港町memory 149
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ワカラナイのは、この四年間のトランプ行政を観てきて、さて大統領選となったいま、バイデン有利といえど、それが僅差で幾らでも引っ繰り返る確率が高いということだ。もちろん、観てきたのは、アメリカ国民だ。私たちはナンニも出来ずワカラズで付き合わされてきたのに過ぎない。他国のことといえばそれまでだが。
私(たち)から観れば、よくもまあ、あんな大統領のもとで暮らしていけるなあとおもうのだが、暮らしていけるからトランプが大統領なので、かんがえてみても、トランプ以外の大統領で、誰か(日本をもちろん含めて)他国のために役立つことをやった大統領というのが、歴代に存在するだろうか。古くはレーガンの「アメリカは世界の警察だ」と、ジョークのようなものがあるが、その世界最大の軍事力で、覇権どころか君臨してきたのが米国なんだから。国連で核兵器所有が違法となったところで、それはまったく逆で、国連で採決すべきは、どの国も核兵器と同等の軍事兵器の所有を認可する、ではないのか。出来る出来ないヤルヤラナイはこのさい別のことだ。要するに気構え心意気ではないか。右も左も、一国資本主義も中華思想もナイ。いつだって巻き込まれて骸になるのは、市井の庶民大衆だ。
スイスにおいては憲法がどうであれ(この国の憲法は、国民の権利によって、いくらでも変更がきく。今まで140回の部分変更があった)次の暗黙の一言が自国民の覚悟の全てを語っている。
「我が国がもし、他国から侵略的攻撃を受けた場合、我が国は、その国等に対しては同等の報復を行う用意がある」
世界最新の軍需産業国がスイスだということは、知る人ぞ知ることで、核兵器を所有しない理由の一つは、同等(もしくはそれ以上)の、最新兵器の所有が成っているということだ。
スイスは大戦中、『第三の男』がいうように「鳩時計」だけを造っていたワケではナイのだ。仕返し、意趣返し、復讐の殺し合いからは何も生まれない。アタリマエだ。アタリマエだが、前田のクラッカーは売れたのだ。唐獅子を血に染めて「親分さん、死んで貰いますっ」の健さんだって現実の死に際はみっともなかったが、スクリーンでは大いに泣かせてくれたではないか。あの涙はウソかっ。暴力が悪いのではナイ。暴力団が悪いのだ。カミュの「反抗」と「長脇差(ドス)」のチガイは殆どありゃしない。
陰惨なハナシばかり思い詰めていても仕方ない。ちったあ明るいハナシもしておこう。日本の感染症センターは20年の歳月をかけて、インフルエンザの無毒ワクチンを完成させた。これは現存のウイルスを弱体化させた注射ワクチンのように、毒をもって毒を制する抗体製造タイプではなく、無毒、ウイルスの侵入を絶つタイプのもので、およそ三年程度で、現在のコロナワクチンにも応用出来る(うまくいけば接種出来る)ようだ。
「ほな、それ、買うて来(こ)。なんや、まだ売ってへんのか」
院外処方箋薬局の入り口付近でラジオ体操をしているおばさんは、ケツを端折って、
「なんやまだ三年もアトのハナシかいな。わし、死んでるで」
その場にへたりこんだ。
「しかし、20年、なんでも20年ですよ。よく頑張ったとおもいます。このニュースを聞いて、私は涙しました」
と、ニイちゃんは、膝を折った。
地道にだ。とニイちゃんはおもう。正しさは煉瓦をつむごとき営為の中にしかナイ。あと四年は、おそらくトランプ政権が続くのだろうが(と、ニイちゃんは予想している)、けして永遠ではナイ。日本だとて、永遠の莫迦がのさばることもナイだろう。地道に生きて、地道に殺ればイイだけのことさ。ニイちゃんはキ的な笑いを院外処方箋薬局の入り口付近でラジオ体操をしているおばさんに投げかける。
こんな日もある院外処方箋薬局の入り口付近であった。
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