無学渡世・第二幕の6
結論を手にして行っている作業ではナイので、前述した部分もいくぶんかの書き直しを含んでいることを断っておく(面倒でも読み直してくなはい)。けれど、
/ココロの状態が精神病疾患で包括し得る脳内物質の変調ではない/
このあたりまでは打率三割で進んではいるようにおもえる。
この命題は「因果関係」についていっていることになる。いい方を換えると
/鬱疾患(ココロの状態)⇒結果は、精神病疾患で包括し得る脳内物質の変調が⇒原因ではナイ/ということだ。このように「固有状態」という状態は、因果律を否定してしまう。
物理学に限らず、医学や経済学や心理学でも、「原因に法則が作用して結果を生じる」と考えるのがニュートン力学の常識的な論理だ。この「原因→法則→結果」の形式は、「入力→作用素→出力」と一致している。ところが、固有状態というのは、原因(入力)と結果(出力)が一致する状態だから、これは、「因果関係」という枠組からみると(ニュートン力学的な論理からみると)系外の事態が生じていることになる。私たちの自然感覚、自然観察、環境実感からみるに矛盾としかいいようはナイ。けれどもこの/系外の特殊な状態/である「固有状態」は、量子(力学系)世界では「普通の状態」の常識な世界、自然なのだ。
鬱疾患という「固有状態」は、ニュートン力学世界の因果律では捉えられない「普通の状態」であるというparadoxな状態だ。
/「矛盾」が「普通の状態」/、それは、どんな「状態」なのかと問うとなにやら奇妙な感じだが、実際の鬱疾患においては、これは「いい得て妙」「当を得ている」「的を射ている」こんなふうに鬱疾患は苦悩する。しょうがナイ。ニュートン力学系の世界に生きて、量子力学系の世界感覚に放り込まれているのだから。
私たちは、従来の物理学(精神医学)⇒が発展して⇒量子力学(鬱疾患)に辿り着くのではなく、それまでの常識を捨象して、精神医学(科学)によって鬱疾患を探求、学究、研究するのではなく、鬱疾患によって精神医学を解くという、まるで上段の構えから下段八双脇構えに姿勢を転じる覚悟を強いられる。あたかもミシェル・フーコーが『狂気の歴史』で論じてみせたごとく、これはいってみれば、paradigmの転換だ。夢野久作が『ドグラ・マグラ』で「脳はものを考えるところに非ず」という命題を提示したのとおんなじやんけ、の世界だ。うん、オモシロイじゃないか。私たち鬱疾患は、いったいどんな「状態」に在るというのだろう。
コネコネとちっちゃいことをいっていても埒があかない気配がするので、ここはこういっておくのが妥当だろう。
/ナニカワカランものが、相転位された「状態」を鬱疾患という/
たしかに、識り得る限りではプラズマのような「状態」に転位しているようにおもえるか゛プラズマは物体、物質でもある。けして「状態」だけの存在ではナイ。鬱疾患ガプラズマ現象だと断定、定義、命題化しているワケではナイ。
たとえば、「明日」という日がどんな日になるのかワカッテ私たちは今日を生きているのではナイ。ある程度の経験と想定のもとに「明日」におもいを馳せているだけだ。この先どうなるかワカラナイ位相に私たちは常に存在している。これは不条理だが、だれも毎日の暮らしが不条理だと了解しているワケではナイ。「さほど、たいして変わらんだろう」という、根拠はナイがワカランのだから心配しても仕方がナイ、が日常として定着しているだけだ。ニュートン力学系においては、「原因→法則→結果」の定義は変わらない。この日常もそういう世界だから、私たちは結果も知らずに単に原因だけを生きていることになる。ところが鬱疾患はそれを赦さない。
目の前にあるリンゴが食べたいのに腕を動かす意思が極めて薄弱な場合があるとする。そういう場合、私たちはその原因をかんがえる。痺れでもきれて手が動かないのか、否、動かないのは手を伸ばそうとする「こころ」のほうだ、と、気付いたとき、私たちは少なくとも身体の異変を感覚的に捉えるだろう。リンゴは食べたい。そうしてすぐ手の届くところにリンゴは在る。であるのに、そこまで手を伸ばそうとする意思がどういうワケか想起しない。そのままだとリンゴを食することは不可能だ。手を伸ばせばいいのに。伸びるのに。なぜ、「こころ」は〈手を〉動かしてくれないのか。まさに鬱疾患の症状(「状態」)はこれだ。
ここで相転位されているものはなんだろう。いわずと知れた「自己」だとしかおもいあたるものはナイ。自己が自己ではナイものに転位してしまっている。「原因→法則→結果」「入力→作用素→出力」が固有状態に転じている。リンゴを手にすると何か良くないことがあるのか、リンゴを手にしないほうがイイ理由があるのか、逡巡でも躊躇でもナイ。「ワカラナイが、そうなっている」だけが鬱疾患だ。
ところで、戯曲塾をヤっているとき、シュレディンガーの猫についての「固有状態」の「盲点」を述べた塾生が在った。
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