港町memory 68
(承前)
これ(ニュートン力学的世界)と(量子力学的世界)は般若心経の「色即是空・空即是色」で捉えるとワカリヤスイとおもわれます。
たとえばヒトを〈色〉という実体とするならば、量子力学の領域は〈空〉になります。
何故なら、量子はすべて波動(波)だからです。波動なのに、どうして量子という粒子の名称がついているのでしょうか。これは、ダブル・スリットによる実験(slitとは、切り込み、隙間のこと。これは思考実験ではなく実際の実験です)で、よくワカリマス。たとえば、電子という量子を一個、穴(切り込み、隙間)が二つ穿ってあるスリットに向けて発射し、その向こうがわのスクリーンに到達させるという実験です。電子は一個ですから、スリットのどちらかの穴を通過するはずなんですが、実験の結果では、ダブル(二つの)穴を同時に通過したことがワカッテいます。ところが、スクリーンには一個の電子の到達痕しか残りません。つまり、電子はスリットを通過するとき、いったん波に変わり、さらにまた粒子となってスクリーンに到達したワケです。いったん波になることは、次々と電子を飛ばしてスリットを通過させると、スクリーンに干渉縞が現れることで証明出来ます。電子の次々の時間を一秒ごとにしても一時間後にしてもたとえ百年ごとにしても同じ干渉縞になります。つまりたった一個の電子でも、いったん波となってスリットを抜けた以上は、干渉するということです。何故こんな不可思議なことが起こるのか、それは量子という運動の本質だとしか答えようがアリマセン。/量子というものは、波だか、粒子だか、なんだかワカラナイもの/、これが現在の(といっても私の知り得る限りのですが)量子力学の量子に対する定義です。(量子そのものは、energyの最小単位です)。すでに古典量子力学と称されているニールス・ボーアの量子解釈である〈相補性〉=「量子はあるときは波でありあるときは粒子である」(いわゆるコペンハーゲン派解釈)は、すでに実験によって否定されています。
さてと、ハナシをもどして、波、波動も実体ではナイのかと、おっしゃる方には、次のような解釈をひとつの例として述べておきます。前提としての注意ですが、「空」は「無」ではアリマセン。
/音楽とは、波動=音=〈空〉が分子段階に相転移して〈色〉=実体となったものだ/
私たちは音楽(演奏・歌唱)を聴きますが、音そのものは音波という単なる波にしか過ぎません。それが波動の作用素(作用素については後述しますが、簡単にいえば、なんらかの作用によって生じた結果)として音符に書かれ、楽譜になり(と、この辺りを分子段階としておきます)、演奏、歌唱が出来る音楽となり、私たちはそれを感受します。単なる音(波)には音楽としての実体はありませんが、私たちの聴く音楽は実体です(波としてではなく音楽として感受できますから)。そこで楽譜〈色〉という分子段階をもとの音、単なる波にもどせばすなわち〈空〉になるということです。これが「色即是空 空即是色(色即ち是れ空と成り、空即ち是れ色と成る)」のかんがえかたです。(つづく)
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