解説出来ないが、「固有状態」で波束の収縮現象が観測されるのはシュレディンガーの波動関数においても、作用素の状態が「純粋状態」と称される場合のみで、「混合状態」ではそれは生じない。それには「密度行列」を必要とするのだが、また、量子を粒子として現象させているものは/電磁場の量子的な励起状態/という、私の手には終えないところ以上に量子力学は進んでいるのだが、あまりに鬱疾患から離れるとmemo程度が混乱してしまうので、その辺りの学習はここまで。
私のかんがえも、もちろん、そういうタイムマシンのような現象を肯定しない。けれどもこの入力と出力の関係を解消するのには、ここにおける一切のニュートン力学系を排斥しなくてはならない。たとえばそれは、電子が一個の粒子で飛んでダブル・スリットに入るときに波になり、スクリーンに到達するときに粒子となる、という運動そのものを否定してしまう(このボーアが提唱した相補性も実験で否定されている)。電子は発射されたときから波であり、粒である(これが現在は電磁場の量子的励起状態とかんがえられているソイツね。しかし、まあ、粒々のほうがかんがえやすいので、粒子ということにすると、作用素を通過するとき(ダブル・スリット通過の場合はハッキリと波というとイメージしやすいのだが)、そうすると、スクリーンに到達したときの痕跡は波束の収束なのだろうか。そもそも「スクリーン」とは何なのだろう。今一度問う。スクリーンの痕跡は波束の収束なのか。それとも電子と「スクリーン」との融合という現象でしかナイのではないか。鬱疾患という波は、どこで「ズレないで」重ね合わさっているのだろうか。鬱疾患の波の正確な重ね合わせは可能なのだろうか。これは/正確に波が重ね合ったとき、鬱疾患は終息する/という命題の解になるはずなのだが。たぶんスクリーンへの到達は鬱疾患の終息を意味しない。
さあ、いうだけいって、書くだけ書いて、ますます道のりは困難になってきた。聳え立つ断崖を眺めて私はそんな場所に立っている

2021年8月 8日 (日)

Revue  『名古屋で噺劇』

原則として、映画批評はするが演劇の批評はやんない。で、ありますから、これもrevueとは趣がチガウとおもってもらってけっこう。
円頓寺レピリエ2021/08/07/13:00公演の『名古屋で噺劇』。桂九雀師匠が落語をお芝居に仕立てなおしたもの。演目は『星野屋』『芝浜』『三味線栗毛』。演題については、ネタ帳に記された先の演者のネタのメモがそのままタイトルになったもので、よって江戸落語などは奇妙なタイトルが多いたとえば『ぞろぞろ』『だくだく』、なんのことだかワカラナイ。上方落語も要するにネタ帳のメモなのだが、今回の『三味線栗毛』などは五文字で三味線と馬の噺だと見当はつく。ただし、私は初耳。武家の三男坊部屋住みがあんなに遊蕩していたとは信じ難いのだが、まあ、噺だから。
『芝浜』は三遊亭圓朝の三題噺が原作ということになっているが、かなり多くの別の説がある。どころか、この演目については出典も諸説あって、いつ頃、現在形になったのかもハッキリしていない。上方では場所を住吉の浜に置き換えて演題もチガウ。江戸落語としては三代目桂三木助が1950年代に演じたバージョンは特に高名と評されているのだが、これについてはまたまた噺家仲間でも評価が分かれる。主には二つ。まず『芝浜』或いは住吉の浜の情景についてなのだが、これが口頭の噺としては描写しにくい。三木助は冒頭に「明ぼのや しら魚しろきこと一寸(いっすん)」という句を挟むという独自演出をした。この演出には、落語評論家として知られ三木助と親しかった作家の安藤鶴夫がブレーンとして携わったと言われている。これが気にいらなかったのが、談志家元で、「三木助さんの芝浜は好き嫌いでいえば嫌いでした。安藤鶴夫みたいなヤツのことを聞いて、変に文学的にしようとしている嫌らしさがある」とコメントしている。(家元はことあるごとに安藤鶴夫の悪口書いてるからなあ)。五代目古今亭志ん生や三代目古今亭志ん朝は、あえて芝浜の風景描写をしない。慌てて戻ってきた魚屋が財布を拾ってきたことを女房に語り聞かせるだけで、その理由について、志ん生は「三木助の芝浜は芝の浜のくだりが長すぎて、あれじゃとても夢と思えねぇ」ともいったという。私も高座でライブを観たことがあるが(演者は忘却)芝浜がどんな場所であるのかはさっぱりみえなかった(つまり、財布を発見するまでが難しいのだ)。ここを『噺劇』では、魚屋が早朝(明け六つ)眠気を覚まそうと顔を洗うというnaturalな演出と、みつけた財布を煙管で手元に引き寄せるという微細な演技で上手く絵にしている。財布の中身は五十両なのだが、昨日芝居を観るまで二分銀(金)だとは知らなかった。そういうところを含め、仕種の微細な演出が噺を絵にしているところは見事だとおもう。とかく『芝浜』のような人情噺は江戸落語のものなので、characterがはっきり目でみえる芝居に仕立てるとけっこうオモシロイ。そのニ、女房が財布の夢を夫に嘘だと明かすplot。ここは「祝いにお酒でも」とすすめる女房を前に、酒を口許まで持っていって静かに置き「いや、やめよう。飲んだらまた夢になる」で、噺はオチなのだが、これはもう、演者のcharacter頼み。噺ではいくら名人(たとえば六代目三遊亭圓生)が演じても、この女房は無理だと私はおもう。さほど難しい役ではナイのだが、女性にしか出来ない原性的ジェンダーというものも在るのだ。
〈夢オチ〉で有名なのが『ねずみ穴』だが、このオチを、弟「ああ、夢で良かった」というのに、兄「俺もそうおもう」でオチにするのはどうだと談志家元が語っていたことがあるが、これにはゾッとした。
演目にもよるだろうが、足のある『噺劇』はかなり役者も鍛えられる、すこぶるオモシロイ分野だと「ほおお~っ」と思いの外感心した。

2021年8月 7日 (土)

私の識っているCOVID-19Δ株とワクチン・情報

各事象において数値はいろいろですから、こういうときは大雑把にワカッテいたほうがイイような気がするので、おおまかに書いておきます。
・デルタ株に対するワクチン接種(二回)効果は、感染防御としては非接種者とあまり変わらない。つまり、〈うつす・うつされる〉のは同じくらいです。
・デルタ株に対するワクチン接種(二回)効果は発症についてはかなり低下する。とはいえ1万人に一人程度は発症することがあるようです。(感染しても発症するのをブロックはしている)
・発症しても、デルタ株に対するワクチン接種(二回)効果の重傷化は極めてブロックが強い。とはいえ、まったく重傷化しないワケではナイ。(つまり、これがワクチンの最大の強みですが、なにぶん、くじ引きのようなもんですから、ハズレもあります)。
なんつうか、リスク度からみれば、ワクチン接種はしておいたほうがイイです。
が、この接種にもちと問題がありまして、昨今、筋肉注射はあまりやらないので、不正確な注射が意外にあるということです。ひどい副反応の原因は、注射の角度、位置のマチガイからくるものもけっこう多いようです。
毎年influenzaやその他のワクチン接種を行っているかかりつけ医師のほうが安全・安心のようです。集団接種でも、そのために訓練を受けた看護師の接種のほうが正確だということです。
さて、効果寿命は、つい先日モデルナが、/自社ワクチンの抗体寿命は半年/と発表しました。ファイザーは未だモニタリングの結果を公表していませんが、半年は確実のようです。
・軽症、中症に対する経口治療薬は「開発中の経口抗ウイルス薬・MK-4482」ですが、/第3相試験の最終データは今年9~10月に得られる見込み。良好なデータが得られた場合、各国の規制当局と相談の上、承認申請する。/これはたぶん「緊急特例」として承認されるでしょうから、(日本ではシオノギ製薬他二社)あたりから早ければ年内にお目見え、デルタ株にも効果在りです。頑張りましょう、自宅闘病の方々。

2021年8月 5日 (木)

賛美歌・1

我らがなのか誰なのか知らぬが主よ
/憐れみたまえ/などとはいいません
この国のニンゲンの死に lyricismが消えました
きょうから汝の子は 狂気の沙汰に まきこまれるでしょう
願わくは 黙って お笑いのほどを

我らがなのか誰なのか知らぬが主よ
/憐れみたまえ/などとはいいません
この国のニンゲンの死に humanismが消えました
きょうから汝の子は 狂気の沙汰に のたうちまわるでしょう
願わくは スプーンに水を一杯 それでよろしいのです


捕) 感染者、疫病患者は、ふつう隔離となる。それが自宅(つまり、家族がいるか、あるるいは独り暮らしか、そんなことはどうでもよく)、巷間に拘束するというのが、常識的に為政者のすることなんだろうか。と、上記のうたを書いたが、そのアトすぐ、毎日電子版で中村文則さんの呟きを読んで、なんとまあユング的などとおもいつつ、不安の種子がよくワカッタ。ところで、中村さんの最新刊『カード師』は、ブック・オフでは引き取ってくれなかった。(たいていのfictionは読んだらすぐ売ってしまいます。スンマセン中村さん)。えっ、これ新刊だよ、と、理由を訊いたら、「ここです」と担当の従業員が、カバーのニミリほどのヤブれを指差した。そのなんだか理不尽な心情と、この国の狂いどころが同じような気がして胸騒ぎだけ、した。

2021年8月 3日 (火)

無学渡世・第二幕の10

/漠然としたイメージをいってしまえば、鬱疾患は波の重ね合わせが〈ズレ〉ている状態のようにおもえる/。という文言は、イメージをいっているだけなのだが、やや気になる矛盾で、今後もこういうドクサ(doxa、本来、ギリシア語で「考え」を意味する語。後に様々な意味で解釈された。プラトン等の古代ギリシア哲学者は哲学用語として使用し、またロラン・バルト等は文化批評用語としてこの語を用いた。 日本語では、臆見(おっけん)、思惑(おもわく)、思いなし等と訳され、「思い込み」という意味で理解される場合が多い。私の場合、「思いつき」としても用いている)は、今後もちょいちょい出てくるだろう。訂正しなくてはとおもえばそうするがど、量子力学に近似(或いは相似)的表現のある場合に、hintをmemoしていると読んでもらわないと、仕方がナイ。なにしろ雲を掴むような按配で鬱疾患の本質に近づこうとしている「とんでも鬱疾患者」のブログなもんだから。が、しかし、
たとえば、此度のCOVID-19禍に対する為政者の最初の対応(対策)は「マスク二枚」の配布だったことを忘れている方々も多いでしょうけど、じゃあ、現政権(為政者)がCOVID-19禍に取り組んでいること、国民のためにヤッてる行政というのが「マスク二枚」とどんだけ差があるのかと、ふとかんがえると、ぜんぜんチガワナイような気がするのだが、(というかついに重患以外は自宅放擲・・・待機なんて出来るのかよ、になっちまった)けっきょくのところ、ワクチンの効感染効果が95%(ファイザー・メッセンジャータイプ)からウイルスのデルタ株変異によって64%(これはイスラエルのデータだが、CDCのデータはもっとキビシイようだ)に低下して、やっぱりマスク二枚にもどっちゃったじゃないかと、ブレークスルー(突破型ウイルス)だかなんだか、古今最強のウイルスに変異することは感染学、疫学的にも初めてのことだから、「マスク二枚」もひょんなことから、今頃になって箪笥の引出しから取り出してる家庭があるかも知れない、なんて、皮肉を交えていってしまえば、ただただ、私のような「とんでも鬱疾患者」の論理など、その程度のものかも知れない程度の自嘲というものではなく「瓢箪から駒」くらいの価値はあるのかも知れないじゃないかと、妄想的希望はもっているのだ。
この「波の重ね合わせのズレ」、状態ベクトルになりきっていないけど、そんなふうな波束の収縮、このイメージだけのケッタイなシロモノをもう少々追っかけると、ダブル・スリットの実験において、たとえば電子などは、一個の照射でポツンとスクリーン到達しても、ダブル・スリットを通っているからには干渉(波の重ね合わせ)を持っているという、量子力学特有の(ニュートン力学系ではかんがえもつかない)ことが生じる。つまり電子の粒子一個は、一個でも干渉する。何故なら波でもあるから。この波、ここでは電子という粒子としてかんがえてみているが、一個の粒子はダブル・スリットを波動で通ったことで干渉を起こしたことになる。この干渉をもちっと身近に「関係」といいなおしてみると(さらに電子を私と置き換えてみると)どうなるか。/私は私というものと干渉(関係)した/になるんじゃナイか。
で、その「関係(干渉)」で私は「私」をどんなふうに感じ取ったかというと(その「感じ取り方」というエラク簡単ないい方でいってしまった「感じ取り方」それそのものが、鬱疾患的症状だといえるのだが)それはmentalなものでなく、けっこうphysical(身体的)なもので、たとえば、現在鬱疾患者(うつ病と診断されたものと称してもいいが)の七割が〈痛み〉を身体の何処かに感じている(訴えている)ということが統計的にワカッタている。(十年前の統計では4割だったが、最新の統計では七割だ)。これは年齢とは殆ど関連性はナイ。
この、私と「私」が関係した出力(干渉)の形態は、鬱疾患に関してだけいえることではなく、常人(健常者)にもいくらでも普通にいえることだ。いわんやまたhintになるが、/私たち鬱疾患者は常にどこかで「私」と干渉(関係)する場合、何か「ズレた」形態、感応で干渉(関係)している/。

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