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2020年4月 6日 (月)

港町memory 98

で、いよいよ「宣言」がなされるそうで、そうなると前回記したように、もし我が身なら、東京にいたら感染地獄だぁっ、と、おたついて故郷(くに)に帰るだろう。とはいえ、去年暮れに母が他界したので、有機的な故郷も失している境遇だから、逃げ場なんざ無いんですが、帰る故郷の在るひとは帰るだろうなあ。食えない上に、「閉じ込められるかも」という正しくはナイがそれに近い恐怖は降ってくるだろうから。
こういう時は、「確率論」なんかが主流になっているかのような数学で(人工知能だって、ありゃ確率論じゃナイのか)、simulationの試みくらいあってもイイんじゃないのか。もちろん、知りたい確率は、
/かくなる場合、COVID-19禍の収束まではこうなる/
の「かくなる」だけなんですけどね。
映画はシーン撮りが出来るが、演劇(舞台関係)は連日の稽古があるので、どうしてもいわゆる「三密」の何れかが現場の状況として現れる。三つと重なることも多い。上演半年延期などと告知している舞台もあるが、その「半年」における安全の保証はなにもナイ。半年後はいまより状況が酷くなっている場合は「確率」として在るのです。
ともかくワクチン、あるいは治療薬の目処がたつまでは、身動きとれず、闘うことすら出来ない。(こういうとき、普段から筆が遅いといわれている劇作家は、ひたすら書きャいいとおもうんですけど)。
名古屋における私のいつもの「組」連中は、軒並み無職になった。次の目処がたたないので、文字通り「指をくわえて」いるしかナイ。私は、上演出来るかどうかワカラナイけど、いつもの如く、ただ書いてるだけ。
このさいだから、もっぺん活字にもどるかと、一冊活字の書籍を買った。日本国憲法上、「死刑」というのは、どういう過程で成立する(させることが可能なのか)知りたかったからであります。
その国のことが知りたかったらその国の「憲法」に触れるのが最も良い手段だということは、日韓関係で覚えた。韓国の憲法を読めば、一読瞭然ですワ。
COVID-19は、医学的、経済的、世相(社会)的、政治的に課題をばらまいている。
さて、これからではないのか、各自治体の手腕が問われるのは。
私などは厚労省のいうとおりに、「三密」を避け、手洗い、顔洗い、不要不急の外出を避け、ほんの少しだが、「ウイルスとは何なのか」と問うているだけだけど。

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