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2019年12月10日 (火)

港町memory 66

「死と生の境界線をどうするか」、という問題は難しそうでいてさほど難しくナイのではないか、これが、このところのideaです。
「死と生の定義」をこうかんがえればどうだろう。この二つは分けてかんがえてはいけない。何故なら〈同じもの〉だから。これは、大乗仏教の経典(宗派によっては経典と認めず、教説とするものもある)『維摩経』の不二法門(ふにほうもん)のかんがえかたです。不二法門とは、「空論」とならんで『維摩経』の中心を成す教義ですが、具体的にいえば、/互いに相反する二つのものが、実は別々に存在するものではなく、生と滅、垢と浄、善と不善、罪と福、有漏(うろ)と無漏(むろ)、我と無我、生死(しょうじ)と涅槃、煩悩と菩提などは、みな相反する概念であるが、それらはほんらい二つに分かれたものではなく、一つのものである/というかんがえかたですが、個人的には、仏教経典はこの『維摩経』と『法華経』『般若心経』を読んでいればそれで充分という気がします。
そのかんがえかたでいうと、「死という任務」は「生の最期の任務」ですから「死」は「生」の中に在り、「生」は「死」の中に在ります。境界というものは存在しないのです。それはあたかも、線分で描かれた円周の内と外と同じです。円には内も外もありません。線分には面積がナイのですから、内と外を分けることは出来ません。πの値はあくまで便宜上のもので、いつまでたっても答えが出ないのは当然のことです。

私の考えでは、人間が火葬で熱エネルギーとして放散、質量転化(熱力学の第二法則・エントロピーの法則)されるにせよ、土に帰るにせよ、そこで、人間の〈ニュートン力学的存在〉は終焉します。
この宇宙には(とはいっても、96%は未解明らしいんですが)力(エネルギー)は四つしかありません。宇宙の四つの力とは、重力、電磁気力、弱い核力、強い核力です。これはもともとは一つであったものが、ビッグバンの後四つに分かれたとの見解がおおよその物理学者の統一見解です。(核力というのは、素粒子がくっついたり離れたりする力だとだけimageしていればイイです)。重力はたしかにあるのですが、検出されたことはありませんでした。しかし、最近やっと実験施設でその存在が確かめられました。電磁気力は、最も親しみやすく、このPCを動かしているのも電気ですし、ネットは電波です。
磁気は磁石で子供のときから知っているアレですナ。プラス(+)とマイナス(-)があります。電気も同じです。これを電荷と称しています。
と、ここまでを知っておいてもらった上で、どうもテキ屋のオオジメのようで申し訳ナイのですが、長くなるので、本論は次回にします。

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