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2020年12月

2020年12月31日 (木)

珍論愚談 11

大晦日鼎談
クマゴロ「いや驚いたね。客がよ、接客従業員に~マスクを外せ~と命令だかんな。で、みなさん、クラスターだからな。
ご隠居「まあねえ、スガが何回も会食してるってニュースもありましたがね、あっちは仕事ですらな。多少の同情の余地はある。って、あのひと、いよいよ〈ウイルス〉について書かれている本、買いにいったらしいから、ガキを褒める程度には褒めてあげてんだけどね。
ニイちゃん「私は、かつて『血と青空』書いたときに一度勉強しましたから、最近買った宮坂老師の『新型コロナ7つの謎』もよくワカリました。戯曲とか小説は新しいのを書く度にいろいろ資料にあたりますから、勉強になります。銭になってくれるとかなりありがたいんですが、まさに有り難いことですけど。
ご隠居「最近の若い劇作家はすぐにウイキひらきますからねえ。
ニイちゃん「私もかなり開きますよ。あれだって、もう死語になってますけど、ネット・サーフィンやっていけば、けっこう勉強になりますよ。
クマゴロ「おいらはニイちゃんには同情するよ。出る杭はなんとやらで、毀誉褒貶どころか、名古屋なんかじゃネグレクトされてるって聞いてるよ。
ニイちゃん「名古屋にいるから、まだマシなんですよ。東京は、別役さん亡くなって、唐さん、療養中だし、継ぐはずの連中は東京は棄てて地方に拠点を移してますから。少なくとも東京の小劇場演劇は壊滅しました。名古屋はけっこう若いひと大勢ヤってますよ。そういうひとたちにとってもCOVID-19はキツイだろうなあ。大村知事リコール運動ヤってた美容整形外科の大御所は不正がばれてヤメちゃったし、河村(名古屋市長)なんか金糞(金魚の糞のこと)派は、どうすんのかなあ。庶民の味方ぶって名古屋(河内+三河)弁でのらくら「なんもしとらんがね」なのかな。
クマゴロ「アメリカの大統領選挙、たいへんだったよな。
ご隠居「しかしまあ、合衆国というのはあんな国なんだと、ますますよくワカッテ、なかなかトランプもその点では褒めてあげますよ。
クマゴロ「小劇場壊滅どころじゃねえよ。首都直下に始まって南海トラフはもう数年以内だってんだから、日本壊滅じゃねえのかな。
ご隠居「日本壊滅が何ですか、もう始まっている氷河期で何人生き残れるかしりませんが、わしなんか数百年なら生き残っちゃうけどね、どっちみちヒト科のチンパンジー、オランウータン、ゴリラ、われわれは絶滅までアト数百年といわれていますからね。囲った妾はみんな婆ぁになったし、絶滅ですなあ。
クマゴロ「なんだか、みんな絶滅でござんすか。絶景かなッ絶景カナッだねえ。
ニイちゃん「絶滅の絶景の中で独りポツンと立っている。冬眠から目覚めてしまったムーミンみたいにね。
ご隠居「いや、立っているだけじゃなくて、
クマゴロ「そこで、いっぺえヤルと。
ご隠居「そうそう。桜なんてケチなもん観るより、イイ酒だねえ。
ニイちゃん「最近はかつての時代劇、活劇をDVDビデオで観てるんですが、女優さんなんかはいまじゃ殆どオレより年上なんなんだなあ。或いは物故。ニュートン力学世界は非情だなあ。
クマゴロ「~あなたの過去なんかどうでもいいわ~なんて殺し文句使えねなな。過去なんてのはナイんだけど、将来もナイからなあ。
ご隠居「いや、いいですなあ。希望なき未来ではなくて、未来なき絶望。
ニイちゃん「なんて明るい絶望なんでしょうねえ。まさにいまを生きてますねえ。
というような、穏やかで和やかな雰囲気で、読者、賢(兄・弟・姉・妹)のみなさま、
/どうでも「よい、お年」を/

2020年12月29日 (火)

無学渡世・五

アベのころ(時代などというのは烏滸がましい)から、スガのいまもなおコロナ対策について「専門家の意見も聞いて(訊いてではナイはずだ)」というのが常套句になっているが、それでは、閣僚、官僚に「そもそもウイルスとは何ですか」と問えば、「バイ菌とか、バクテリアよりさらに小さな菌で・・・」というのが(この「の」は助動詞ではナイ)必ず何人かはいると私は確信している。「バイ菌とかバクテリア」というのも必ずいる。
つまり、彼らはウイルスが「何で」あるのか無知なのだ。
無知なのに、烏滸がましくもその防疫対策をとろうとする。二階ヨ~ウカイなどは、トランプ大統領と同じで「ただの風邪」程度におもっていたからこそ、「go to 」キャンペーンなんかが平然とやれたのであって、そのアメリカ合衆国の現状をみよっ。
こないだ、私のところに仕事のことでメールがきて、「夜ではなく、昼間、清潔な喫茶店でアルコール抜きで打ち合わせを」とあったので、コイツ、完璧に阿呆だなと、もちろん断った。COVID-19の感染が「飛沫感染」だということをったく考慮していない。二階ヨ~カイが「ステーキは食ってナイ」と、もう、莫迦丸出しのことをいったからには、次にスガは「肉は食ったが、そう上等な肉ではなかった」と答弁するに決まっている。
COVID-19パンデミックは、もはや戦争である。なのに、指揮官以下、その部下が敵の正体を知らない。孫子の兵法に曰く「敵を知り、己を知れば百戦百勝す」なのだが、こやつたちは「敵の尻、おのれ謗れば百銭百姓です」というふうに覚えているにチガイナイ。いや、これでは百姓稼業に失礼かもしれないナ。
まるで資本主義の敗北。社会主義の勝利。それを絵に描いたような世界だ。
烏滸がましい⇒おこがましい
謗れば⇒そし-れば

面倒かもしれないが、毎日新聞電子版
医療プレミア特集
新型コロナ「恐れず ただし侮らず」 保健所長に聞く(厚生労働省に長く勤め、公衆衛生行政に詳しい東京都中央区保健所の山本光昭所長・60歳)
医療プレミア編集部
2020年12月25日
でも、お読みになることをお薦めする、「なんだ、これで解決じゃないか」とおもわれること必至だ。
閣僚、官僚、政治家などは必読だぞっ。

2020年12月24日 (木)

珍論愚談 10

「こないだ、六十五歳以上健康診断てのをやってきたぜ。やってきたといっても、こいつがトンラインだか、オンラインだかなんだけど、ニイちゃん、おめえさんなんか、通院多いんだろ」
クマゴロさん、不満げなのか、不安げなのか、不信げなのか。
「通院多くても、整形外科と内科と精神科と皮膚科と、歯医者に目医者、脊髄神経外科、オンラインはナイですね。精神科は月一回の電話診療で間に合うくらい長い付き合いだし、歯医者に目医者は三月に一回の検診、内科は月に一回、皮膚科と行っても末端血管不良、つまりはシモヤケですし、整形外科で週に二回の神経のペインブロック注射と一回の左膝のヒアルロン酸注射。病んでいるというより、壊れていってる感じかな。肝臓の数値なんかもう20年以上変わらず高いですけど、そこからは悪くなってナイ。このあいだ、血管の簡易検査したら、そうそう200円のゲーム機みたいな測定機。あれで/五十~六〇歳/だったから、いいほうなんじゃナイかな「平均より良いです」ってprint出てきたし」
ニイちゃん、平然という。
「なんかよ、ニイちゃん、医者にランクつけてたよな」
「まあまあ普通の医者、ダメな医者、最低の医者ですか。いま、コロナCOVID-19最前線で汗水たらしてるのは、まあまあの普通の医者だとおもいますよ。つまりアタリマエの医者が頑張って必死になってんだから、もう拝んでイイ対象ですよ。けれど、その分のfrustrationやstressが看護師に向かう。看護師は、患者と医師と巷間のtriangle attackで辞めるひと多いけど、政府は莫迦だからまだその問題に手を付けようとしない。東京オリンピックの前にはいまの半分以下になってんじゃナイかな。そいで、やっと政府は日給五百円upとかトンチキなこというんですよ。ほんと阿呆です」 
「そうだよな。おいらの伜の嫁も准看護師だったけど、孫を産んでからヤってないねえ」
「でも、家計が医療現場より逼迫してくると、出てきますよ。こういうとき、オレの子供の頃は、けっこうご近所が子供を預かってくれたしたんですけどねえ。現金(げんなま)支給もイイですけど、仕事にあぶれた女性の介護師や保母さんたちをそっちに回すとか、いろいろと方法あるとおもうんだけど、こそこそ集まってステーキ食うのなんかどうでもイイんですよ。桜を観たかどうかもどうでもイイ。それは、あんひとたちの倫理の問題ですから。政治家、ようするにお上は、別のところでpointとらないとナア、」
クマゴロも、ため息ひとつしただけだった。

2020年12月23日 (水)

無学渡世・四

アマゾンで本(書籍ともいうが、本屋はあっても書籍屋はナイ)を買っていると、ときどき、よく調べもせずポカをやらかして、しかしこのポカがなかなかのポカ買いになることもある。『老子講義』(五井昌久)と『道教思想10講』(神塚淑子)をとりあえず買ったが、後者はまだ開いていないので置くとして、前者は、新興宗教の開祖が突然閃いて書いたというシロモノ。にしては第一講で「道に囚われてはいけない」とえらくマトモなことを粛々と述べ始めたので、こりゃ、なかなかのものかなとおもったら、二講過ぎあたりから〈宇宙神〉というのが出てきた。そこで、ありゃあ、と、この書籍の根本教義がナンデあるかに気づいたのだが、この手のホンも意外にオモシロイところはあるのだ。まず、鬱病のとき、こういうのを読むと、いちいち「莫迦に出来る」ということで、やや、鬱が和らぐ。聖人とはなんであるかなど高校倫理のようなものを説いているかとおもえば、釈迦などは宇宙人の存在なんかは当然の如く知っておりまして、てなふうに大真面目にいわれると、それには私たちは/反論出来ない/ことにも気づくという按配で、だいたい浄土系は阿弥陀如来なんてのを/創造しなければならなかった/という論理的必然があるもんだから、まあ同じことで、大乗というのは危ういところで新興宗教と見做していいんじゃないかと脳髄が傾斜する。宇宙神も阿弥陀如来も髪の毛一本ほどの差しかナイ。少なくとも、浄土系は仏教史を辿っていかなければ、単なる新興宗教でしかナクなってしまうという勉強になる。
まあ、そういう与太は別にして、釈迦牟尼は老子の思想にはかなり影響を受けたのではないかと、もう三十年ばかり前にそう考えたことがあるのだが、〈空〉については両者(老子の思想と仏教)とでは似て非なるものだが、hintにはなったろう。
もう一冊、『偶然の本質』(アーサー・ケストラー、村上陽一郎訳)も古書で買った。これは、ニューサイエンスが流行りだした頃に読んだ懐かしい本で、ロシアがまだソ連だった頃、量子力学では、コペンハーゲン派がブイブイいわせていた頃の本で、古書なもんで、他人の持ち物だったワケだから、いろいろ書き込みが入っていてオモシロイ。かつてワクワクしながら読んだなあと、懐かしさで買ってしまった。
悪いクセで、こんなふうにホンは増えていく。三十年前は、「いま、どんな本を読んでらっしゃいますか」というinterviewに「三十冊ほどいっぺんに読んでいるんです。そういう読書の方法しか出来ないんで。で、読むのに疲れたらミステリを読んでます。新人では、島田荘司さんなんか、イイですね」なんてこといってたんだからなあ。齢を重ねるのも悪くはないねえ。
外では呑まず、博打もやらず、女はあちこちのお嬢さんお姉さんに妄想膨らませていれば銭はかからないから、自分の買い物としては本だけということになるのだが、寺山さんの如く「書を棄てよ」ではなく「書はどんどん読み棄てよ」なもんだから、「町へ出よう」といったところで、雪駄履いて、買い物にコンビニやスーパー行くのが好きだし、通院も多いし、なかなか町が巨大な書籍になるということはナイ。昭和の痕跡がないかなあと、キョロキョロとはしているけど。

2020年12月22日 (火)

珍論愚談 9

~たとえ、COVID-19に変異種が出ようと、感染者が急激に増加しようと、日本はビクともしません~という宣伝カーのhystericな声を聞きながら、ご隠居はクマゴロさんとニイちゃん相手ににっこりわらってお茶をたてている。
「うん、その通りだの。ビクともせんの。なんにもせんものな」
もちろん、『泰然自若(たいぜん-じじゃく・ 落ち着いていてどんなことにも動じないさま。 ▽「泰然」は落ち着いて物事に動じないさま。「自若」は何に対してもあわてず、驚かず、落ち着いているさま)』とは、何の関係もナイ。
「日本は東京オリンピックをやらにゃならんでの。一億玉砕じゃでの」
と、宣伝カーが凍結車道で滑って橋桁に衝突したらしい音がした。ご隠居はクマゴロとニイちゃんに、お茶を出しながら、
「氷河期か。我が人生九十年で、そういう大事に出くわすとはおもわなんだナ」
「おいらなんざ、余命計算てので、アト三十年生きるッテノが出たけど、なんしろ、仕事がねえしなあ。宮大工になったはいいが、『無病息災』の御利益の神社詣ででソーシャルダンスてのは、どう考えても、これ〈矛盾〉じゃねえのかなあ」
クマゴロさん、お薄に口をつける。こういう職種のひとは、一応茶道の仁義はマスターしているようで、碗の正面を避けるために碗を廻す。お薄の場合、流派で多少のチガイはあるが何口で飲んでもよい。飲みやすいように飲めばよく、最後の一口はズズズーと、音をたてて吸い切る。
宣伝カーの音響装置が衝突で壊れたらしく、いまでは楽曲というソレが出鱈目のtuningで流れ始めた。
「どうもなんじゃな。カラオケの文化によってかどうか、みなさん、昨今は~歌をうたう~な。芝居の舞台でも歌が歌われるのう」
「ご隠居、それ、musicalっていうんじゃないんですか」
「musicalでもネズミが齧るでもいいんじゃが、歌というものは、~歌をうたう~というもんじゃないと、わしゃおもうがの」
「じゃあ、何なんです」
と、ニイちゃんがお薄を音をたてて啜る。
「~歌をうたう~のではなく、~歌にうたう~、かなあ」
クマゴロ、首を傾げていたが、
「それって、あれですかい、ご隠居。やつがれの趣味でいうと、渡哲也さんと石田あゆみさんのduet、『鳳仙花』なんかがそうですかい」
「さすが、宮大工っ、お見事っ」
たしかに、石原裕次郎の亡くなったときはそうでもなかったが、渡さんが亡くなったときはなんでなのか泣いてしまったなあと、ニイちゃんは、碗の底をみつめた。
/冬来たりなれど 春唐がらし/

2020年12月17日 (木)

珍論愚談 8

「むかしのことじゃがな、わしがまだ幼少の頃だ。近所に、ある婆さんがおってな。その頃は五十を過ぎるとみな爺さん婆さんだったから、まあ、そんな歳だったんじゃろ。息子は遠い土地で会社の社長をやっているんだが、多忙でなのか、家庭の事情でなのか、年に一度くらいしか帰ってこん。で、この婆さんの口癖というのが、~なんど、美味いもんが食いてえ~、でな、出逢うたんびにそういうておったな」
「ここにも変な爺さんいるよ。九十になるのにadult videoのcollectionしてらっしゃるらしいよ」
「おい、クマゴロ、ハナシの腰を折るな」
「へい、どうも。腰は振るもんですよね」
「まあ、いいから聞け。もうひとりの婆さんは、素性はワカランのだが、これは口癖で~もう終わるぞ、世の中はもう終わるぞ~といっては、参加するんだな」
「参加って」
と、ニイちゃん、これは奇妙とご隠居をみた。
「何人かが集まって、何か世間話をしているとおもいなさい。そこに顔を出すのに、黙ってヌっと出るわけにはイカンだろ」
「ぬらりヒョンっていう妖怪になっちまうもんな」
と、クマゴロ。
「そんなもんにはならないが、だ、なにかこうキッカケがいるでしょう。いきなり話題に入っていくのも失礼だし、黙って突っ立っているのも、それはそれで、けぶだ」
「けぶっ、なんですかいそりゃ」
と、クマゴロが田んぼでイタチでも観たかのような顔をする。
「たぶん、」
と、ニイちゃん。
「煙の甲州弁で、煙(けむ)たいとか、煙そのものか、関西でも/けぶたい/とはいいますね」
「そうそう、その/けぶ/だ。それで、なんかこう独り言でもいうようにして仲間に入っていくんだな」
「で、かたっぽうが~うめえもんが食いてえ~で、かたほうが~この世のオワリ~ですかい。あっしなんか、おうおうおう、こらこらこら、何のハナシしてやがんだ。どこの嫁が間男したってんだ。とかいいますね」
「ムチャだな、クマゴロは」
「で、その婆さん二人、何かあったんですか」
あくまで冷静にニイちゃんは訊ねる。
「美味いもんが食いたいが、おうめさんで、終わるぞのほうが、おわりさんというんだが」
「ちょい、ちょいとご隠居ハナシ創り過ぎですぜ」
「いやいや、クマゴロにそういわれるのはこれからじゃ。実はこの二人の婆さん、同一人物だったんじゃな」
「ええっ」と、怪訝、奇天烈というのはたぶんそんな顔だろう、クマゴロ。
「どういうことなんです、同義反復って」
と、ニイちゃん。顔色こそ変えないが、かなりココロ乱れているのでマチガエル。
「それがな、いまだに謎なんじゃ。この町の七不思議の一つといわれておる」
「はああっあ」
と、クマゴロは底のない風呂桶というならそんな顔。
ニイちゃんは、黙って、脳裏で掛け算の九九をヤッている。
「ひっひっひ」と笑って、肩をゆすっているご隠居。そこに通りすがりの女が二人。
「あのお爺さん、ときどき独りで、あそこんとこに坐って笑ってるね」
「そうねえ、気味が悪いったらありゃしない」
このハナシはこれでオシマイ。主語だけあって、述語のナイstory。あるいはその逆かな。まっ、いってみれば、いまのご時世を皮肉ったとでもいっておけば足りる。端的にいえば「化かされている」かな。

2020年12月16日 (水)

珍論愚談 7

珍論愚談 7
「一般人と専門家だな。ふむふむ、クマゴロにしちゃ、なかなかいい質問だな」
と、ご隠居は今日も昼酒。クマゴロにしちゃ、といっても、クマゴロ、character判然とせず。
「専門家というのは、メディアじゃかつて評論家とかいうのが多かったな。どんなものにも評論家はいたな。~饅頭評論家~とか、~夫婦喧嘩評論家~とかだな。~土木工学土管学科道路標識評論家~なんて珍しい方もいらっしゃったね。いまはそういうのはみんな一括して〈専門家〉っていうね。一般人は専門家じゃない御方だな。専門家にいわせれば、いわば~その他大勢~てところだな。とはいえ、「あなたの専門は何ですか」と問われて「俺かい、俺は後家だな。おまいさんは年増専門だったな」てなこといってるのは一般人かな。一般人からみるてえと、専門家ってのは、あんまり信頼されてないね。いいとこ信用程度だな。銀行じゃないね。信用金庫くらいかな。専門家のone rank上になると研究家ってのがあるね。料理番組なんかじゃへりくだって、あえて愛好家とか自称している御方もいるね。だから、殺人研究家とか、殺人専門家に殺人愛好家ってのは、ちょっと使えないんで殺人評論家になるのかな。一般人は~一般の方~ともいうねえ。なんかイベントがあると入り口がチガウのよ。/一般の方はこちらからお入り下さい/てな貼りだしがあるね。まあ、あんまり持ち上げたり、畏敬の念とかはないね、一般人てのは概ね〈素人〉amateur、と同じ意味に使われるね。まあ、ちょっと小馬鹿にされてんだな。専門家はそうするてえとprofessionalかな。専門家を小馬鹿にするいい方に〈おたく〉てのもあるね。直截的に〈専門莫迦〉ともいうけどね。それしか知らないって、ね。「おめえ、それ専門だなぁ」なんて呆れられたりとかするね。一般人は関係者と区別する場合にも使うね。タレント、アイドルなんかのねイベントでね、やっぱり入り口がチガウね。女性idolのイベントで〈関係者入り口〉から入ろうとしているどうみても一般の方がいて、警備のものが、「あなたはどういうご関係で」と質すと「いや、まだ挿れるところまではいってナイのよ。フェラ止まりかな。しかし、彼女上手いから、いつもオレ、そこで発射なんだ」なんていってたのに出くわしたことがあるけどね。~カラダの関係たけだ~なんて率直単純に応えてたのもいたね」
「ご隠居、なんか、如何わしいidolのイベントに行ってませんか」
ご隠居、クマゴロの質問には応えて曰く。
「俯瞰してみると、そうかもねえ」
「俯瞰、ですか。あれ、便利ですね。いろんな答弁に使えますね。勉強になりますね国会中継てのは。もう逃げ口上、誤魔化し、詭弁の宝庫ですもんね。論理矛盾なんて存在しませんもん」
「議員なんてのは食い詰めがヤルもんだからね。公務員は楽して暮らしたい怠け者の巣窟だな。中には真面目に働いてる御方もいるんだが、そういう方は出世なんて出来ないし、ネグレクトされちゃうしね。外にいい知人、友人をつくるね」
「そうすか」
「なんでまた、クマゴロ、今日はそんなことあちしに訊いたりしたんだい」
「いや、まあ、あっしも昼酒のお裾分けに預かろうかと。それになんか一般の方はこっち、とかいわれると、ナチス・ドイツの収容所に送られるみたいな気がするもんで」
よしっ、てんで、機嫌のイイご隠居、ゴキンセイのどぶろくを出してきた。
「ありゃ、いままで、飲んでたシングル・モルトは」
「何いってんだい、一般人はこれだよ、星が五つ、五金星のどぶだ」

2020年12月15日 (火)

珍論愚談 6

ニイちゃん、「このミステリーがすごい!」(宝島社)大賞の『怪物の木こり』(倉井眉介・文庫)を買って、なんでかというと、ニイちゃんも、ちょっとacademicなホンには厭きてきたんだもんだから、ミステリでもぼんやり読もうかという魂胆。
で、クマゴロさんが、
「この『木こりの怪物』だけども、どこがスゲエんですかね」
と、やっぱりクマゴロさん、江戸っ子の物好きで同じホンを読んだのでニイちゃんに訊く。
「いわゆる「このミス」シリーズはこういう傾向なんじゃナイでしょうかね。この、あのね、『木こりの・・』じゃなくて『怪物の・・』ネ、これ、もう何回か書き直したらオモシロクなったとはおもいますよ。発想なんかはオモシロイんですから」
とはいうものの、ニイちゃんは遠慮していっているようだ。
「そういやね、あの、タンメンとギョーザの美味いラーメン屋。あそこで常連が餃子でビール飲みながらいきなりマスターに/オレは来年は小説家になるでよ、まあ、売れっ子になってもこの店には来てやるにゃ/なんていいだして、マスター驚いてたねえ。別の席でタンメン食ってたおいらもびっくりしたけど。なんでも、スゴイtrickを考えたらしいんで。それでミステリの新人懸賞小説に応募するからって、まだ一行も書いてないらしいんだけどね」
「そういうひと多いんじゃナイですかね。ミステリはトリック小説だとおもっているひと」
「いや、このクマゴロさんもその口なんだけどね、それからそのtrickでホン書いたのかどうか、知らねえけどね。で、ネットでその、さっきの『木こり・・』いや、『怪物の・・』だったっけ、そのレビュー読んだら、だいたい大きく二つに分かれていて、ミステリ通は文章の稚拙と登場人物の書き込み不足と、なんつうか、けっこうsevereなんだよナ。ミステリと縁遠いひとは、スラスラ読めるホンだったんで、何のハナシだったのか、読んだアトから忘れたけどオモシロカッタっていってるね」
「そういうホンでしたね、確かに。登場人物がstereotypeでしたね」
「けど、ここもこのクマゴロっておいらは、ぜんぜん性格付けというか、characterが統一されてナイんじゃねえのかな」
「いいんですよ、ここはテキトーがmottoですから。あの『怪物・・』もラノベあたりで書いたほうが良かったんじゃないかな。しかし、レビュー諸氏は、よく読み込んでますね。たいてい同じ見解ですもんね。それに比すると審査員は牽強付会だったんじゃナイですかね」
「そうそう、あれね。どうしても〈けんかいふきょう〉って憶えちゃって変換出来ないのが不思議で不思議で、んで、ニイちゃんはなにかい、ミステリとかは書かないの」
ニイちゃん、ほんとうはもうけっこう書いているのだが、
「もうちょっと、編集者に頭のイイひとが出てきたら書きます」
クマゴロさんは、ふーん、そんなもんかねえといった顔。
「編集者、バカかい」
「さあ、でも、あんまりミステリすら読んでない編集者多いんじゃないかな。COVID-19と同じくらい流行している『鬼滅の刃』って、オレ、読んでナイから、そっちのほうに詳しい弟に~ドンナハナシナンダ~って訊ねたら、聴いた限りじゃ、そういうの『新青年』とか『宝石』、その後じゃ、国枝史郎さんとか、近いところで風太郎さんとか、もうすでに在るんじゃないかなという気が、いや、読んでもいないのに、そういうこといっちゃダメですね。弟のハナシ聴いたぶんには読む気も無くなったけど」
「『新青年』『宝石』、うーん、知らねえナァ」
ハッキリいって、ミステリ、つまんなくなったぞっ。東野圭吾も初期は普通の本格、書いてたんだけど、下手だったなあ。すぐに「ワカル」の。けど、『秘密』は、あれはスゴイとおもいますよ。映画も良かったし。でも、あれだけかな。物理学者の探偵、なんだっけ、ガリレオだったっけ、あれ、あのひと物理学の知識がナイというのはよくワカッタ」
まあ、あんまり他人を貶すのもどうかとおもうし、ここらで、幕。

無学渡世・三

新しく引っ越した高台の、ここはそうだな、高級住宅から建て売りカマボコ住宅から、こないだちょいと歩いたら昭和アパートまであるところなのだが)、我がマンションは2DKだけど仏壇は無い(無神論者ではナイが無教派、無宗派。無神論は何度もいうように、二律背反の論理的誤謬だから使わない。といって、信心がナイのは釈尊の「霊魂不説」に倣っているだけ)。しかしそれに類したものなら二つある。うち一つは、テル也画伯の中で最もお気に入りの一枚。『anti Gravitation(反重力)』と勝手に名付けたシロモノ。ここに朝夕、線香を三本。水を取り替える。センコの数が三本なのは、テル也画伯への一本、春馬への一本、津野米咲への一本。いやはや、死んだもん勝ちの世相だもんで、こんちは生き残っているぶん、仕事は無えわ、仕事は無えわ。生きねばならぬ。メディアなんかは、死んだもんで、まんだ儲けようなんて企んでやがる。
春馬とは、一度手合わせしてみたかった。裏拳を応用した夢想流小太刀「木の葉」。
津野さんは逢ったことはないだけど、センコの一本も揚げたくなるじゃないか。太宰が織田作にいったように「きみはよくやった」のココロかな。
脊髄神経外科のdoctorが、「歩け」つうんで歩いてみているが、昭和アパートはまさに滝田ゆうセンセイのマンガの如し。半透きガラスの向こうで蠢くものあり、と、硝子戸が空いて(けしてsashではナイ)昭和のおばさんが化粧を済ましましたって顔で現れる。
なにをどう生活しようというのか、デザイナーズ設計なんだろう、幾何学建築物の屋上がある豪邸。遠藤平吉も苦笑いだろうな。
まったくもう、初雪が大雪となって、突然の冬です、と気象庁関係のニュースがあったな。
何があろうと、こちとら庶民大衆、一般人は、ともかくCOVID-19への油断と慣れには要注意。幸い、稽古場での稽古は順調。

2020年12月13日 (日)

無学渡世・二

/政府の統計によると、日本では10月の国内の自殺者数が年初来の新型コロナの死者数を上回った。警察庁が発表した同月の自殺者は2153人と前月から急増。一方、厚生労働省がまとめる日本の新型コロナ死者の合計は、11月27日時点で2087人となっている。しかも自殺の増加は女性においてより顕著だ。自殺者全体に占める割合では男性を下回るものの、自ら命を絶つ女性の数は増えている。今年10月、日本における女性の自殺は前年同月比で約83%増加した。これに対し、男性の自殺は同22%の増加だった。考えられる理由はいくつかある。女性は宿泊、飲食、小売りといった業種にパートタイムで就いている割合が高く、コロナ禍による解雇の影響を強く受ける。非営利の国際的な支援組織CAREが世界の1万人以上を対象に実施した調査では、女性の27%がパンデミックの期間中に精神衛生上の苦しみが増したと回答した。男性で同様の回答をしたのは全体の10%だった。/(毎日新聞電子版12/13)
なるほど、ニコニコ動画に出演して「ガースーです」はみっともイイとはいえないかもしれない。だいたいこのひと、ふだんの目つきが虚ろだからな。
見識者、リベラル派、いっけんマトモ派は「go to やめろっ」と声高にいう。しかし、やめて職場を失い、糧を失くし、自殺する者のほうが、コロナ死者より多いのだ。
「ブレーキとアクセルを同時に踏むようなものだ」と、ある感染学の権威は語った。
店側は、万全の予防準備で臨んでいる。では、誰がブレーキとアクセルを同時操作している。
私は毎日買い物とほぼ二日に一度洗濯乾燥に行くのだが、その間イートインでカフェタイム。出入り口に近いところのテーブルに坐る。客の出入りがよくワカル。換気がいい。で、マスクしている者の数はこのところ顕著に少なくなった。消毒液を利用しない者すらいることには驚いた。いやあ、慣れというか、喉元過ぎればというか。
私のように通院病院が七つもある高齢者にとって、クスリだってbattingするものもある。いまは「おクスリ手帳」でそれが、素人の私にもワカル。かたや効力を高める、かたや下げる、の成分を一緒に飲まなければならない。どっちかヤメロ。ヤメたら死にますよ。そこで、服用時間(血液中濃度)を考慮しての采配、匙加減だ。
「go to 」も似たようなことで、大battingだ。じゃあ、もう、東京オリンピックやめようよ。「go to」 どころの騒ぎじゃねえぜ。
「go to 」ヤメロの衆は、それいえるのか。
私なんか、「go to 」利用しちゃったしな。いまさらどの面下げてというところだ。だいたい、通院七つってのは、七つの危険があるワケよ。無症状者に交じっての待合室だからな。たぶん、私はもう何度も感染しては陰性になって、その繰り返しの中に在るとおもう。
イチバン安全なのが稽古場だ。ここは、塩を電気分解して溶液つくっての噴霧と、0,1マイクロメートル制御空気清浄機設置だからな。
で、マウスガードは効果がナイというニュースがあった。じゃあ、数値を、その実験方法とデータを開陳してくれよ。不敷布マスクは自身の保全ではなく、相手方のためのものだからナ。それでも、50%ガードだ。マウスガードがそれより劣るとは考えにくいんだけどネ。
メディアは声高に恐怖を煽るだけでなく、東京オリンピックやめようっと、いってみろ。投資した銭が泡になって消える。いや、痛快、痛快。
中華のワクチン、アラブの富豪が買ってるぜ。露西亜は合衆国のワクチン輸入始めたぜ。
/銭の切れ目が命の切れ目だ/オモシロイ余生、還り路を歩かせてもらっております。
余談だけど、アル・カポネって、けっきょく監獄で梅毒を発症、出獄後、脳梅毒で死亡なんだってね。

2020年12月 9日 (水)

珍論愚談 5

「つまりなんですかい、極々かんたんにいうと、COVID-19に感染したひとたちがいるとする。で、そのうち例のワクチンを、もし打っていたひとがひとりいたとして、そんひとは90%感染しなかったと、こういうことなんですかい、例のワクチンの効果ってのは」
と、クマゴロさん。
ご隠居は、笑いながら頷く。
「90%てのは10人のうち9人に効果があるってこっちゃないんだ、クマゴロ。それにだな、たとえば、無症状のひとがワクチンを打って、やっぱり無症状なんだけど、そのひとが他のひとに感染させる確率はおんなじだわの」
「じゃあ、~おれワクチン打ったから大丈夫~なんていわれても、一緒に飲めやしねえってことですかい」
「そういうこったな」
「なんだ、それなら、一緒じゃないですか。ふつうに手洗いやら消毒やらソーシャルダンスしてりゃいいってことですかい」
「まあ、そうだろうね。日本は欧米とちょっと情況がチガウからねえ。おそらく日本の免疫学、感染学、ワクチン薬学関係のセンセイ方や、医療従事者は打たないだろうね。副作用なんて出てくるのは数年先だからね。まあ、少なくともアト2年は我慢ガマン。あたしゃ、もう九十を過ぎてるから、試しに打ってもいいかとおもってるけどね。いろいろ持病もあるしね。どっちみち、死ぬのは一息だから」
ニイちゃんも、打たないことに決めている。クスリの副作用(risk)の怖さは身に沁みて知っている。これ以上壊れるのはイヤだからだ。それに、ワクチンだフルチンだと煽りに煽っているメディア連中がまず打ってみるべきだ、ともおもっている。
だいたい、COVID-19で死ぬひとよりも、連鎖的に自殺しているひとのほうの人数が多いということを、どれだけのヒトが知っているのだろう。
「Go to~」という予行演習やったから東京オリンピックで、どれくらいの患者が出るかは試算されているはずだ。COVID-19と経済効果を秤にかけりゃ、経済効果のほうが大きいのだ。「Go to~」ではそれがワカッタので、死体計算でいくなら東京五輪のほうが数が少ないというワケだ。(「死体計算」というのはベトナム戦争でアメリカがやった作戦名)。いずれにしても、いっぱい死ぬだろうけど、欧米ほどではナイ。要するにワクチンより「運・不運」ということになる。
やはり、「決め手」は「特効薬」かねえ。気をつけないとこれからいろんな詐薬が出回るよ。

珍論愚談 4

「そりゃよう、ニイちゃん、あっしにはね、あんた嘘ついてるような気がしてんだけど、そこんとこ、どうなんでえ」
「ウソ。うーん、でも、お芝居のシーンですから、fictionですから」
「いや、いくらお芝居たってもよ、そのなんだ、癌で死んだ姉さんのモデル。そうそう、ニイちゃんの兄貴分に袖にされたネエさんてのは、うんと若死にで、ヘアスタイルもちがって、もっと小柄で、きっとカーディガンか何か着ていてよ、小顔でさ、slenderてのかい、からだつきがよ。で、指が白くてさ、睫毛なんか長くて眼はやさしくて、ちょっとキツそうな口のききかたすんだけど、大阪弁だからな。で、笑顔がまたなんつうかcharmingての。難しくいうと蠱惑的とかいうんだろうけどさ。まあ、なんだ、coquettishとかいうんだってな、そういうの。そいで、そんな女のひとがさ、凝っと、じっとだぜ、沈んでゆく夕陽みながら、田んぼの畦に立って、身動きひとつしないで、白い指の拳を握って、もちろん、泣きもしない、涙ひとつみせないで立っていて、たぶん、癌はほんとだったんだろけど。それで、ほんとは泣いてたのは、だいどこの竈の陰からそれを観ていたニイちゃんのほうなんじゃナイのかい」
クマゴロさんは、火のついてない煙管で膝を打ちながら、ギロっとニイちゃんを観た。
「なんで、オレが泣くんですか」
「てめっ、このっ、バカヤロウっ、好きだったからに決まってんじゃないかよ。その年上のネエちゃんのこと好きだったんだろ。そだろ。ちぇっ、高校生てのは、出逢う女にはみんなちょっとは惚れるっていうくらいヤカン、いや、多感だっていうじゃないか。いや、おいらにも覚えはあるよ。そうなんだ、こんちくしょう。てやんでえ、惚れてたんだっ」
「でも、オレはあのころ、ガッコのほうに好きなひといましたよ」
無表情に、いたって冷静を装っているニイちゃん。
「それはそれで、これはこれよ。世界の真ん中に女は独り、なんてこたあ、ねえんだぜ。そんなイイ女をよう、棄てて逆玉の輿に乗りやがった兄貴分が憎かったろうなあ。いや、いまでも憎んでいるんだ。でなきゃ、そうい芝居のあんなシーンは書けねえよな。しかしなんにも出来ねえ、してあげられねえ。哀れ十六、そうそう、ニイちゃん、おいらより年上なんだってなあ。おいらやっと年金暮らしだもんな。で、せいぜい、そのネエちゃんのことおもって、masturbationするくらいだよなあ」
「あの、オレ、そっちのほうは奥手で、Onanieはまだヤってなかったです」
「あれっ、そうなの。おいらなんか、その歳じゃもうとっくにホンモノと。だって、元服過ぎてんだから」
「でも、そういう気持ちでもなかったヨウナ記憶があるんです」
「そういうのをスケベでないのを〈純愛〉というのよ。てめっ、こらっ、純愛だよっ」
しかしニイちゃんは〈愛〉というものがワカラナイで生きてきたのだった。
「またまた、そう来るんだよな。けどよ、クマゴロさんには定義出来るぜ。愛とはおまんこのことだぜ。それ以外ないのよ。男と女にはそれしかナイの。生殖以外におまんこするのはヒトだけなんだぜ。生殖、つまりガキが出来るというのは、ありゃな、ヒトにとっては目的じゃねえの。結果なの。だからな、女が男に~あんたの子供が欲しい~って殺し文句いうだろ。ありゃな、~あんたとの結果が欲しいっ~っていってんの。天地万物の真理の結果だっ」
ニイちゃんはおもう。おもいだす。純愛でもなかったがスケベでもなかった。しかし、あの哀しみはなんだったんだろう。
「精神疾患としては、一種の自己愛の変容でしょうね」(精神科医、語る)

2020年12月 7日 (月)

無学渡世・一

ニイちゃんシリーズ(えっ、シリーズだったのか)も厭きてきたとこで、ときどきは、このてのものも挟んでおく。というのも、もはや、鬱病の真っ只中に頸椎狭窄からくる神経の痛みが重なって、なんかしてないと首吊ってしまうので、ともかく、一日の大半は痛みと鬱疾患特有のしんどさで動くことも出来ず、まったく皿一枚洗えないんだから、アホラシイとしかいいようがナイのだが、それが、人間には業(カルマ)てのがあって、私は〈書く〉ということをヤっているあいだは、世界が別になるらしく、こんなふうに書いているのだけれど、いま、ヤッてるのは、やっぱり仏教の学問(というほどでもナイんだけど)で、このほど、他の教義と比較すればなんかワカルかなと、『老子講義』なるものを買いこんで、老子(つまり『道教』)の思想と比較検討(というほどたいたものでもナイんだけど)してみることにした。
まず、motivationとして、仏教の三法印(さんぼういんは、仏教において三つの根本的な理念を示す仏教用語である)は、諸行無常「すべての現象(形成されたもの)は、無常(不変ならざるもの)である」諸法無我「すべてのものごと(法)は、自己ならざるものである」
涅槃寂静「ニルヴァーナは、安らぎである」)と、まあ、えらく難しくウイキには書かれてあるのだが、ふつうは、諸行無常は「何事も常であるものはなく、移り変わる」と訳され、
諸法無我は「これが私(自分)だといえるもの(我)は存在しない」と訳され、涅槃寂静は「涅槃、つまり死ぬということは、寂静たるやすらぎである」と、平易に訳されているのだが、この涅槃というのは、ニルヴァーナというインド仏教特有で、いわゆる輪廻(カースト)からの解脱なもんだから、そういうものの無い(無くなったカタチで中国から輸入された)日本仏教においては、訳しようがナイので、先述の如くなったのだろうとおもわれる。
ところで、そもそも、その辺りからかんがえていくと、仏教というものには「死」というものに値する概念が無いのだ。だいたいがカーストには「死」が無いので、当然そうなる。キリスト教になると、カルヴァン派の予定説(カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする)はプロテスタントの特異なものとして、ともかく天国に行こうとすると、とりあえず「死ななくてはならない」。ところが、仏教にはそいつが無い。「死ぬ」という概念がすっ飛んでいて、従って、日蓮などが、浄土系の教義を激しく口撃論戦したのはアタリマエだのクラッカーになる。死んで極楽というのは「大嘘」ということになるからだ。そのへんは、親鸞、蓮如のインテリの仕掛けということで、まあ、構わないのだが、私の発見(かなあ)は、そういうだいそれたことではなく(私は別の観点から〈死〉というものについては疑義を感じているが、それはまた別のところで)、最も有名な「諸行無常」なんだけれど、これ、「諸行常無」と並べ方を変えると、コロっと老子の道教になってしまうのだ。つまり「常なるものは無く、すべては移り変わる」とする仏教のお宝文句を「もろもろのものは常に無い」と読むと、なんらかのモノが在るようにみえるのは、ヒトが在るように決めただけで、ほんとうは、この世には何ンにも無いんだよ、という道教の根本思想になる。ナンニも無いのに苦しいだの愉しいだの、欲をつっぱらかしたり争ったりしても、意味ないんだ。というのが老子の教えらしい。これは、仏教の『般若心経』にかなり近いのだが、案外、仏陀釈尊は、この辺りは学問していて、「悟り」ってのは、「これが悟りだ」といえば「それが悟り」になるのだが、そうした途端、その「悟り」には縛りが付くので、「悟りはこうだとはいえない」と悟ったのかもしれない。そうすると、「悟り」の矛盾も氷解する。(「悟り」の矛盾というのは「悟りというのは、釈尊が悟ったものと同じでなくてはならないが、個々それぞれのものだ」という論理矛盾)。
なるほど、老子の思想、「始まりはすべては無名(タオ)でありますので、世界はとどのつまりみんな無名ですから、有るに縛られているよりも、名も無いものと自由に生きましょう」、と、こりゃもうエピキュロスだなあ。(エピキュロスはデモクリトスの原子論を思想の基底とする、原子論的唯物論や原子論的自然観を展開した御方。かのカール・マルクスはヘレニズムの学派に着目した古代ギリシャ哲学の研究を行っており、『エピクロスの自然哲学とデモクリトスと自然哲学の差異』という博士論文を執筆している。原子論とは、目には見えず、それ以上分割できない「原子(アトム)」が、無限の「空虚(ケノン)」の中に運動しながら、世界が成り立つとする説で、エピキュロスによる簡単な解説によれば、この世には目に見えない自然(名も無き自然)があって、そういうのが、自由に飛び交っているんじゃないかなあ、~まあ、量子のことですな~になる)。つまりアリストテレスなんて木っ端微塵にされているのだ。たとえば、老子のいっていること(無名-タオ)とはこうだ。「ここに布がある、頭に巻けばハチマキ、キンタマ隠してケツにまけば褌(下帯ともいう)。どっちかは勝手にヒトが名付けて決めたことだ」これはもうハイデガーなんぞを待つまでもナイことですナ。
タオを「道」とする道教学派もあるのだが、そうすると、逆にまた道という縛りがついてしまって不自由になるので、これはチガウとおもうな、オレ。
にしても、「死」は仏教において何処にいっちゃうのだろうか。この辺りが学問のしどころ勘どころ、オモシロどころというところかな。

珍論愚談 3

珍論愚談 3
ようやくご隠居を寝かせ付けた(朝っぱらからなのに)クマゴロとニイちゃんは、brunchでも行くかと地下鉄のホームへ。
と、叫んでいる若者がホームにいる。
「要するに愉しければイイんだよっ」
もちろん、マスクなんてしていない。近寄らないで欲しいね。とニイちゃんとクマゴロはおもう。だいたい、コロナ鍋を食いすぎるとこういう自棄糞の与太epicureanが出てくる。ケツ割りの放擲一派なんだけど、ご当人はまあどうにでもなりやがれとして、あれだけ唾を飛ばされてちゃたまんない。ニイちゃんとクマゴロは飛沫を避けるようにして、ベンチの影に身を潜めると、そこにも変なのがいる。
「だいたいみなさん。女がね、女が子供を産まない。これがイカンのですよ」演説派だ。
「むかしの女はね、平均七人は産んだ。いまはどうだ、三人にひとりしか産まない。つまり、三分の一の赤ん坊が出産される。ある女は頭部、ある女は胴体、ある女は脚部と産む」
そんなことがあるワケねえだろ、とクマゴロさんが小声でいう。
「私はね、産みたいという女にね、懇願されましたよ。しかし、私には妻子があるんです。愛人、妾に子供つくってたらどうなります」
あらら、ハナシが微妙になってきた。混乱錯綜のご様子だ。
「ですからみなさん、まあ聞いて下さい。日本にはかつてのナチス・ドイツのヒトラーのような独裁的妊婦が必要になるのです。これは現代の科学的な問題なんです」
アカン。もうわからん。ニイちゃんとクマゴロさんはため息をつく。
「私は、いまここで、子供を産もうとおもっているんです」
ベンチの男は、ズボンを降ろして、パンツも脱いだ。
クマゴロさん、慌てていう。
「ニイちゃん、アカン、こいつ、ここで糞こくつもりのべらぼうするつもりですぜ」
と、現れた地下鉄職員。取り押さえるかとおもいきや。
「教祖さまっ」と、平伏(ひれふ)した。
「クマゴロさん、なんだか、気分が悪くなってきました。頭がヘンに、いや、もうヘンなんですけど、地下鉄やめて、外に出ましょう」
「そうするのがいいようでげすな」
外に出たってどうなることでもナイのだが、積極的撤退でい。
ああ、歩いても歩いても泥船のように、ニイちゃんとクマゴロはブルーライトなのだった。

2020年12月 6日 (日)

珍論愚談 2

「あんまりイイ分け方でもナイが、いわゆる芸術(quality、artist)派は、たいてい大滝詠一を畏敬して、庶民(commons)派はサザン-桑田佳祐に傾倒して、市井(citizen)派はジ・アルフィーに感銘するねえ。いわゆるインテリが加藤登紀子を好むかというと、まったくそうではなく、ほぼ、ちあきなおみ、で落ち着くね。で、美空ひばりは音楽関係の方々には好まれるのだが、理数系、哲学系はやっぱり、ちあきなおみでしょうかねえ。女性がカラオケで好むのは、中島みゆき『糸』と『天城越え』ですかな。『糸』はカラオケ利用率№1。まあね、クマゴロ、女ってのは縛っておくだけでなくて、編んでまでして男を絡め捕り、纏いたいってのが、本望ですよ。独占欲程度のハナシじゃないね、こりゃあ北より酷いね。拉致拘束監禁。だもんで、時代劇で盗賊はたいてい男の俳優さん。盗んで逃げる、コレが男の心意気。というより風の如くのかっこ良さ、まあ、逃げたい心情の妄想、溜飲の下げ方。そこで、釈尊も曰く「多情仏心」なワケだな」
「なるほどねえ、いやあ、ご隠居、ワカリヤスイでやすねえ」
とはいいつつクマゴロさん、はらはらしている。
「殿方も淑女さまもどっちも好きなのが、なかにし礼さんの『風の盆恋歌』だねえ。あれのね、~若い日の美しい私抱いて欲しかった~ってところで、不倫組なんかは、カラオケルームで涙ぐむと聞いてますよ。都はるみさんの~寒さこらえて編んでます~ってのは、ありゃ、男の首閉めるためにマフラー編んでるみたいに聞こえるね」
「セーターでござんしょ」
ご隠居、クマゴロのいうことなんか聞いていない。
「~垂れ乳のきみを抱きてそのあまり、」
おっと、きやがった、と、慌ててクマゴロさん、
「ちょっ、ちょっと待って下さいよ、ご隠居。そのアト、三歩歩まずのところで「チ」の字が出てきたりするんでしょ」
「おっ、さすが、クマゴロ、わかってるね、大人だねえ」
ニイちゃんもワカッテいたが、どうしてご隠居くらいの歳になると(推定九十歳)助平になるのだろう。自分もそうなったらイヤだなと、便座の上にジーンズのまま座り込んでいた。
「まんまでも、良いのあるよ。啄木は、~やや長きキスを交わして別れ来し. 深夜の街の 遠き火事かな~、いいねえ。啄木はなんかエロなんですなあ。いやいや、詩人なんて、の、はみんなエロ。いやあ、還相、還相」
どうも朝から、御神酒が入っているらしく、キリがなさそうなので、つづきは今度。
ほんとうは作者、鬱病の真っ只中、ゆんべも過呼吸で、怒声を発して暴れまくり。あのね、鬱病の症状ってのはこんなものなのよ。バカなことでも書いていないと死んじまう。


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