第十九回
高笑いに含まれた殺気に威嚇されたか、影は細かく分散すると蝶になって舞い始めた。
「伴天連幻魔術、死黒蝶、ご覧頂くとスルカ」
と、術者の声は未だ何処から聞こえてくるのか見当はつかない。ただ、朧に対する畏怖も混じってか、常人にはワカラヌ乱れを含んでいたようで、
「拝見しましょうか、伴天連坊主の手品遊び」
朧は、その僅かな気の乱れに気づいているようだった。
東郷十兵衛は得体の知れぬものどうしの罵りあいを聞きつつも、未だに刀の柄に手をかけてはいない。妙な成りゆきに苦笑いさへみせている。
女忍びは地面を滑るように東郷十兵衛の真横に擦り寄ると、十兵衛の顔を観ることはせずに、囁いた。
「渡屋の貴殿の用心棒仲間と、南蛮渡来の幻魔術との闘いはそれぞれ見物させてもらいましたワ。キヤツらは本体の在り場所を常に隠しながらあなた方と相対していましたね。それがキヤツらの戦闘方法なんでしょうけど。けれども、そんな戦術は私には通じません」
黒い蝶は数を数倍に増やして十兵衛と朧の周囲を飛び回っていた。
「まるで稚戯のような術ね」
朧の唇がやや尖るようになって、黒い蝶を一旋すると、おびただしく飛び回っていた蝶の群れは、ことごとく地に落ちた。
敵手がこの黒い蝶で何をしようとしたのかが、東郷十兵衛にはワカラナカッタ。
「おそらく、寸時に、この地べたに落ちた黒蝶は私たちに一斉に襲いかかってきたでしょう。刀で振り払ってもヒラヒラとそれをかわし、私たちにほんの少し傷をつけたにチガイアリマセン」
朧は地べたの蝶を一匹拾うと十兵衛にそれをみせた。
「極めて薄いdiamantです。羽根は鋭く、毒が仕込んであります。投擲されたものは避け易いのですが、浮遊するものは刀ではなかなか払い落とすことが出来ぬものです」
「ギヤマンか。なるほど、南蛮伴天連が渡屋を襲ったのも、それなりにワケがったということだな。キヤツラはギヤマンの価値を識っているということか」
「ええ、渡屋が大儲けしているということをね」
「で、わしらにはこれだけか」
東郷十兵衛は懐から金子を取り出した。
「おカネが目的じゃナイんでしょ」
「それはそうだが、どうも銭というものは手にしてしまうと不思議とココロがゆれるものだの」
「お武家さんも人の子というコトですね。ところで、こんなところで油を売っている場合でもナイんで、旦那、ちょっと屈んでいただけますか」
「んっ」
「南蛮の賊の実体が何処に在るのか、探してみますから」
東郷十兵衛、首を傾げながらも朧のいうとおりにした。蹲んだのではナイ。屈んだのだ。コノ態勢のチガイは、東郷十兵衛の武芸者としての枠を物語っている。屈むということは、低い姿勢にありながらすぐに攻守の何れにも身体を向けることが出来る。
と、刹那、女忍びの身体が独楽のように足を軸に数回転した。上半身にある手は千手観音のようにみえた。朧は自らを回転させながら、何か投擲したようだが、十兵衛には投げられたモノが何だったのか判別つかなかった。