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2021年7月30日 (金)

無学渡世・第二幕の9

やっと雷が終わった。
で、PCの電源を入れる。それまでEuropeのいつものように凝った暗いミステリを観ていた。観ていたけどかんがえていた。
直近の悩み。このような鬱疾患に対するブログを書いていることや、他に鬱疾患に対して抵抗しているつもりで日々営為していることが、それ自体が鬱疾患の病理独特の〈躁転〉ではないのか。鬱疾患への抵抗か、鬱疾患それ自体の変貌か。その判断はどうすればイイ。どこで線を引けばイイ。これは〈本質的〉な鬱疾患からの攻撃のようにも感じた。
そこで、思考停止。ビデオを観ていてふと思いついた答。こういうものは、けっきょくinspirationから飛び出す。
Answer=「半々にしておこう」だ。抵抗営為半分、病理反応半分。/前者でもあれば後者でもある/で、充分だろう。でないと進めない。進んだほうがよかろう。丁度、量子が「波でもあり粒でもある、ワカラナイもの」(これ、現在の量子に対する定義)なのだから、現状の脳裏脳髄の思考試行状態を、ともかくもフッサール現象学的にエポケー(判断停止)いわゆる「カッコに入れる」ことにして、で、現象学的還元に進むかというと、さほど面倒なことは避けたほうが望ましいともおもうので(フッサールおよび現象学においては、エポケーとは現状の命題(ここでは判断しかねる問題に該るが)を文字通り「カッコに入れる」ことを意味する。すなわち世界(ここでは主に脳内の思考)内的現実と環境世界についての関係における信念(或いは疑義・迷妄・思い込み)をカッコに入れる。ただしこれは世界の実在を疑うという意味ではない。現象は起こるにまかせ、そこで現れているものの非・実については判断しないということである)要するに前述したように、「AでもありBでもあり、半々であってよい」ということだ。

さて、鬱疾患の喩として、あるいは客観的な近似として方法的に用いている量子力学(ただし、半可通だから自己流学識だからネ)から、状態ベクトルを鬱疾患の考察に使うことにする。状態ベクトルというのは「波の重ね合わせ」のことだ。数学的にはベクトルの合成と同じとおもってもらってもイイ(と私はおもっている)。そうすると鬱疾患という状態が逆にベクトル化出来る。簡単にXとYの関数グラフにしてしまうことも可能だ(波動関数は一次関数、線型代数です)。そこでは鬱疾患が精神病理学問診のように、心的要因、外的要因、内的要因の何れかに当てはめて論理を進めるということはおそらく意味のナイこととなる。波動関数は複素数なので、虚数(二乗したものが(-)になる数)を含む。そこでは要因が心的であれ、内的であれ、外的であれ、その乗数が(-)になる要因の存在はかんがえられない。 
漠然としたイメージをいってしまえば、鬱疾患は波の重ね合わせが〈ズレ〉ている状態のようにおもえる。「固有状態」が作用素を通過して同じ状態で出てくるはずが、微妙に或いは、かなり〈ズレ〉ているのだ。これはもちろん作用素に問題がある。そこで、作用素に「行列」を用いることにする。量子力学でいう「密度行列」なのだが、数学で用いる行列と同じように行列をつくる。この作用素を常態が通り抜ける。この入力に対して鬱疾患が出力されるとすれば、作用素の状態が「混合状態」であれ「純粋状態」であれ(つまり「密度行列」だとすれば)、波動関数にすらこだわらずに、入力→作用素→出力をもちいることが出来る。まあ、ともかくは、現状はさまざまにhintを並べているのだ。

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