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2021年7月22日 (木)

無学渡世・第二幕の7

「ボクは今年、高校を卒業したばかりで、理系ではなく、数学も数Aでしたから、オカシナな質問になるかとおもいますが、シュデンガーの猫も高校三年のときに理系の数Ⅲの友達から聞いたことはあるんです。そのとき、その友人に質問したら良かったんですが、数Ⅲからみたら、なんかアホな質問になるんやないかとおもうて、しなかったんですが、塾長ならうまいこと応えてくれはるかとおもうて、訊くんですけ・・・」
「ほな、オレはアホか」
「いえいえ、そんな、でも、ちょっとはそういうとこ、あるから」
「まあ、ええわ、いうてみ」
と、その未熟なのか不躾なのか、塾生は語り始めた。私は塾生との質疑応答はしないことにしているのだが、どういうワケか、その場はそんな雰囲気になってしまった。
「シュデンガーの猫がどないやて」
「はい。数Ⅲの友人のハナシでは、猫の生死は五分五分で、つまり半分生きて半分死んでる猫が蓋を開けたら出てくるとかいうとったんですが、ボクはその五分五分はオカシイんやないかとおもうたんです。それやったら、たとえば、四分六なら、どうなんねん、三七ならどうなんねん、丁半博打の壷の中のサイコロも、開けてみんことにはワカランけど、博打やから丁半五分五分に出てきます。しかし、出てくる賽の目が半分丁で半分が半みたいなことには絶対ならんワケやから、猫の生死が五分五分ということは、生きて出てくるときが半分、死んでるときが半分というのが正しいのやないかと。半分生きて半分死んでるというのは文系のポエムなら通用するけど、理系では通用せんやろ、そら、シュデンガーさんが、量子力学はアテにならんと身を引いたのも道理やとおもたんです。塾長、どないなんでしょか」

お復習いのつもりで書いておくと、シュレディンガーの猫とは、フタ付きの箱の中に
① 「猫一匹」と
① 「1時間以内に50%の確率で崩壊する放射性原子」と
② 「その原子の崩壊が検出されると青酸ガスが出てくる装置」
を入れた場合、1時間後には「生きている状態と死んでいる状態が確率が50%なのだから1:1の/生死の重なり合った状態の猫/」という不可思議な存在が出てくるのではないか、という思考実験だ。

ほんらいは、量子力学の「波の重なり合った状態(波束の収縮)」はいつ起こるのか、に対するシュレディンガーからの批判なのだが、昨今では確率50%では確率にならないとか、「何事もやってみなきゃワカンナイ」みたいに誤解されている。
この塾生の疑問はもっともだ。/生死が重なり合った状態/とはなんぞや、そんな面倒なことをいわないでも、生きてるのが出てくるのと死んでるのが出てくるのだったら、それも確率50%ではないかと、この塾生は疑義を申し立てているのだ。
「あのな、シュデンガー、正確にはシュレディンガーだけども、このひとのいわゆる「猫」の思考実権は、量子力学の確率論(重なり合った状態)の完全な「解」ではなくて、いうてみたら未だ途上なんや」
「途中なんですか」
「そうやねん。きみのいうように、/生死が重なり合った状態の猫/はオカシイというのは、どこがオカシイのやろ」
「数Aではワカリマセン」
「私、塾長は数ⅡBや。それでも、こういう疑義はいえる。/生死が重なり合った状態の猫/がよしんば存在するとして(ほんらいの思考実験では蓋を開けたときにしかワカラナイ)そんな猫が箱の中で「いつ」造られるのか」
「そうですね、そうですワ。数Aでもワカリマス」
「シュレディンガーの量子力学に対する反問もそこにあったんや」(「密度行列」という作用素を用いなければ、波束の収縮は完全に答えられない)
で、これは鬱疾患についての思考の思案の試行だから、塾生の疑義から、入力→作用素→出力だけでは、鬱疾患の固有状態についての「解」は得られないとだけ賢くなっておこう。もちろん、問題は鬱疾患(入力)が鬱疾患(出力)としかならない作用素の在り方だ。
(ちなみに波動方程式はニュートン力学における方程式なので、「確率」という概念は含んでいない)。


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