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2019年12月21日 (土)

港町memory 70

(承前)
では、何故、どんなワケアリで〈空〉である量子、の波動は、実体〈色〉に転移、変容するのでしょうか。
それは波動の「状態ベクトル」とイアン・ブリゴジンの学説「散逸構造論」に登場する中心的キーワドの、コヒーレンス、コヒーレントとインコヒーレントに密接な関係がありそうですが、それ以上はいまのところワカリマセン(もちろん、私には、ですが)。むしろ、何故そういったこと(ほんらい量子力学的な世界にニュートン力学的世界が生じたという、ありそうもナイ、まるでillusionなこと)が起こってしまったのか、のほうが私にとっては問題です。
コヒーレンスとコヒーレントの違いについて解釈を入れておきます。
単純にいってしまうと、コトバの上での二つのチガイは、
名詞 coherence コヒーレンス
形容詞 coherent コヒーレント
でしかありません。そこで、もちっとばかりクルクルした脳髄の錯綜を整理整頓、納得させましょう。
/コヒーレンス(Coherence)とは、波の持つ性質の一つで、干渉のしやすさ(干渉縞の鮮明さ)を表す。干渉とは、複数の波を重ね合わせるとき、波が打ち消し合ったり強め合ったりすることをいう。レーザーはコヒーレントだが、太陽光は、その逆、インコヒーレントといえる。コヒーレントな光とは一つの定まった波長をもつ光で、連続的に続いていて光の山と山、谷と谷が一致する規則正しい光のことであり、レーザの光はこのコヒーレント性をもっているが、太陽光のような自然光はこのような性質は持っていない。したがってインコヒーレントな光と呼ばれている/
ということになります。つまり、コヒーレンス(Coherence)とは、波の持つ性質の一つで、干渉のしやすさ(干渉縞の鮮明さ)がたいへんヨロシイということです。

私は以前はコヒーレンスとコヒーレントをそれぞれの逆の意味合いと勘違いしていましたが、その勘違いはさほど論理的に致命的なものではなく、つまりコヒーレンスを純粋状態、コヒーレントを混合状態という位相に置き換えて思考していたのですが、論理(かんがえかた)や用い方としては、あまり破綻はしていないとおもっています。量子の混合状態は散逸構造に従って次第に相転移し、つまり、混合状態コヒーレンスから純粋状態コヒーレントへと生成され、ふたたび「色」と成る、てな、転移の状態を書いたりしていますが、勘違い、マチガイなので、訂正しなくてはならないことは確かです。

ついでに、位相について触れておきます。アナログ時計を思い浮かべます。その時計には短針が無く、長針だけが左回りに動いているとします(もはや時計とはいえないのだけれど、物理学なんてのは、こういうことを平気でヤルんだからナァ)。右側に紙(screenでもいいんだけど)を置き、この時計に左側から光を当てると、右側に置いた紙(screen)に長針の影が映ります。時計の針を左回りにどんどん回転させていくと,紙に映った針の影も上下(波動のよう)に動きます。もっとimageしやすくすると例えば扇風機を回して、その羽根の回転の先端がつくる線をどんどん平面に移して現していくと、波形に書けるということです。
ここで,時計の針が水平方向となす角度θ(シータ、簡単にいえば、針の角度です)と、針の影(screenの波形)がつくる波の上下の動きを比較すると、波の上下の動きは、ちょうど角度θに対応していることがわかります(アタリマエなんですけどね)。この角度θを位相と称します。つまり、波の位相(角度θ)は、周期的に変化する波の状態が1周期進行すると、次の(周期の)段階に移ることを表すものと考えることができるということです。1秒間に繰り返す波の数を周波数、隣同士の山の間隔を周期と呼んでいます。(余談でした)。

レーザーのコヒーレンスには2種類あります。異なる時間にレーザーを出発した光波の干渉に関するものと、同じ時刻に異なる場所を出発した光波の干渉に関するものです。前者が時間コヒーレンスで、後者が空間コヒーレンスです。これも余談ですけど。(つづく)

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