港町memory 89
いまのpartnerがhelperの仕事をしているので(アルバイトではなく、有資格者としてやっちょります)その利用者さんの方からときどき畑で採れた野菜を戴く。昨日ブロッコリーを頂戴したので、さっそく茹でることにした。
ネオ・コロナは疾病自体は感染率、致死率、感染ルートなどが次第にワカッテきたので、ほんとうに問題になってくるのは、今後の社会的、政治的、経済的な事態だろう。
この利用者さんと同様、みな懐に余裕があるのでhelperを雇用(事務所・会社を利用)されているのではナイ。止むに止まれぬ事情があっての利用なのだ。(わたしの母のときは、独り暮らしで年金たんまりあったので、余裕ありましたけど)。
たしか、去年、その利用者さんの家では、あまりの暑さに初めてエアコンを付けたそうで、その涼しさに驚嘆されたなんて、笑い話にもならないハナシも聞いた。
helperひとりがもし、感染でもすれば、その会社、施設は少なくとも一ヶ月は営業停止となる。社員、従業員も利用者さんも、困る。
検査キットは早くから開発されていたが、それを活用するには、陰、陽不明のひとと接することがあるので、誰だってやりたがらない。
そこで、自己検査キットが開発されてはいたが(なんともはや、すでに渦中だった中国でである)、政府の政治的お付き合い事情(なんか観る会に出席していたcompanyなんだろうな)で、バカ高く、予算が回らないでいた。
厚労省の大臣がいつも不機嫌な面(つら)をしているのは、前年度に大幅な予算カットを強いられたからだ。もちっと予算があれば、あのとき、こう出来た、こうくい止められた、とおもいつつの悔恨、その点だけは厚労省に同情する。
私は週に二回通院し待合室にいてベッドに30分は横になる。、月に一回通院し、二ヶ月に一回通院し、三ヶ月に二カ所通院し、ともかく、例の集団cluster感染(このclusterというのは、天文用語か物理用語のような気がしていたが、ネットゲームからの頂きらしい)の確率は極めて高いのだが、これまた極めて、手洗いと消毒は念には念をいれて(だってそれ以外出来ることねえんだもん)ヤルしかナイのでそうしている。
いまだに、高温多湿に弱いのか強いかが判明していないのは検体の少なさのせいだとおもうが、ここがインフルエンザとの大きなチガイだろう。つまり、これはマスクの有効性がハッキリしないという具体性として現れる。(マスクにだって種類はあるだろうし、装着の仕方のいい悪いもあるだろう)
で、私はいま、ナニを考えているか、ネオ・コロナのことはもういいや、もう一度、名古屋の演劇(小劇場演劇)に取り組んでみるかなどと、この七月で六十八歳にるというのに、アト二年は、そっちに半分壊れた心身ではあるが、余力もナイのに命はまわすことにした。
ひぇー、これだけ書くのに、手首と肘の腱鞘炎、座骨神経痛のせいで、ミスタッチが何十回あったことか。
生きるべきか死ぬべきか、生きるべきなら如何に死ぬべきか、だぜ。
« 港町memory 88 | トップページ | 港町memory 90 »
「暮らし」カテゴリの記事
- nostalgic narrative 34(2024.09.21)
- nostalgic narrative 32(2024.09.17)
- nostalgic narrative 30 (2024.08.25)
- nostalgic narrative 23(2024.05.19)
- nostalgic narrative 22(2024.05.16)