港町memory 73
親鸞の教え、「念仏一声、往生極楽」は(親鸞本人の)予想をはるかに上回って下層階級(ここでは公家や武家以外の農民、百姓)に浸透したばかりか、これが、一種の階級闘争となっていくという観方が、マルクス主義歴史論者の理屈でありましょう。
たしかに、/死んだら往生/は、ある種の/怖いもんナシ/の心情となったことにマチガイはアリマセン。つまり、いうところの「一向一揆」は、一度ならず何度も起こっていて、応仁の乱を挟んでもかなりの盛り上がりをみせております。浄土真宗は蓮如の頃は通称一向宗と称され、向かうところが一つなら、武士も坊主も百姓もおんなじやナイケ、と相成ります。しかし、歴史とは皮肉なもので、このあたりから下克上というアレ、社会科で習いましたなあ、アレが、戦国時代を形勢し、戦国大名の台頭も始まるワケでござんして、呉越同舟が如き寄り合い所帯のニワカ連合は、それぞれのおもうところがケッキョクはバラバラだったためにまとまりがつかなくなってきます。坊主は武家を武家は坊主を互いに利用せんとしていたのですが、さらにここに商人という銭儲けの衆がからんで参りますに、次第に烏合の衆と様変わりして参ります。そうなりますと、明日の敵は今日の友、階級闘争は権力闘争へと変貌を余儀なくされます。
この混迷と錯乱を最も敏に畏れ、天下統一の障壁となると見抜いたのが織田信長だったようです。(ようです、と曖昧にいいますのは、他にもそりゃあ、いたでしょうけど、防御制圧したのが信長だからです)。信長は延暦寺に火を放ちます。僧兵なんてのがいましたからねえ。延暦寺から敵視されて蹴っ飛ばされていた本願寺派の蓮如などは、ここぞ幸いとばかりに布教活動に専念して、みごと浄土真宗中興の祖となるんですな。
階級闘争も権力闘争の前には力不足の感、否めず、信長も歴史の運命には逆らえず(本能寺の変)要するに、なんでんな、今日の浄土真宗が顕在するのは血で血を洗う争闘の結果ともいえるワケです。(それが悪いというワケではなく、宗教というものは必ずそういった一面を持つということです。蓮如上人は彼なりに、戦には反対していましたから)。
私の無知なる意見を付け加えさせて頂くと、一向一揆を含むいわゆる戦国時代の戦争は、ふつうかんがえられているクラウゼヴィッツの「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」(『戦争論』)の兵力戦というよりも、「総力戦」(軍事以外もあらゆる分野を総動員して行う戦争)であり、勝利者が国家であるとは限らない(坊主の宗派の檀家拡大とかネ)、に、近いのではないかと、そんな雰囲気ですナ。
一向一揆のresearchを終わります。
« 港町memory 72 | トップページ | 港町memory 74 »
「経済・政治・国際」カテゴリの記事
- nostalgic narrative 12(2024.03.05)
- nostalgic narrative 11 (2024.02.27)
- 時世録・51(2024.01.03)
- 時世録・49(2023.12.24)
- 時世録・34(2023.08.24)
「仏教・宗教」カテゴリの記事
- アト千と一夜の晩飯 第四十夜 信仰について (2023.01.05)
- Sophism sonnet・69,8-12(2022.02.07)
- Sophism sonnet・69,7-5(2022.01.19)
- 港町memory 73(2020.01.06)
- 港町memory 72 (2020.01.05)