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2020年10月10日 (土)

港町memory 142

「私は非時間論者ですから、〈終り〉とか〈始まり〉はナイんです」
「なんや、どこに酒壜隠し持っとんねん」
「酔ってなんかいませんよ」
「ほんで、ヒジキがなんやて」
「COVID-19で世界の新しい時代が始まったとか、世界が終わるとか、とかは了解しないんです」
「えんえーっ、なんやようワカランなもう」
「ワカルようにいうと、良いワクチン、これは抗体寿命がせめては半年は在るものです。あるいはタミフル程度の治療薬が出来るまでには、アト2年はかかるだろうとかんがえてます。2年なんていうと、時間じゃないかといわれそうですが、それはニュートン力学的表現ではしょうがナイことです。具体的なことをいえば、マトモな演劇ができるようになるのは2023年からでしょう。アト2年は我慢、辛抱、忍耐がつづくとおもいます。それからシノギも。劇団にせよ、unitにせよ、produceにせよ、劇場側にせよ、それは覚悟というより諦念しなければならないでしょう。
マスコミ報道は、演劇集団の集団感染にすぐ飛びつきます。底の浅い、裏の薄い調査、見識、表の感覚だけでの、マス・イメージです。こういうものは切り貼りですぐに出来上がります。
何が関係の妄想性で紐付きになるのか、見当もつかない。しかし、カンブリア紀の大絶滅のようなことが起こらないように、ヒトは死ぬのです。血と遺伝子を固定化しない。定型させない。もし、ヒトが死ななければ、自然免疫機能は破壊され、やがて、同種のものが一斉に絶滅する危機がやってくる。そうならぬようにヒトは死ぬように出来ている。/ヒトの死はけして無駄ではナイ/のです。これが子孫を残すというほんとうの意味です。子孫を残すということは、ほんとうは希望を残すということでなければなりません。ヒトの死は希望なのです。
いっときの悲しみや苦しみに欺かれててはいけない。騙されてはいけない。攪乱されてはいけない。錯覚してはいけない。
ニュートン力学的表現だけが、ヒトの姿ではないのです。私たちはこの宇宙の一部であり、宇宙と関係するものであり、そうして宇宙全体と同じものなのです。ありきたりなことをいってしまいますが、私は希望の価値を信じます」
いうとニイちゃんは、その場に崩れた。
おばさんは慌てて院外処方箋薬局の入り口に走った。走ってどうなるねん。

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