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2020年7月30日 (木)

港町memory 129

「η田舎に出るといたぁ~ 墓場の公演でぇ~🔑
おばさんが歌っている。きょうは二本立てなので浮かれているのかせ知れない。しかし、院外処方箋薬局🏥の入り口付近で浮かれていても、まあ、どうでもイイか。
歌が変わった。たしか井上陽水のfirst album『断絶』に収録されている『愛は君』だ。
「η愛は空 愛は海 愛と鳥 愛は花~」
おばさんいうところ、おばさんの青春時代の歌だそうだ。
それはウソだ。
しかし、いまなら三十二歳でも青春というのかも知れない。
ちょうど、井上陽水のフォークが流行りだした頃、私はあまりフォークソングを聞かなくなっている。高校時代が終わったからだとおもう。フォークは、protest songから、ふつうの歌になったし、余談でいえば寺山修司さんはここで詩を書く筆を折っている。
陽水はブレイクして、η人生が二度あ~れば、なんてのはパチンコ屋でも銭湯でも有線で耳に飛び込んできたし(そのアトにツルコウの『傷だらけの人生』がくるのは毎度のことで、これは、ワザとじゃないかとさへおもえて)
「つまり、ニイちゃんは井上陽水がキライやったんやな」
「いや、そういうわけでは」
キライというよりうざったい/(多摩弁(たまべん)。東京都多摩地域と神奈川県北部、埼玉県入間地域などその周辺で用いられる日本語の方言で、西関東方言に含まれる。隣接する埼玉弁などと合わせて、武州弁(ぶしゅうべん)とも呼ばれる。意味は「くどくて、うるさい」/なあという感じと、本気でそんなふうにおもっていないものを、拓郎なら「なんだこんな歌詞、ふざけんなよ」と、ワカッテいながら投げるところを、大真面目にふざけて歌う初期のものは、敬遠した。
けれど、最近(どうも私は気がつくのが畏るべく遅いのだが)陽水がヤったことは、なんだ、それまでのフォークの解体、ぶっ壊し、踏み潰しではないかとヤっと気づいて、そうして、それ以降、脱構築されることもなく、けっきょく、おいオレたちが、フォークゲリラとか称して鴨川の堤で革命を歌っていた、communeを叫んでいた、ありゃなんだったんだ。そう、なんだったんだ、なので、ありまして、陽水は「なんだったの、んっ、それより僕と踊りませんか」ときたのだ。
η真っ白な掃除機を眺めては厭きもせず~
「ニイちゃん、そら掃除機やナイ、陶磁器や」
「ワカッテますよ」
「η問題はきょうの雨~スマホがな~い~」
おばさんの歌は続いている。そうなんだよねえ、傘なんか無くったってどうにでもなるのよスマホがあれば、当初、世界に合わされつつ登場したスマホは、いまは正反対(真逆というヒトもいるが、あれは/まさか/の充て字)で世界がスマホに合わせている。スマホが二機あれば、もしも明日が晴れかどうかはスマホでワカル。感謝しなくていいスマホ、スマホは君、スマホが泣いている、限りない欲望のスマホ、
「ニイちゃん、何を真面目になってんねん、いまこそ陽水やで」
そういや、パブ・レスト出演のフォーク歌手が熱出して、急遽、おまえ代わりに行ってこいっ」と事務所にギター持たされ、しょうがないので、客が酒呑んで飯食ってる真ん中のステージで、『竹田の子守歌』も~りもい~やあが~るカンガール、と歌いだしたら、客からのclaim(野次)で「陽水歌わんのか、陽水いけっ」と、いわれて、『山谷ブルース』歌って、そんだけで帰ってきたことがあったなあ。


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