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2020年1月 5日 (日)

港町memory 72

冥途の旅はあったほうがイイとおもっております。極楽浄土なんてのはキリスト教のパライソ(ポルトガル語のParaíso、 パラダイスparadise、天国・楽園を意味するキリシタン用語)と同じですから、あるのかないのかどうでもヨロシイ(教派によっては、行けない御仁もあるようでして)、そこへいくと浄土系は阿弥陀如来の浄土へと行くワケですが、これはもう南無阿弥陀仏の一発(一声)で誰でも行けるというふうに親鸞上人が法然浄土仏教をさらに解体してしまったワケです。仏教の始祖釈迦牟尼は、そういうものは「霊魂不説」と退けられております。私のように名古屋駅前で、名も知らぬ教派の少女から一応、洗礼のようなものを授けられ、その後、釈迦の思想に共感、共鳴しているものにしてみれば、ニーチェのいうように、キリスト教徒はイエス・キリストただ独りのというのが納得がいきます。要するに『自燈明』。キリスト教もアトは要するにアトからの物語で、聖書(Bible)もまた、初代法王(十二人の弟子の中のペテロ)が適宜つぎはぎしたものですので、矛盾だらけなのはアタリマエ。(だからダメだといっているのではアリマセン。いいコトバもたくさんあります)。
浄土系は修行がありませんから、菩薩という存在を認めないので(どうも地蔵菩薩は別扱いらしいんですが)『般若心経』も読経しません。私はこのブログで何度も書いておりますように、仏教経典は『般若心経』と『妙法蓮華経』『維摩経』の三つが在ればそれてヨロシイとかんがえている衆生でござんすから、母親の祭壇の前では、朝、夕『般若心経』の前半あたりまでをあげておりました。(後半部分は宣伝文句ですから必要ありません)最後にギャーテエーうんちゃらなんていってそんで終り。
『法華経』は仏典の中でも革命(社会改革)の思想書ですから、北一輝や石原莞爾、さらには宮澤賢治などが傾倒したのはアタリマエです。
ところで、一向一揆は浄土系の革命闘争なんですが、何故、浄土系にそんなことが起こったのか、これは今年、調べてみます。
それはともかく冥途の旅はあったほうがイイ。四十九日の歩き旅なんてのは、なかなか現世では出来ません。ガイドブックすらございません。これこそが死んでからの(現世を離れてからの)唯一の愉しみでござんしょう。もちろんお釈迦様はそんな旅なんざ、露ほども口にはされておりませんが。
親鸞上人にしてみましても、かの「面々のお計らい」というコトバはだいぶんに誤解されて伝わってしまっているようで、私の解釈ではこれは釈迦がアーナンダに遺したコトバ、いわゆる遺言(いごん)の『自燈明』に該るとかんがえているのですが、どうも「かってにしろ」とおもわれているようです。かってにすればイイんですけど。
蛇足ですが、『教誨師』(きょうかいし・2018年制作、日本映画。死刑囚と対話する教誨師を主人公にしたドラマ映画。大杉漣の最後の主演映画で、大杉はエグゼクティブ・プロデューサーも務めている)をDVDで観ました。いうなれば、ルイス・ブニュエルの『ナサリン』の日本版です。海外映画(洋画)ですと、こういうものもスンナリとくるんですが、どうも、お国柄、じゅうぶんに感涙するんですが、「ツクリ」が目につきます。コトバを変えていうと、ハナからハナシがワカッテしまう。いや、それでも、じゅうぶんにハートフルではありますよ。

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