第二十回
投擲されたものが判別つかない。さすがのこの剣客東郷十兵衛にも無理はなかった。朧はナニかを投げたワケではなかったからだ。ナニか、は、目に見える物体ではなく真空状態に変容された気体だった。
「朧十忍が一、飛影刀っ」
と、バリッと何かが破れる音がして、何もなかった空間に毛深い腕がみえた。
「diamantのmanteauでカラダを包んでいたのね。裸眼ではみえぬワケだ。しかし、もはや、捉えた。なるほど、異人。毛深いとは聞いていたが、そのとおりだったようね」
diamantの素材については殆ど知識のナイ東郷十兵衛には判然とはしなかったが、朧は異人の幻術使いたちが、渡屋というギヤマンを扱う大店を狙ったワケを識った。(まあ、要するに他に日本で商売されているものが何なのか、武士としてはワカラナカッタともいえますが)。
身を隠すものを引き裂かれた幻術使いは、路上に裸身を晒して立っていた。
「オソルべきというべきか、ニンポウ」
毛深い大男は、そう呟いた。
「恐怖はこれからだよ」
朧は右手の指を弾いた。少なくとも十兵衛にはそうみえた。と、いうか、そのようにしかみえなかったといったほうが正しい。
次なる朧の忍法は何なのか。見守る東郷十兵衛も、これを受けて立つ毛深い異人も固唾を飲んだ。
「いまのは、ただ指を鳴らしただけよ」
ほんらいなら、ズッコケなのだが、東郷十兵衛も毛深い異人も、ズッコケが下手なので、敢えて、その格好はやめた。どうも、ズッコケには正当なカタチがあるらしいのだ。それは吉本新喜劇が発明、開発してきたものらしい。まず右足をある角度で出すところから始まるらしいのだが、ここでそのformを解説していても仕方ないので、当方(作者)もヤメルことにする。
「順序でいけばお次はそっちの番ということで、南蛮幻魔術とやらをみせてもらいましょうか、毛深い異人さん」
朧は自信にあふれた面持ちで、敵手に対して屹立している。
贔屓の歌手グループ、ザ・クロマニヨンズなら「かかってこいっ」という掛け声を入れるだろう。
十兵衛も興味津々、次なる魔法を待っている。
と、裸身を覆っていた異人の体毛が風に草がゆれるような動きを始めた。しかもそれは一本一本が生き物のように、まさに細い蛇のようにくねりながら伸び始めた。
「蝶々の次は蛇なのね。動物を仕込むのがうまいワケね」
異人の異変に朧はまったく動じない。十兵衛は重心を踵に移した。正中線は保たれている。十兵衛自身の守りは何が起こっても対応出来る態勢になっている。
「それが毒蛇であっても、所詮は幻術、さて、もう一度指を弾くけど、今度はただ弾くだけじゃないのよ」
いったとおり、朧の右手の指が弾かれた。
と、蛇と化した体毛が体毛にもどり、さらにそれらはバッサリと斬り棄てられたように地に落ちた。
東郷十兵衛は、この女忍びらしき強者が、いま、自身の敵ではないことに内心安堵していることに気がついた。不甲斐ないといえばそれまでだが、朧の忍法はさほどに東郷十兵衛ほどの達人を畏怖させたのだ。
朧が三度目の指鳴を成したとき、敵手の南蛮毛深い男のカラダは溶解していった。
「朧十忍が一、とろとろ」
忍法の命名はイマイチだとはおもったが、十兵衛の目には敵手の敗北の姿がそのとおりに映った。これで、伴天連幻魔術の四剣八槍の何人が倒されたのか、十兵衛には勘定が出来ぬことではあったが、まるで、倒されるために出てきたような連中だなと感慨深い面持ちでもあった。
「ご無礼を仕りました。今後の御武運をお祈りいたします」
いうと、女忍びの姿は東郷十兵衛の視覚から消えた。
楠木右近を追っているというておったが、その右近とやらは、かのような練達の忍びが手こずるような腕前なのか、立ち合ってみたいものだ。東郷十兵衛、そうおもいつつ丹田に気を込めた。つくづく武芸者の業は哀しい。