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2021年2月27日 (土)

無学渡世・十

『映像配信』を終えて、あの作品の中には絵本、童話にするつもりだったハナシが三つあったのだが、(10本ばかり書いたが出版社においてはすべて没になった)『ホノアノコ』はタイトルの意味がワカラナイという編集者の意見があって、登場人物の名前だということは読めばワカルことなのに、昨今、コンビニに行けば、このての名前のお嬢さんはいっぱい働いているのだ。それが読めないというのは出版不況は、出版社不勉強といいなおしたほうがいいのではないかとおもう。
『夜とおひさま』については、事情でカットしようとおもったのだが、出演者の熱望で三人で語るというカタチになった。このようなfantasyは、やはりいまの編集者には編集者に〈fool〉とrubyでもフルほうが適宜かともおもう。
『ドブ記』にいたっては、本職の絵本作家から、「子供の絵本(童話)としては・・・大人の童話なら」という叱咤激励ご鞭撻を頂戴したが、私は、こどものための童話など書いたことはなく書くつもりもなく、幼童時代(つまり子供のときだ)、ワケもわからず父親に毎日の如く殴られていた我が身を慰めるのは、『クマさんのジャム』では事足らなかったというしかナイ。日本における傑作は佐々木 マキさんの『やっぱりおおかみ』だとおもうし、絵本という表現の概念をくつがえしたのは、クリス・ヴァン・オールズバーク『ハリス・バ-ディックの謎』だった。まるで武宮宇宙流(囲碁)で囲碁に目覚めたものの運命である。(相米慎二さんも武宮さんのゴルフ友達時代にそうだと述べている)
ああ、笛吹けど踊らぬものよ、汝らには、この世界がニュートン力学と量子力学の二重構造になっている理由など、まるでワカッテいないのだ。(私にもワカラナイけど)
しょせん「映像配信」とは、像を映したものに過ぎぬ。これだけは身に沁みて此度、理解したつもりだ。
子供の頃は、それでも、将来は野球選手にとか、いまじゃサッカー選手にとか、あるいは作家にとか、画家にとか、いろいろと夢があったが、すでに人類の時代(というものがあったにせよ)はアト30年ももてばイイというのが、私の算盤勘定だから、若者よ、子供たちよ、将来の夢など持つな。いま生きる野心を持てっ。
おまえたちが寝ているその柔らかいベッドは、実は、骸骨が担いでいるのだ、くらいは心得ておいたほうがイイ。絶望はこれから始まるのだから、それに備えよ。希望はパンドラの箱のごとく、絶望の底にしかナイのだから。

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