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2019年9月21日 (土)

第二十六回

 さて、柳生のほうはどうしたか。亜十郎は周囲を感知捜索したが、気配のナイところをみるとどうやら遠方に在るらしい。
「まんず、いわれるところでは天下最強の尾張柳生だ。後れはとるまい。しかし、面倒なことになったな。恨むぜ帆裏藤兵衛。こちとら銭にもならねえ妙な刺客を相手にしなくちゃならなくなった。四面楚歌だか、四剣八槍だか知らねえが、試し殺しの相手にでもしてみなきゃ、しょうがネエっか」
 もちろん、柳生のことを按じているワケではナイ。殺人依存とまではいえないが、名付けてみれば武芸依存症状。いまの精神医学のコトバで近いものがあるとすればgamble dependence.これは賭け事であるgambleに依存することではなく、使命、仕事、mission、役目、等々に対してそれが間に合うか、出来るか出来ないかという状況を自ら呼び込むことに拠って得るところの快感の享受、早いハナシ、原稿の締め切りをギリギリ(あるいは破ってしまう)物書きなどの多くは、このgamble dependenceといって過言ではナイ。
 さて、南蛮対決ばかりの連続では厭きもくるだろうとおもわれるので、ちょいとsceneを変える。とはいえ、南蛮幻術のplotはまだつづくのだが。趣だけでも、ネと。
 尾張と三河を結ぶ幾つかの街道、その何れも不知火朧は往来したことがあった。しかし、このような奇妙な山沿いの街道は朧には初めての経験だった。街道にしては珍しく曲りくねっていて、迷路のようになっている。そのことから朧はすでに伴天連幻魔術の手中に自身が在るとの覚触は得ていた。東郷十兵衛と別れてから尾けて来るものの在ったことを感知していたからだ。だが、この様な架空の山道に誘い入れていったい南蛮野郎はナニをするつもりなのだ。ナニをされても一向にかまやしないのだが。
 簡易な黙視分析をしたところ、およそ、殺気や殺意の類は周囲には無い。
 高度な術である天読、地聞、風嗅、それぞれを用いても気配が無い。
 しかし、何か仕掛けて来るだろうという予感だけはあった。かつその敵手はおそらく南蛮幻術四剣八槍の中でも一、二の腕の者。それもまた朧の磨き抜かれた闘勘が察知していた。
 殺気、気配が無いということが、敵手の手腕を語るに足りていた。忍法歴史上最強といわれる忍び、不知火朧に対峙して無感、非在感を貫きながらかつ攻撃の時を待っている。
 朧はおもいたって、足下の石ころを礫のように投げてみた。と、その石礫は同じように朧の元にもどってきた。それは朧の額を直撃した。なるほど、やはりそうか。これと似た忍法なら在る。忍法〔鏡返し〕。もし、クナイを投げれば、それは同様に朧を襲うだろう。火を吹けば火が襲いかかるだろう。もちろん、すべて朧はこれをいとも簡単に避けているのだが。
「面白い魔法を使いなさるねえ」
 と、合点のいった朧はそういうと、瞳を閉じた。今度は気配を探しているのではナイ。
 朧の姿が次第に薄くなっていく。そのカラダを透かして向こうの景色がみえる。そうしてまったく朧は透明に、つまり、かき消えてしまった。
 おそらく敵手にも朧の存在は無に感じられているであろう。
 無音のまま、街道沿いの木々が倒れ始めた。砂利は風に舞って吹雪いた。敵手南蛮チャンポンが朧を探しているに相違なかった。
 やがて、かくなる探査攻撃も無意味と知った敵手は、その姿を現した。まったくの灰色の大地。太陽の消えた荒野。クレーターが遠くにみえる。月面のような、いや、そこはまさしく月面だった。かの周回衛生、月の上だった。そこに南蛮黒装束の者が立っていた。そうして、その前面にやがて朧も姿を現した。

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