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2021年7月 5日 (月)

想想不一(しゃんしゃんぶーいー)10

都議選が終わって、あんまり予想通りだったので驚いたが、敗者は予め「敗者の弁」は準備しておくので(もちろん表向きにではあるが)、これも予想通りの部類だったが、しかし実際聞いてみると、あまりにも/ぬけぬけ/としているのには都民ではナイが腹は立った。
かつて、南郷継正(いまのことは知りません。なんや門下がオカシクなってる噂は聞きますが)は『勝負論』で文章はこのコトバどおりではナイが、「勝負とは生(きる)か死(ぬ)かのことだ」と述べてらしたが、南郷老師の弁証法の程度がどのようなものかは別にして、(師である三浦老師の弁証法にしても、それ自体は頷けるが、他の思想批判に対しては首を傾げるところ、多かったからナア。とはいえ、私も『弁証法とはどういう科学か』から始めた手合いですし、三浦老師にはやっぱりいろんな意味で勉強させてもらいましたので)、負けても死なない政治の世界なんてのは、謀議謀略の世界であって、勝負の世界じゃナイよねえ。
都議選が予想どおり、というのは誤解されるとアカンからいうておきますが、もし、あれが茶番劇なら、立派な茶番劇で、storyもplotも従来どおりだということです。やつがれなんぞは演劇もんなので、あんなふうな結果は予想、というより芝居に書けたというているのであります。どなたに遠慮してか、メディアは適当順当なことしかいうてませんが、頭のいいひとというより、ふつうのひとは、「予想どおりだねえ」なんて、なれない東京弁で速報観ていたんじゃナイですかね。

民主主義のイチバンのマチガイは、選挙で「一人一票」のところです。私は選挙法は改正して、せめて「一人100BET」のギャンブル投票制にすればどうかとおもっている。
BETの意味は〔金・命などを〕賭けることだが、立候補者に対して、ルーレットの枡目にチップを置くように、100BETを分けて賭けるのだ。
たとえば、自民は阿呆が揃っているので、アメリカ合衆国の小判鮫していたら安心だろうから、これはもう安全パイのつもりでチップ10枚。穴狙いなら、キョーサンとリッケンに30枚ずつ。コーメイは小判鮫のフジ壷やからまあ、お情で5枚。残りはなんかオモロイことヤラヘンかなでヤマモト新セン組。
もちろん、選挙の勝ち負けはチップの多さで決まる。これだと無党派連中にもオモロイのやないやろか。
もちろん、勝負の世界ですから、ケツから何人かは「死ぬ」ことになる。

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