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2019年8月21日 (水)

港町memory 35

今年の夏も、ヒロシマ、ナガサキの虐殺犠牲者たちの沈黙は、ただ、その惨殺の爪痕の深さを物語る怨嗟に係数の度合いを恒例行事の如く合わせただけで、聞こえてくるのは「生き残ったものたちよ、お前たちに何が出来る、何が出来たっ。この世に過ちなどは無いっ、あるのは生物滅亡の連鎖の如き反復のみだ」という、総力戦でもナイのにふいに命を消された無辜の民の、まさに残存している生存者への嘲笑と哄笑だけ、で、なるほど、生存中に核戦争などというお祭りや、自然の大災害を加算した、阿鼻叫喚の地獄、あのね、死後の世界に地獄なんて無いというのは、わりと多くのキリスト教信者に流布さている教示で、つまりは『ヨハネの黙示録』に記されてあるとおり、生きてるうちに地獄観るのよ、という、えらくまあ、サービス満点の世の終末で、それなら、歩けるうちに行きたいところには行ったほうがイイんですから、ヤリたいこと(出来るコトに限りますが)はなるべくヤッておかないと悔いが残るどころか、〈悔い〉それ自体が消滅してしまいますから、残生存者でアル我々、私たちは、相互扶助(共生)しつつ、余命を納めたのがよろしいかと、私なんざおもう次第。
身を固有に転ずれば、このあいだ、イオンモールで200円、ゲームマシンのようなもので血管年齢てのを計測したら、〈57歳~63歳〉となって、そのときにですね、「あれっ、オレって幾つ(何歳)だったかな」というおもいが飛来して、「あっそうか、67歳か。すると、血管年齢は若いということか。そりゃまあ、ポリフェノールの多いウイスキーしか飲んでねえからな。しかし、うーん、まあ、こんなもんなのかなあ67歳というのは」と、少しも嬉しくはなく、67歳なんだなあという愕然と、もうイイよという疲弊に呑み込まれただけ。鬱疾患の定常症状と、湿地の夜の湿度から1時間おきに目が覚めては布団でため息ついて、朝方は、いくらエアコンを調節していたとしても、カラダは冷えており、毎晩「今夜もしんどいんだろうなあ」という寝たくもない諦念と、朝起きたときの自殺念慮の苛みには、「来年の公演までは、もう命懸けだなあ」と、おもいつつ、こういう生活が恒常的になれば、そこはそれ、私の晩年、余生ってのは、こんなもんなのかなあと、これまた諦念しつつ、それでも「ちょっとだけ、幸せになりたいネ」と、秘め事のようにおもい、そういう「ちょっとだけ、幸せ」になれるようなホンを書かなければイケナイなんて、それはですな、昼のハートランドビールと雑炊と同等のものでなければイケマセンと、そういうホンを書こうとしてはいるんですが、ねえ。
書けないナア。劇作家生涯、初めて、slumpとういうのではなく、書けないナア、と、『老人と海』のアーネスト・ヘミングウェイの自死の前の最期の電話のひとこと「書けなくなった」をおもう。あのね、『老人と海』は若い頃に読んだときはまったくワカラナカッタですよ。いま読んだってメカジキの残骸だけしかimageが残らないんですが、それでイイという気にはなれますね。
釣りでも始めようかなあ。餌なんかつけずに、ぼんやり突堤で。いやいや、山中のせせらぎに釣り糸流して。
そうか、これ、ラストシーンに使おう。うん、絵はそれでイイな。

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