港町memory 130
ショボッと微笑んで涙ぐんでいる。
院外処方箋薬局の入り口付近というのは、そういうところだな。
そこで、おばさんが、そんなふうにsentimentalになっている。
「どうしたんですか、と、いってもいつものことですけど」
「あんたかニイちゃん、ご機嫌さん。実はな、甥やったか、姪やったかの孫がな、うちへ来よった。それはええねん。そしたら、縁側でいつものあれや、体育坐りや。膝に頭うずめてベソっとんねん。なんやどないしたんや、と、訊くまでもナイわな。16歳のへたれは、失恋が98%や。しかし、自殺の原因もそれくらいやそうや。まあ、なんでもええわ。どないしたんや、数学の試験の点数悪かったんか。まあ、やさしいふりして訊いたわいな。そしたら、/もう僕は生きていけへん。この世で生きていくことは僕には無理や/と、まあ、決まり文句や。
ほんで、いうたってん。/あのなあ、おばさんはな、おまえより半世紀以上、それに十年足して足らんくらい生きてるねんけどナ、/もうアカン、生きていけへん/そやな、百回はおもうたかな。おまえ、何回目や、初めてやったら、アト九十九回はあるで。どんなんがあんのんか、楽しみにしとり。そのほが得やで。
ほんで、なんや。死んでしまいたいんか。そらアカン。死んでもどないもならへんで。死んで花実が咲くものかちゅうてな、死んだら死んだところに辛さ苦しさ哀しさ重さ、みいんな曳きづっていくだけや。死んだらオワリみたいな都合ようでけたらへんで。天国、極楽、そんなもんは無い。あんねんやったら、とっととみんな死んどるワ。みな、死なへんやろ、知っとんねんてそんなもん無いて。
しゃあけど地獄は在る。ちゅうても、あの世のあるワケやナイ。この世そのものが地獄や。そんなことくらい、もうエエカゲン解らんとアカンんで。右を向いても左をみても、豆を剥いても子芋を煮ても、ここが地獄というもんや。/縁側で夕立を待った日のありし/、ええ句やなあ。この「を」ちゅう助詞が副詞になってるところがエエねん」
おばさん、煙草を一服やりだした。もちろん、医師には止められているが、そういうときだけはおばさん、勝手ツンボになる。
たしかに、私も若かった頃「死にたい」と何度おもったことだろう、いや、私の場合、鬱季は鬱病疾患の症状で、毎夜寝る前の30分は布団に爪を立て苦しさを我慢し、起床30分は自殺念慮の誤魔化しにツイヤされているので、「若かった」と過去形で書くことではナイ。
/空がある
雲がある
太陽がある
おーい空、おーい雲、おーい太陽
と手をふってみたい
なのに いつも手を合わせている/
この詩を戯曲にするまでは、どんなトンチキな事態になろうと、私はきちんと飯を三度食うのだ。鶏頭幾度是訓戒 然忘却頓痴奇述 以諦念我忘去恥識
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