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2020年9月

2020年9月29日 (火)

一寸一休③

さて「みっつ」かぞえる。
三幕目は幕間をはさんではいるが、三幕目のつづきということになるはずなんだが、こいつがうまく論理が整合されていない。(主には私の鬱疾患に因る)なので、箇条書きでフラグメントをおそれずに記す。
書かねばならないこと(かんがえねばならないこと)は、だいたい以下の如し。
1, 東京オリンピックは、COVID-19の状況とは関係なく行われる。(関係アルのだが、関係の仕方が巷とは、断層を異にする。IOC会長 トーマス・バッハはバッハならぬハッパをかけていた。(ハッパとは発破のことで、要するにドカンと山を崩したりするdynamiteみたいなものでしょう)。ところが公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長: 森喜朗氏は、このアトの談話で「みんな一緒に船に乗ったつもりで」とかなんとか、いつものように蜃気楼のような口調。(ところで、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会というのは、公益財団法人日本オリンピック委員会-Japanese Olympic Committee-とはチガウ組織で、なんかややこしいネ。どっちも泥船にならなきゃいいけど、とかくオレはそんな船からは降りたい)。
2, それ(開催事業)はCOVID-19に対して「安全・安心」で、それは人類のCOVID-19に対する凱歌として開かれねばならない。(ここはもう真珠湾からいっきょにインパールにいっちゃうなあ)
3, その二つのことを目的として開催されるそれは、じっさい、どうみても現状では不可能なのだが、(どうしたって、インパール白骨街道は、真珠湾奇襲にならないのだが)、可能であったという結果にしなければならない、し、ヤルからにゃそうするだろう。(せめてミッドウェー)
4, 以上のような「キチガイ沙汰総力戦」を権力がもし、力づくでやり遂げるとすれば、必ず何処かに何かの誰かに「犠牲」が生まれる。
5, その「犠牲」とは、COVID-19の犠牲者と等価であるはずだ。(と、私はかんがえている・・・このあたりの論理の整合化が不十分なんだけどネ)
5に関する論理の整合性、論理化が不十分なものだから、事例を挙げることしか出来ないのだが、その一つの事例は、まさしく虚空旅団の公演休止なんじゃねえのか。
それだけだとなんだから、とはいえ、まだ満州国は砂上なので、そこで、もう一つ、架空(illusion)ではあるが典型的な例をつくってみる。
/母子家庭があって、母親はhelperを生業としている。この母親の子供の通学している学校の一児童に陽性反応が出た。当然、学校はしばしの休校となる。他の児童のどれだけに感染しているかが判明するまでは、それなりに授業の時間は中断されるだろう。これは公共の手順、もはや仕来りであるからしょうがナイ/。
/さて、その母親にも累が及ぶのだ。あたかも、虚空旅団で起こったようなことと相似な累だ。これを「連鎖被害」と称しておく/。
丁度かの大災害ののちの風評被害がimageとしては近いのだが、本質はまるでチガウ。この「連鎖被害」は風の噂でも、人々のデマでもナイ。母親はhelperという職業柄、業務に差し止めをくらう。母親の業務と子供のガッコの児童の陽性反応にはなんの因果もナイのだが、すでに釈迦如来によって否定されている「因果応報」を権力は律として(戒のようだが、ここでは戒でも律でも作用素は同じだ)行使出来る。権力は弱い者の味方ではナイ(どうもすんません、橋爪さん)。神ではナイのだから(と、付け足しておきますね橋爪老師)。
ここで、こんところで、私は、ふいに、子供の頃おおいに盛り上がった日本における世界の祭り、前回の東京オリンピックをおもいだす。といっても、競技場の日本選手団行進の明るい場面ではナイ。私のイメージ、その頃はシートなどなかったから、橋の下を住処としていた大勢の〈コジキ〉と呼ばれていた人々が、忽然と、跡形もなくこの祭りの前に消えてしまったことだ。あっさり、スッキリ、テケレッツのパッ。 
このことは、お粥までご馳走になった子供の私に奇妙な衝撃をもたらした。漠然とした恐怖といってもいい。テケレッツのパッだからなあ。
まとめて書けば、以下の文言になる。
「COVID-19、コロナ禍における東京オリンピック開催にあって、如何なる「連鎖被害」が起こり得るのか。その「安全・安心」のsloganの錦の御旗、黄門さんの印籠の下、どのような「連鎖被害」が待っているのか。経済を損ねることなく、社会的に問題となることなく、あたかも彼の「構造改革」の如くに、弱きもの(別名を不要不急のもの)がこの世界から消去されていくのではなかろうか。そんなことの方針はアトヅケでいくらでも権力には可能なことだ。テケレッツのパッ、だもん。と、これが三幕目のはずだったのだが、いまの私の、鬱疾患で損なわれている力量ではそれを論文化することは出来ない。ただ、子供のあのときと同じような「漠然とした恐怖」だけが、今度は顕在して、胸を抉られるような恐怖感になっていることを小声で告知出来るだけだ。テケレッツのパッ。
と、幕。

2020年9月27日 (日)

一寸一休②

倫理と科学はときとして乖離することがある。(そのほうが多いのかな)。人倫は倫理の則だが、医学は科学の公理、定理だ(まだ法則までは発見出来ていない)。
虚空旅団「春はやて」は公演中止について、主催の高橋は何を「詫びた」のか、その倫理性については、主催者の筋道を求めるものではナイ。「ヤルヤラナイ」は主催者の権利だ。
感傷的にいえば、COVID-19との闘いに撤退を余儀なくされたということの重要さを噛みしめて膝をついたというしかナイ。勝敗は兵家の常(かちまけはへいかのつね)だ。それをこそ、闘っている証左という。大言壮語の後でケツを拭く間もない政治家より遥かに大事なことだ。
ただ私は、政治的、社会的、経済的、倫理的、さまざまに捉えられているCOVID-19について、医学的にお復習いをしておこうとおもう。虚空旅団が何を決としたのかは、深入りはしない。ただ、私はもう一度「医学」としてCOVID-19を見直してみたいのだ。とはいえ、私は医事労働者ではナイので、他人の褌を借りる。
以下は免疫学フロンティア研究センター招聘教授、宮坂昌之氏の、ヤフーニュース・インタビュー(5/16・土)から私が適当にひろって編集したものだ。要するに「集団免疫」についてもっぺん確認しておきたいのだ。「集団免疫」書き方を広義に変えれば「ワクチン」のことになる。先進医療国はワクチンの製造を違法ギリギリで競ってきた。ここで抗体寿命が、インフルエンザに遠く及ばないとすると、治療薬のナイいま人類は路頭に迷う。
――――――――
どうも、このウイルスは免疫を起こす力が非常に弱いし、起こっても遅い。抗体だけを見ていると、判断が非常につきにくい。
今まで集団免疫は、獲得免疫の、しかも抗体というパラメーターだけを見て判断していましたが、私は、それは間違っているのではないかと思っています。
ウイルスに対するからだの防御というのは、獲得免疫だけが規定しているのではなくて、われわれの免疫は自然免疫と獲得免疫の2段構えになっています。自然免疫が強かったら獲得免疫が働かなくたってウイルスを撃退できる可能性があります。自然免疫だけでウイルスを撃退することもあるから、抗体の量や陽性率だけを見ていても集団免疫ができているかは判断できない可能性があります。今回はそういうことが起きているのかもしれません。
問題は、集団免疫に対する考え方です。
/これは「特定の集団の何割が免疫を得たら感染流行が収まるか」を計算するものであって、もし免疫がなかったら何割死亡するのかということを示すものではありません/。

そこが間違って使われていると私は思います。

新型コロナでは基本再生産数(Ro)が2.5だとすると、集団免疫閾(しきい)値は(1-1/2.5)x100 = 60%となり、6割の人が免疫を保持することが流行を止めるために必要であることが示唆されます。ただし注意すべきなのは、この場合、一般的には「免疫」とは抗体ができることを指していて、「獲得免疫」のことであるというのが暗黙の了解となっています。
しかし、個体レベルではウイルスに対する防御は2段構えであって、自然免疫と獲得免疫がウイルス排除に関与します。
もし自然免疫がうまく働けば、少数のウイルス粒子が侵入してきても自然免疫だけでウイルスを排除できる可能性があります。つまり獲得免疫が働かなくてもウイルスは排除できる可能性があります。
実際、最近の研究結果から、自然免疫はさまざまな刺激によって訓練され、強化されることがわかっています。集団免疫のことを語る際には、獲得免疫のことだけではなくて、個人レベルで働く自然免疫と獲得免疫の両方を考慮に入れる必要があると思われます。
新型コロナウイルスの場合、上に述べたように「6割程度の人が免疫を保持することが流行を止めるために必要である」と信じられていますが、実際にそうなっているでしょうか?
例えばこれまで激しい流行があった中国湖北省武漢市でも、またクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」でも感染した人は全体の2割程度でした。集団の6割も感染をするようなことは観察されていないのです。
接触制限によってR値(基本再生産数)が1.2まで下がると、上記の公式で集団免疫閾値は20%以下(注:16.7%)となります。これが、実際に武漢市やダイヤモンド・プリンセスで起きていたことではないかと私は考えています。
つまり、一部の人たちは自然免疫と獲得免疫の両方を使って不顕性感染の形でウイルスを撃退したのかもしれませんが、かなりの人たちは自然免疫だけを使ってウイルスを撃退した可能性があるのかもしれないということです。
この集団免疫の考え方を援用して言われてきたのが「われわれはこのウイルスに対して免疫を持たないので、無防備の状態で感染が広がると集団の中の60%ぐらいの人たちが感染するであろう」ということです。
実際、イギリスのファーガソン教授もスウェーデンの疫学者アンデシュ・テグネル氏も、さらには厚生労働省クラスター対策班の北海道大学大学院、西浦博教授もこの数字を挙げていました。しかし、私はこの仮定は違うと思います。前述したように、このようなことは武漢市でもダイヤモンド・プリンセスでも起こってはいません。これはスペインでもイタリアでも起きていません。
特に/このウイルスが起こす免疫はあまり高くなく、持続も短いようなので/、免疫学者の目から見る限り、集団の60%もが免疫を獲得するような状況は、余程良いワクチンが出てこない限り起こり得ないでしょう。
集団免疫閾値はこの新型コロナウイルスの場合、60%は成立しない。たぶん良くて20%だと思います。2割だったら今後ワクチンができてくると確実にそこは到達できると思います。
/ナチュラルな状況で人が感染して治るという状況だと、おそらく毎年、このウイルスにお付き合いすることになると思います/。

免疫学フロンティア研究センター招聘教授。京都大学医学部卒業、オーストラリア国立大学博士課程修了、スイス・バーゼル免疫学研究所、東京都臨床医学総合研究所、1994年大阪大学医学部バイオメディカル教育研究センター臓器制御学研究部教授、医学系研究科教授、生命機能研究科兼任教授、免疫学フロンティア研究センター兼任教授。2007~08年日本免疫学会長。宮坂昌之氏
たしかに、COVID-19は、免疫はかなり低い(獲得免疫が弱い)というニュースがある。つまり抗体寿命が短い。いいかたを変えれば、ワクチンによっていったん陰性になった患者が陽性に戻って罹患再発することが多々起きている。これは人類にとって驚異ではないか。

東京オリンピックが、COVID-19との闘いだなんて、戦時大本営みたいなこといってないで、ちったあ、まともに現実を認めましょうよ。
「go to travel 」「go to event」を政治的に煽動するなよ。黙示録の喇叭を吹くのはヤメにしましょう。
二幕目の幕が降りて、幕間(まくあいと読むんだよ)です。 

一寸一休①

タイトルどおり、ニイちゃんとおばさんのマンネリドラマは一休み。
休んでいるあいだに、チャンドラーのフィリップ・マーロウになって、三つ数える。
まずは第一幕。
/虚空旅団第35回公演『春はやて』公演中止について/なんと云おう。どういうコトバを何処に発すればいいのか。小劇場演劇の幕の内舞台裏を知らぬものなら、どんなことをいうのも出来るような気がするけれど、裏とおもての五十年、私は、いまのおもいを、とある医学者のインタビュー記事論文の引用で、賄うことにする。(発表からは時間が経つが、非時間主義者にとっては、ココロに残る記事だった)
/に、しても、COVID-19を政治的にしか利用出来ない国痴無謀(これ、国士無双のオヤジギャグね)な新内閣にせよ、ここまで廃れたか民主主義とやらよが予想される大国大統領選挙の大茶番。その変な世界の、鳥も通わぬ小島の磯の砂浜に、錆びたナイフをほじくり出して、おれもここまで泣きにきた。泣きながら涙で研いだナイフはいつか、秀次郎さんの長匕首(ドス)になってくれるのだろうか。んなこたあ、ケセラセラでしかナイだろう(ドリス・ディが歌ったヒッチコックの『知りすぎた男』のQue Sera, Seraではない。ケセラセラのほんとうの意味「起こるべくことは起こるべくして起こる」という家訓をめぐるサスペンス映画があるのだけどなあ。タイトルが~)。
まあいいや、幕、開ける。

/まずは、お知らせが遅くなってしまったことをお詫び申し上げます。
すでに劇団ホームページにて公表致しましたが、9/25〜27に予定していました虚空旅団「春はやて」は公演中止となりました。
私は元気です。関係者全員、劇場ガイドラインに該当する新型コロナウイルスの感染者、濃厚接触者はおらず、健康上問題ありません。
だからこそ公演中止の決断と発表に時間がかかってしまい、そのため様々な方にご迷惑とご心配をおかけする結果となってしまいました。
そのことを含め、自身の至らなさを猛省するとともに、「これがコロナウイルスがある世界なんだ」と痛感しています。/
で詫び状は始まる。しかし、/「私は元気です」関係者に感染者、濃厚接触者はおらず、健康上問題はありません。/の次の「だからこそ」は「これがコロナウイルスがある世界なんだ」に続く副詞表現だ。COVID-19の医学的問題の前に立ちはだかる人倫の選択。
虚空旅団ホームページ『春はやて』をみてみる。
/今回の公演中止、その発表が遅れてしまったことについてお知らせいたします。9月24日、公演関係者に新型コロナウィルスの濃厚接触者と接触の可能性があるとの報告がありました。該当者の保健所からの調査・指導は公演期間後になり、不安要素のある中でお客様を迎え入れることができない為、今回の公演を中止するに至りました。
また、当初の公演の代替(だいたい、と読む。引用者:注)企画を検討していた結果、結論を出すのに時間がかかり、公演直前のご連絡・並びにご案内の変更と、皆様にご心配、ご迷惑をおかけすることになりました。
このような事態を想定できていなかったために、関係者内での合意、結論を出すのに時間がかかってしまったことにより、公演直前のお知らせとなってしまいました。
現在、公演関係者には、劇場のガイドラインに該当する新型コロナウィルスの感染者、濃厚接触者はおらず、健康上問題はありません。
どうかご理解賜りますようよろしくお願いいたします/。
つまり、公演関係者の職場に、濃厚接触者が存在したということであって、責任というコトバは何処の誰にも該当しない。しかし、オリンピックごり押し開催国家路線とは、ここで、彼女たちは明確な線を引いた。そうすることしか、COVID-19に対抗する手段がなかったことに私もここまで泣きに来るしかナイのだ。
現在COVID-19については、ワクチンの抗体寿命が短く、ワクチン摂取者でも再生産数が1を超えていくことに懸念が報告されている。要するにワクチン効果が充てには出来ないということになる、このCOVID-19はかなり強者(したたか)ということだ。
ともかくは、「不説(COVID-19についてはまだそれがどんなものなのか、ハッキリしていない。/解き説き/できていない)」のシロモノに関して、出来うる限りのことをして、撤退を臥薪嘗胆した彼女たちの苦渋、苦悶、裂胸累々の涙の雨に、ともに濡れておく。

2020年9月24日 (木)

港町memory 139

おそらくもう目は視エテイナイ。散弾銃喰らった森のケモノのように、ベッドを弄るようにして掻きむしっている。鼻孔が開いて、息がさきほどよりさらに荒くなってきた。たぶん明日までもつことはナイ。
「ニイちゃん、あんたも相当残酷なクソガキやなあ、そこで、なんでナースコールせえへんねん」
「看護師さん呼びたかったら、自分で呼んでるでしょう。静かな、安らかな死なんてものを望んでなかったんですよ。夜叉か阿修羅のような眼光だけ鋭く、誰を何を恨んでいるのか、憎しみ吐き出して、」
「それ、じっと観とったんか。どんな目で観てたんか、わしが知りたいくらいやわ。親も親なら子供も子供、悲惨ちゅうやっちゃな」
ニイちゃんは、親というものが何なのかよくワカラズに生きてきた。親になったこともあるが、事情により、親というものが何なのかワカラヌものに親が出来るワケがナイ。親は子供を殴るものだという体験しかニイちゃんにはない。荷物のように投げられて自転車置き場の自転車の上に落下したこともあるが、そのときの痛みよりも、自転車の倒れる金属音だけが耳に残っている。哀しいことに、ニイちゃんは殴られても投げられても、泣かなかった。泣けばそこで終わったろうに。その可愛げの無さに親はさらに角材で頬にカウンターを入れる。殺されるとはおもわなかったが、顔面は片方が腫れ上がって目がみえない。
そこで、ニイちゃんはどうしたか。
さらに角材を振りかざしているものに向かって、笑ったのだ。
さすがに角材は飛んでこなかった。気味が悪かったのだろう。へらへらへら。
丁度、看護師が入室してきて、母親の足を撫でた。
「冷たいなあ。血ぃ、もう通ってませんよ」
「ほんで、どないしたんや。医者呼んだんか」
「おばさん、緩和ケア病棟というのは、治療病棟とチガイマスよ。モルヒネを要請するまで、アセトアミノフェン600㎎飲まされてただけですよ」
「あんなもん、癌痛に効かへんで」
「6000㎎でナイと、アセトアミノフェンでは無理でしょう。桁をマチガッテいるんじゃないのか、と、看護師に訊きましたもん」
「ほんで、ほんで、どないしたんやっ、いうとるやろがっ」
「葬儀屋に連絡入れました。あと、看護師には、モルヒネとセロトニンを医者に頼んでくれ、そういって、葬儀屋と段取りの相談して」
「ニイちゃん、あんた、そういうの冷静というより、冷酷いうのんとちゃうか」
「オレもかんがえましたよ」
「ナニ、かんがえたんや」
「母親が、何を恨み、何を憎んでのたうってるのか。付き合いが薄いんで、よくワカランかったですけど、アト、父親と一緒の墓に入れるのはそれこそ残酷かなとおもったり、骨どうしでケンカしたりして。まあ、死んだらとりあえずプラズマやから、エエかと」
「けっきょく、親の死に目に逢わんかったんやな」
「両親どころか、運がエエのか悪いのか、オレね、誰の死に目にもアってナイんです」
ニイちゃんは、そこで、ふと、二十年飼っていた猫の死に目にも逢わなかったナとおもった。
悔いがあるのは、それだけだった。
院外処方箋薬局の入り口付近だったが、局内から、番号が呼ばれたのが聞こえた。
「ニイちゃん、あんたの番号やろ。わしはもう、さっきもろたさかいにな。しかし、ニイちゃん、あんたロクな死に方せえへんで、ほんま」
「そんなことナイですよ。生き方よりはマシじゃナイかとおもってますけど」
ニイちゃんは、おばさんに背を向けて去っていった。
おいっ、なんで、院外処方箋薬局の中に行かないのだっ。ナニを、格好つけてんねん。入れよっ、もうそろそろ。
不条理劇か、これはっ。

2020年9月23日 (水)

港町memory 138

アーサー・ヘミングウェイと鬱病についてニイちゃんはかんがえていた。猟銃自殺という悲惨な死に方についてではナイ。六十一年の生涯、ノーベル賞作家、傷だらけの身体、tough、若いときは何のハナシだったかワカラナカッタ『老人と海』を還暦の手前で読んだときの、あの茫漠たる心情。そしてあの晩年。「書けなくなった」というたったひとことの電話での声が最後だったという。
「ニイちゃん、また深酷劇やっとんな。今度はなんや。フラレたんか、て、フラレる前の段階が無くなって何年たつねん。あんた、わしより二周り若いねんで、何をクヨクヨ川端柳。そや、いつかな、訊いたろおもとったんやけど、ニイちゃん、何科に通院しとんねん」
「精神科です、が」
「ああ、なんやキチガイかいな。そら面白そうやな。あのな、最近のスマホたらのメールたらsnショーたら、あれな、キチガイて打鍵するやろ、ほしたらな、キチ+イでしかでえへんねんで。エライ気ぃつことるな」
「ここは病棟はナイんですよ。しかし、一度、そういうところに別の仕事で、取材なんですけど、いったことあるんですが、そこの連中のほうがマトモでした。少なくともいまの政治家とかいう人種より」
「ほらほやがな。いまの大統領も将軍さんも、ひとを殺しても罪にならんからな、まあ、昔っから、戦争の最前線はカラッドばっかやねんけど、映画では白人しかおらんわな。あんな最前線、世界の何処にもあれへんで。うちのお父ちゃんいうてたわ、沖縄で戦こうたときと、負けて終戦、敗戦やのうて終戦や、そうなったときに上陸してきた占領軍、いや進駐軍ちゅうねんな。色がチゴウてたて」
「戦争で闘うなら、オレは絶対、狙撃にまわります。自動小銃やら機関銃で殺しても、弾があたってるのかどうかワカリマセンからね。ヤルなら狙撃です。スナイパーです。いまは二人一組でやるんです。一人はモニター観ながら指示します。/風、東南東、風力0,5、マネキンとの距離689m、弾速計測、修正必要ナシ。ロック、ママウチ命中誤差1㎝以内。着弾点カンヅメ(頭蓋)。トリガーッキィック、よしアリの群れ、OK、スッポン。撤退」
「なんやねん、それ」
「まあ、スラング入ってますから」
「そうでっか。ああ、あのな、オモロイかなとおもて観たらつまらんのが、いつもの性教育番組や。テレビ。今朝は、犬アッチケーで朝からヤッとんねん。観たか、テレビ」
「一応、待合で観てましたけど」
「あの性教育は仕立て落ち。あのな片手落ちやのうて、仕立ての段階で服にならへんことがワカッとんねんテ。いっぺんでも、性感帯とかテクニックとか教育しよったか。しよらへんさかいに、みなマチガイよるねん、アダルトビデオのマネして失敗や」
「おばさん、そういう話題、ここの院外処方箋薬局の入り口付近ではヤメませんか」
「なんでやねん。ニイちゃん知らんやろ。この院外処方箋薬局、裏まわったらエエのんあんねんで」
「また、それですか。この前、パッパも本気にして、裏から入ったら、老人ホームの食堂でした。洗い場で食器洗ってきましたワ」
「惜しかったなあ。そら、入り口マチガイ。裏庭には阿片が咲いとるんやで」
「おばさん、何科に通院なんです」
「わしは、妄想性躁病へ通院や」
嗚呼、きょうもまた、意味なく院外処方箋薬局の入り口付近に陽は落ちていく。

2020年9月18日 (金)

港町memory 137

「権力がなぜ、悪いんですか」
気色ばんだような声だったんだろう。ある対談で橋爪大三郎さんはいう。
そりゃあ、そういうしかナイ。大三郎さんはクリスチャンだから、権力を否定することは不可能だ。しかし、聞かされた(問われた)ほうも一瞬ハッと息を飲む。たしかにそうだ。「権力がなぜ悪いか」に応えたのはバクニーンの(それでも)理想主義(無政府主義ともいう)くらいなもんだろう。
「権力がなぜ、悪いんですか」
そこでニイちゃんは独り言のウィスパーで応える。「なぜ、悪いかじゃなくて、古今東西、悪い権力以外の権力は存在しなかったんですよ、大ちゃん」
菅新内閣はえらいハリキリようだ。江戸時代なら「年寄りの冷や水」と揶揄されんばかりの突っ走りだ。
「そら、ニイちゃん、失敗はみな安倍ちゃんがヤッたさかいにな。その反対こをしつつ、おんなじようにヤれば、あれ以上の下手は打たんさかいにな。まあ、なんぼ、生ゴミの蓋の把手やいわれても、やりやすいことは確かやな」
『SP 警視庁警備部警護課第四係』(エスピー けいしちょうけいびぶけいごかだいよんがかり)という長ったらしいタイトルの(金城一紀のオリジナル脚本)の名せりふ、というても、ニイちゃんはすっかりそのとおりを忘れているので、「つまりですね、二十年の獄をくらった犯人がその二十年目に出所してきていうんですよ、/オレが監獄にいるあいだにいったい何人、総理大臣が変わったっ、世の中は二十年前とちっとも変わっちゃいねえっ/、これいいですよね」
「変わるかいな、戦後も戦前もおんなじヤ。これから先も一緒ッ。子供の頃、おおきなったらなんになるんや、いろいろかんがえたやろ。なれると、ちゃうで。なる、やで。ニイちゃんどないおもてたんや」
「医者です」
「ほら、エライもんやな。医者に通てる身でありながら」
「私の場合は、母親が、おまえは将来医者になるのやと、なんべんも私にいいましたし、他のひとにも、この子は医者になるんや、と、いってましたから」
「なりたあなかったんか」
「と、いうか、医者というもんが、ナニをするひとかワカランかったですから」
「なるほどな。ほんで、医者通いか。五つも」
「六つ、いや七つかな」
「ニイちゃん、これから先は何になりたいんや」
「これから先といわれても、もう、先っちょですから」
「先っちょでも、まだ在るがな。なんぼでもとはいかんけど、女の一人や二人」
「数多の病院通いの高齢者で、仕事がナイ、そういうのが趣味な女性、いますかね」
「いるか、そんなもん。いっそ、年上のひとはどうや」
「気色悪い微笑みはやめてくれませんか」
「わしの愛読書はな、ヒロガネケンシさんの『黄昏流星群』やで。ひひひひひひ」
「あれは、大人のお伽話ですから」
「まあ、そっちのほうはアカンとして、最後に一花、なんぞナイんか」
「そういうことをかんがえると、すべて、妄想になってオワリですね」
「わしは、いっぺん、パッパが喫うてみたいワ」
「この院外処方箋薬局で、裏取り引きがあるという噂がありますよ」
と、ニイちゃんがいってるあいだに、間、髪をいれずおばさんは院外処方箋薬局に消えた。ただし、裏口のほうに。
「パッパねえ。種くらいなら、ここの院外処方箋薬局に売ってるかな」
ニイちゃんは、妄想しつつ、立っているだけ。

2020年9月 7日 (月)

港町memory 136

/この世界はbluesに満ちている/と、たなか亜希夫さんは描いたけれど(『リバーエンド・カフェ』・6)、あの感動に満ち溢れた見開きのアトで、このコロナ禍で、職にあぶれた母子家庭の母子が三度の飯を二度にして、さらに一回の分量を減らし、子供は学校の授業に使うremoteが買えずに授業を受けられず、その上イジメにあって、と、いうニュース記事を日経電子版で読んで、やりきれないニイちゃんは自分がかつて理屈った/私と世界の関係/の命題を思い出し、
「世界は私の表現である」「私は世界の表現である」
「現実それ自体は存在しない。虚構は現実がなければ創れない」
これが公理となるのはいつの日だろうとブログに書いて、しかし、世界は「変」だなあ、と首を傾げながら院外処方箋薬局の入り口付近でおばさんと出くわしたのだった。
「ニイちゃん、あんたなあ、remoteとか、オンラインとか、ああいうもんはガッコが、義務教育やから児童生徒に貸し出してくれてるのやとおもてたんか。ほんま阿呆やなあ」
「しかし、おばさんのいうように義務教育なんですから、そこで格差をつけるのは違憲になりませんか」
「それいうんやったら飯の二回かて、母親の児童虐待で犯罪になってまうがな」
「なるほど、しかし政府、行政は、」
「あんな、ニイちゃん、トウメイ党がな、一律十万円の銭のばら蒔きいいだして、すぐそうなったやろ。そらまあ、ジニン党はトウメイ党に弱みを握られとるさけ、しゃあないとして、ああいうのを公平というんやろか」
「私はまったくチガウとおもいますけど。あの公平性は、聖書に出てくる、イエスが天国とはこういうところだと弟子に語った葡萄園の労働者の賃金の譬えですよ。まったく法華経とは宗旨がチガイます」
「ほんでもな、そのほうが手っとり早い簡単、とジニン党もおもたんやな。そんで、マイナンバーカードで、オンラインやパソコン処理や、これがえろうアナログな仕事になって、自治体はもう途中で投げよったワ。ネットちゅうたらあれやで、いっちゃんめんどクサイんやで。うちのお父ちゃん、会員カードつくるのが好きで、なんでもそれでヤっとるわ。一日それや。もうIDナンバーとパスワードがあちこちに貼り付けてあって、あんなもんセキュリティどうすんねん、なあ。そやけど、それをお父ちゃんにいうと、これはタイセツな番号ですから忘れないようにメモをして残しておいて下さいて、注意書きがあるねん、やて。なんのためのパソコンやねん」
/この世界はbluesに満ちている/ことに異論はナイ。しかし、ニイちゃんは、この世界はやはり「変」にも満ちていると、おもいつつ、院外処方箋薬局の入り口をアトにした。
入らんのか、入らんかいっ。

2020年9月 3日 (木)

港町memory 135

けっきょくは銭か、で、ため息するときは何も彼もに敗北したようで脱力しああよくできた地獄だねえこの世はと、マルクスの『経済学批判』を読んだときの生々(うぶ・fresh)な気持ちをどういうワケかおもいだす。
ニイちゃんはコロナ(COVID-19)騒動でここんとこご無沙汰だった仕事(騒動がなくてもご無沙汰だったのだが)のこともおもう。
800字のエッセーの場合、最初の一行で読者を引っ張りこまねばならない。(あの感動的な太宰の『津軽通信』をみよ)。「こんなものを」と、参考のために三冊雑誌が送られてきて、つまり三編のエッセーがあったのだが、ニイちゃんは一冊の三行だけ読んで、頭から棄てた。
庭の何かの木に実がなったとかいうハナシだった(のかどうか、三行じゃその程度しかワカラナイ。そこで、実だとおもったら生首だったのなら、諸星さんの『栞と紙魚子』シリーズになるが、そんなワケがナイ)
と、フラグメントしている院外処方箋薬局の入り口付近。もいっちょフラグメントさせると、『曇天に笑う』という伝奇時代劇映画(らしい)のを観たのだが、若手の役者ばかりで、なにしろ東野くんがえらくジジイにみえるほどだからナ。この映画の役者たち、自分たちが何を演じているのかワカッテいないような気がするが、たぶん原作はcomicなんだろう。誰が監督なのかも見覚えナイが、『伝わる映像』(村崎哲也・幻冬舎)でも一度読んで勉強したほうがイイ。たぶん何を撮っているのかワカラナイのだ。
「あーっ、もうお笑い番組の宣伝かとおもたで」
おばさんは膝を打って笑っている。
「なんか、オモシロイものありましたか」
「いやいや、特にどうでもエエねんけどな。〔大村知事をリコールする〕烏合の筆頭にな、百田なんたらいうヨタウヨやったかネトウヨやったか、正統派右翼の笑いもんにされてるあれの名前が出てきくさったんや」
ニイちゃんも大笑いした。
「それは、大爆笑ですよ」
「アレと市長の誰やったかいな、だんだん顔が崩れてきてるアレの二人が漫才でもしてくれると、もう、名前並べるだけで笑いがとれるな」
「そうですね。顔のcomplexを評伝に書いてはイケナイと、斉藤美奈子さんが『世の中ラボ』に書いていらっしゃいましたが、そのとおりだとおもいますけど、あの二人が揃って板の上にツイたら、笑うでしょうねえ」
「百田もなんぼ貰うたんか知らんけど、小説はなあ、エネエチケーの朝ドラ程度のオモシロサはあんのにな。その小説の新刊をすぐに図書館に置くのは営業妨害やいうてみたり、あら、こら、すまなんだナ。ニイちゃんの小説、図書館にも無いんやろ」
「ありますよ。「聞く小説」のコーナーにもあるはずですから」
「ある、はず、て。ははーん、ニイちゃん、あんたも図書館ウンコ症候群やな。図書館、よう行かんのやろ。アカン、そのハナシするだけで、うんこしとなってきた。ちょっと院外処方箋薬局でトイレ借りよ。というて、坐ると、出えへんのやけどなあ」
院外処方箋薬局の入り口付近でおばさんとニイちゃん、きょうもまた、アジャパーなのであった。
最後にもひとつフラグメント。
最近、ブラックコーヒーが飲めるようになってきた。そんだけですけど。

2020年9月 2日 (水)

港町memory 134

「菅、石破、岸田なあ。まあ、ツナギやな」
「きょうは政治ですか」
院外処方箋薬局の入り口付近でおばさんとニイちゃん。
「で、誰なんです」
と、ニイちゃん。
「ほやからツナギやと、いうとるやんけ」
「なんのツナギです」
「ハラ痛で保健室に逃げよったもんのツナギやから、臨時教員でええねん。菅でええねん。三年たったら、コロナ(COVID-19)もどうにか収拾がついとるやろ。オリンピックもジタバタと終わっとるやろしな。そっから後は難しいワナ。世界、「変」から「糞」になっとるさかいにな。二階はようわかっとるワ。さすが妖怪や。いまは石破が勝てんことは承知や。石破自身も承知や、しゃーけど、いいたいことが政治家として全国民にいえる機会は公的演説としては滅多にナイわな。太田くん相手に漫才ヤってるのとはワケがチガウからな。他の候補予定者も阿呆やナイな。そのあたりは読んでるワ。勝てるワケあらへん。陣笠の数が足りひん。いま、まともなことがいえて、でけるのは石破くらいやろ。しかし、員数が足らん。そやから、石破は此度は総理になる気なんかあらへん。仁義の上での闘いヤナ。菅は浮足立っとるだけや。報道関係屋の前に立って、なんどいうてるあいだに勘違いが膨らんだんやな。アホなやっちゃ。まっ、もちょっと生きてみるのも〈政治的〉生活としてはにオモロイな」
「あの、岸田さんのこと、出てきませんでしたけど」
「岸田ぁっ、あらあれや、コーフンしとるだけや。自分では、オレはエライ、そうおもとるんやで。おるやろ、そういうの、何処にでも」
「そうですね。で、私どもは、いまの世界、何をしてたらエエんでしょうね。国家の代表トップが選べない国民としては」
「ニイちゃん、そこがあんたのさらに阿呆なとこや。あんたがいつもエラそにいうてることを自分でもしてたらエエねん。勉強しぃ、べんきょう。高齢者でも執念のアルもんはオメコしよるけど、ニイちゃん、あんた六つも通院してて、院外処方箋薬局に毎度来てて、でけんのはオメコよりベンキョやろ」
「通院は七つです」
「いま、何のベンキョしてんねん」
「映像のrealと舞台のfictionとをどうしたら、うまいこと融合させてオモシロサにできるかですかね。8Kのドラマは逆にウソっぽいらしいそうですから」
「老師曰く/何処を探しても無いものは、探さぬほうがヨイ。探す以外にみつけるには探さぬことだ/」
「いやあ、おばさん、勉強されてますね」
「ナニいうてけつかる。最終学歴みたいなもんはナイ。あるのは最終学校歴だけやで」

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