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2019年11月 3日 (日)

港町memory 53

ずうっと前にも書きましたが(とかいいつつ、そういうことの多いことについて反省もせず、いいたいことは何度いってもヨイとおもっているので)、まだブレイクなんかしてて、インタビューの多いときなどには、決まって「これから、あるいはいまの時代、どうやって生きていけばいいか、生きていこうとおもってらっしゃいますか」という問いがあったが、必ずこんなふうに応えていた。(四十代後半から五十代にかけてが多かったかナ)
「むかし、まだ若輩の頃は、先輩などに~何故生きるのかではなく、如何に生きるかをかんがえろ~といわれましたが、その頃はまだ〈革命〉なんてコトバが死語になっていなかったあたりですね。で、いま私はそうではなくて~如何に生きるかではなく、如何に死ぬべきかをかんがえたほうがイイ~といつも応えます。如何に生きるかなんて甘いことを許してくれる世の中じゃありませんから、ね」
ところが、〈如何に死ぬべきか〉がまた難しい世界になってしまった。
死にたいように死ねないということが、同じ世代の仲間や友人、知己の無念、非業の死に幾度もつきあわされる年齢になって、よおくワカッテきた。
私などは、書きたいもの、書かねばならぬもの、舞台にしたいもの、の目標の8割以上は実現をみたので、かなりイイほうなのではないかとおもわれるが、その代わり、そのせいで心身の8割は壊れてしまった。Physicalでも、mentalでも、壊れ物の類なんですなぁ。
仕事の加速度は、心身の壊れ方の加速度と比例するワケです。
どうせ、そんなオトコに誤解されるなら、もっと女遊びとやらをやってみたかったし、酒浸りというのもやってみたいのだが、二十五歳からこっちの鬱疾患は難病、不治の病で、そういう無頼な愉しみもゆるしてはくれないときている。宮本武蔵はほんとかどうか、三日三晩女性(にょしょう)と交わり、その後三日三晩、その女性の糞小便をする姿を観続けて、以来女を絶ったという。私はそんなカッコよくない。一休禅師のように七十七歳で子供をつくるという(あくまで正妻であった森女との子で、他にはあちこちの女性に生ませている)曲芸めいたことも理想ではあるが、如何せん、壊れてしまった身ではどっちもままならぬ。
てなところに、九十歳の母親の狂乱ですなあ。九十年生きたんだから、もうイイじゃないのとおもうのは、私と弟(彼もまた耳は片方聞こえず、もう一方も加齢性難聴、おまけに糖尿病で緑内障予備軍ときている)の二人だけではあるまいに、老々介護とはいうけれど、こちとらは病々介護でござんす。
母親は長いこと、ガッコのセンセで小学生の低学年をみていたから、幼児後退現象ならぬ、ガッコのセンセ後退現象で、看護や介護、ケアマネにいたる方々のセンセになりたがって、介護看護計画会議も、母親の学校ゴッコと化す。世話をしてもらっているほうなのに、世話をしてくれているものの態度に対しての説教が机を手でビシバシ打って おこなわれ、「おまえはここが悪いっ、おまえはそこがアカンっ」まあ、みなさん大人ですから、「感動で涙が出ました」なんて、クサイ芝居までヤッてくれる方もいて(それはやり過ぎと注意しておいたけど)、遠距離介護なので、施設に入居してくれというと、誰に吹き込まれたのか(そういう誰とやらが、いるんですナ、小さな町ですから)「そんなところに行くくらいなら死んだほうがマシやっ」とHysterieを起こす。監獄じゃナイんだから、もはやいまではリゾートなのにねえ。
「死んだほうがマシて、あのな、あんたももうすぐ死ぬんや。そいで、みなさん集まってこれからどうしたら出来るだけ楽にその日を迎えられるかの相談に、ガッコのセンセやってどうすんの」とこちとら云って聴かすが、「一人でなんでも出来る、誰の扶けも要らん」とぬかすんですからねえ。まだ元気な頃から、料理ひとつ出来なかったのに(そのぶん、私の調理の腕は上がりましたが)。そらまあ、こちとらの血圧は一気に160を超えますワ。
まあ、反面教師(ほんとにこの場合にのみ教師ですな)。こちらは感情と倫理とはエポケーして、ほんまは「てめえ、俺がこどもの頃、あんたは父親と二人で俺を虐待し、かつ弟は余所に預けっぱなしで面倒みず、俺は名古屋、弟は京都に逃げたのを忘れたのかっ」っていいたいところなんですが、ええ、そういうことに関してはスッカリ忘れてらっしゃるようで、しょうがナイので、弟と二人で病々介護はつづく。しかし、
しかし、このハナシをすると、ナンですなあ、そこいらじゅうのみなさん、同じように親には手を焼いていることがこないだワカリマシテ、どこもかしこも命懸けでんなと、ため息するやら胸撫でおろすやら。同病相哀れむのでござんす。
自分の死に方はキチンと決めておいたほうがヨロシイとおもいます。ジタバタの狂乱だけは身内以外にも大迷惑です。ヤメタほうがイイ。せめて、死ぬ前くらいは親らしく子供の手本となるがヨロシイ。 

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