港町memory 69
(承前)
音(波)の状態を音楽(実体)の状態にするには、音(波)を重ね合わせねばなりせん(たとえば♪ドという音の状態を創らねばなりません)。この波の重ね合わせ(のことを「状態ベクトル」と呼称します)が完全にできるばあいを、量子力学では純粋状態、そうでないばあい(重ね合わせが出来ないか、不十分で波として扱えない場合)は混合状態と称されます。つまり、波の重ね合わせが乱雑な状態です。量子の状態には、そのような二つの状態があります。この事実によって、よく知られた「シュレーディンガーの猫」問題は、量子力学としては解決されています(ドラマなんかではmetaphorとして使われていますが)。「猫」の思考実験は、混合状態での中の特殊な状態ベクトルにおけるもので、未だ波の重ね合わせ、「状態ベクトル」が創り出されてはいないのです。シュレーディンガーの波動方程式(波動関数)では、純粋状態の波の重ね合わせまでは明察出来ます。しかし混合状態から波の重ね合わせを知ろうとするには、「密度行列」という、さらにすすんだ量子力学的方法が使われます。
この「行列式」とハイゼンベルクの「行列式」を混同した(錯綜した)ために、拙著『恋愛的演劇論』の末尾部分は誤謬に陥っています。はたして生きているあいだに訂正出来るかしらん、というふうでござんす。
さて、ヒトの〈死〉についてここで仮説をたてます。
/ヒトの死とは量子力学的には、量子の波動が純粋状態から混合状態に相転移することです/というふうになります。以下にもちっと詳しく説明しますが、ここは一踏ん張り、投げ出さないでおくんなさいまし。
ヒトという実体を波動の作用素とかんがえます。(「作用素」とは外から「入力」を受取り、それに何らかの規則的な変換を行って出力された営為、その結果のことです。量子力学の用語としては、それを「作用素」或いは「演算子」と呼びます。パソコン用語や数式に用いるfunction(操作)と似ていますが、量子力学では、アルゴリズム(「アルゴリズム」というのは、コンピューターで計算を行うときの「計算方法」のことですが、簡単にいえば、何か物事を行うときの「やり方」「plot」のことだ、で、かまいません)が少々異なって、この作用素(物理量)は非可換量-(積の右辺と左辺を交換するとチガッタ答えになってしまうので、交換が出来ないのです)-になります。これも量子力学の特質です。ヒトを作用素として存在するものだとすると、ヒトの量子の状態も純粋状態の状態ベクトルです。波の重なり合いや(波束の収縮)も完全に生じます。ですから、ヒトの死は、この重ね合わせがうまくいかない混合状態(ちょうど蛍光灯の中のような状態-(気体の乱雑な運動のために、波の山や谷の位置・・位相・・がそろわないので干渉は起こらない)-になったものだと仮定します。(という仮説です)。
つまり、ヒトの死とは、「色」が「空」に、実体(純粋状態)が(混合状態)の波動に転化することをいうことになります。こういう転化のことを相転移と称します。
ですから、私が死んでも(実体でなくなっても)波動としては、とりあえずは遺るワケです(ただし、混合状態ですから、状態ベクトル-波の重ね合わせは不整です)。ここで、どのみち仮説なのですから〈意識〉という得体の知れない(のか知れているのかワカランもの)も、何らかの状態(〈相〉或いは〈場〉でもイイとおもうのですが、完全に放散されることがない状態)で遺るとします。意識とは何かということがハッキリとわかっていない現代(現状)なのでかくなる突飛なこともいえるワケです。この場合、遺るというのは、意識というものがニュートン力学・物理学の現象では観測(計測)出来ない、私たちが自然と称しているもののさらに奥にある自然の〈本質〉として遺ることを述べています。(いってみれば、量子力学とは、その自然の本質を探求する学問です)。従って、現存するヒト(実体)とは異なる状態、或いは作用素なので、両者の直截の交信は出来ナイでしょう。宮澤賢治さんは、そういう理由でトシさんと交信出来なかったといえます。とはいえ、私や、死者と称される元ヒトだった実体は、いまなお量子の波動として散逸構造のまま飛び交っている(のかじっとしているのかは不明だけれど存在している)ことは確かです。つまり〈空〉の状態です。量子には時間という概念がアリマセン。量子は時間という質や量を伴った存在ではナイのです。ですから宇宙は出来てから135億年だとか、開闢の瞬間に起こったことに10の何億分の1秒のような単位をつかうことはあまり意味がありません。時間というものは存在しないからです。
量子は、量子力学的にenergyが消滅するまで無時間のまま存在します。これが自然というものの奥にある〈本質〉であることを量子力学は突き止めつつあります。そうして、量子のenergyの消滅の仕方たるや、すべて、光子に還元されてしまうことです。(つづく)
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