珍論愚談 4
「そりゃよう、ニイちゃん、あっしにはね、あんた嘘ついてるような気がしてんだけど、そこんとこ、どうなんでえ」
「ウソ。うーん、でも、お芝居のシーンですから、fictionですから」
「いや、いくらお芝居たってもよ、そのなんだ、癌で死んだ姉さんのモデル。そうそう、ニイちゃんの兄貴分に袖にされたネエさんてのは、うんと若死にで、ヘアスタイルもちがって、もっと小柄で、きっとカーディガンか何か着ていてよ、小顔でさ、slenderてのかい、からだつきがよ。で、指が白くてさ、睫毛なんか長くて眼はやさしくて、ちょっとキツそうな口のききかたすんだけど、大阪弁だからな。で、笑顔がまたなんつうかcharmingての。難しくいうと蠱惑的とかいうんだろうけどさ。まあ、なんだ、coquettishとかいうんだってな、そういうの。そいで、そんな女のひとがさ、凝っと、じっとだぜ、沈んでゆく夕陽みながら、田んぼの畦に立って、身動きひとつしないで、白い指の拳を握って、もちろん、泣きもしない、涙ひとつみせないで立っていて、たぶん、癌はほんとだったんだろけど。それで、ほんとは泣いてたのは、だいどこの竈の陰からそれを観ていたニイちゃんのほうなんじゃナイのかい」
クマゴロさんは、火のついてない煙管で膝を打ちながら、ギロっとニイちゃんを観た。
「なんで、オレが泣くんですか」
「てめっ、このっ、バカヤロウっ、好きだったからに決まってんじゃないかよ。その年上のネエちゃんのこと好きだったんだろ。そだろ。ちぇっ、高校生てのは、出逢う女にはみんなちょっとは惚れるっていうくらいヤカン、いや、多感だっていうじゃないか。いや、おいらにも覚えはあるよ。そうなんだ、こんちくしょう。てやんでえ、惚れてたんだっ」
「でも、オレはあのころ、ガッコのほうに好きなひといましたよ」
無表情に、いたって冷静を装っているニイちゃん。
「それはそれで、これはこれよ。世界の真ん中に女は独り、なんてこたあ、ねえんだぜ。そんなイイ女をよう、棄てて逆玉の輿に乗りやがった兄貴分が憎かったろうなあ。いや、いまでも憎んでいるんだ。でなきゃ、そうい芝居のあんなシーンは書けねえよな。しかしなんにも出来ねえ、してあげられねえ。哀れ十六、そうそう、ニイちゃん、おいらより年上なんだってなあ。おいらやっと年金暮らしだもんな。で、せいぜい、そのネエちゃんのことおもって、masturbationするくらいだよなあ」
「あの、オレ、そっちのほうは奥手で、Onanieはまだヤってなかったです」
「あれっ、そうなの。おいらなんか、その歳じゃもうとっくにホンモノと。だって、元服過ぎてんだから」
「でも、そういう気持ちでもなかったヨウナ記憶があるんです」
「そういうのをスケベでないのを〈純愛〉というのよ。てめっ、こらっ、純愛だよっ」
しかしニイちゃんは〈愛〉というものがワカラナイで生きてきたのだった。
「またまた、そう来るんだよな。けどよ、クマゴロさんには定義出来るぜ。愛とはおまんこのことだぜ。それ以外ないのよ。男と女にはそれしかナイの。生殖以外におまんこするのはヒトだけなんだぜ。生殖、つまりガキが出来るというのは、ありゃな、ヒトにとっては目的じゃねえの。結果なの。だからな、女が男に~あんたの子供が欲しい~って殺し文句いうだろ。ありゃな、~あんたとの結果が欲しいっ~っていってんの。天地万物の真理の結果だっ」
ニイちゃんはおもう。おもいだす。純愛でもなかったがスケベでもなかった。しかし、あの哀しみはなんだったんだろう。
「精神疾患としては、一種の自己愛の変容でしょうね」(精神科医、語る)
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