港町memory 58
風景というものは、状況になり、それは情況となります。状況と情況のチガイは何かについては、「ヤフー知恵袋」のベストアンサーにいいものがあるので、かってにコピペしておきます。「情況は内面的な移り行く様子 状況は一般的な、外から見た移りゆく様子」単純に現在は多く状況が使われているのでどちらでもイイということになっていますが、分けたほうが理解しやすいでしょう。
風景、情況、状況、この三つを観るのに私自身が観た具体的な事象を述べておきますと、うちの近くには、セブン・イレブンとファミマの二つのconvenienceが競うようにしてあるのですが、ファミマの特典はイートインがあることです。セブンにはありません。
私はコンビニでの買い物が多いので、殆ど毎日コンビニのお世話になります。で、セブンとファミマを渡り鳥することもしばしばです。(もちろん、置いてあるものにチガイや差があるので)。
昼前、セブンに行きました。駐車場の中程まで来たとき、爺様が、コーヒーとパンとをもって杖を尽きながら出てきました。で、セメントの車止めに座って食べ始めました。こういう風景は近頃よくみかけます。車で来てる客は、車の中で食ってます。つまりは消費税が持ち帰り8%と中で食べる10%になったからですが、ベンツに乗りやがってケチな野郎だと、車中のものに悪たれている場合ではなく、これから木枯らしの季節になると、爺様は北風の中であんなふうにパンを食うのだろうかと、私の歩は止まりました。と、中から女子店員さんが出てきて「どうか、中に入って下さい」と、片手に折り畳みの椅子をもちながら、爺様に話しかけました。爺様は「持ち帰りだから」と遠慮していましたが、店員さんに説得されて中に入りました。よくいえば美談です、ここまではですがネ。
しかしながら、私の推測ですが、やがて、「店の前で、ものを食べるはご遠慮願います」という貼り紙が出るでしょう。そうして、次は「飲食は・・・禁止になりました」と出ます。世間をよく知っているひとに、そうなるんじゃねえのかな、と、このハナシをしたら「そういう混乱を避けるために、どっちも10%になってチョンよ」と、応えられました。なるほど。「そんなことはハナから決まっていることなのよ。ワカッテいて、まあ、過渡期としてみているだけね」チョンでござんすね。
ですから、「神というものが存在しようとなかろうと、どちらでもイイ」どうでもイイのです。
と、突然いいだしても、まさに突拍子もナイんですが、こういうことはgovernmentの策謀ですからねえ。
けれども、この場合、「神というものが存在しようとなかろうと、どちらでもイイ」のcategoryになります。つまり神はこういうことには関係ナイような感触、雰囲気、ご様子です。
旧約聖書「ヨブ記」の脅しでも神は「おまえは外の木枯らしの中でパンを食うようにしてやる」とはいいません。「山を動かすことが出来る」と威張るだけです。山なんか幾らでも動かしてもらってケッコーと私はおもいます。爺さんとコーヒーとパンの風景が情況から状況に変化するほうが、切ナイのです。松田優作主演の映画『家族ゲーム』(監督・脚本、森田芳光)では、家族会議(とはいっても夫と妻だけ)が車の中というシーンがありましたが、ベンツでパンはまだしも、車止めで木枯らしは辛い。山を動かしたってどうなるものでもナイ。ですから理屈だけでいえば、「神というものが存在しようとなかろうと、どちらでもイイ」はちゃんとハナシが通ります。つまり、神は消費税に関してはどうでもイイ、ようだからです。とはいえ、もうすぐ新年、神社にお参りするひとの中には、賽銭投げて「どうか消費税が下がりますように」と誓願のほうの「願」だけを祈るってひともあるでしょう。
このThema、まだつづきます。
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