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2019年7月

2019年7月27日 (土)

港町memory 32

手塚治虫さんの『ブラックジャック』は手塚さんの作品の中でも『鉄腕アトム』よりも発行部数が多いのですが(とはいえ、どちらも出版社の累計でいうと一億部は超えていますが、まあ、『ワンピース』には遠く及ばない)、きょうは、そういうハナシではなくて、作品の内容、とくにキャラについてですが、手塚さんはpessimistだったので(ふつうはhumanistということになっていますが、私はそうはかんがえていませんし、pessimistもhumanistも同類ですナ)安楽死のdoctorキリコには手塚さんの親しき思いがいっぱいって感じで、出演作品は手塚さんも楽に描いている、読むほうもホっとするのです、が、ブラックジャックには、なんかいつも腹立てているようで、まあ、それは本論ではナイので、ええ、まだ本論ではナイのです。
本論。
山風老師のエッセー集に『風眼録』(中公文庫)てのがあって、私、これ好きで、ことあるたびに読み返したりしております。ともかくも、山風老師の面目躍如というふうです。
中でも「花のいのち」というたった3pageの作品はイイ。吉行淳之介さんの推理小説批判をピシッと批判しているところも小気味イイのですが、このエッセーは山風老師、ちょっと隠遁されたときのハナシ。隠遁そのものについては、山風老師はべつのエッセーで嘲笑されているのですが、「世に思いを絶って多摩の山上に隠棲(?)してから・・・」庭に花壇を作ったという枕から始まって、「花作りは女房の仕事である。そして、懐手して眺めながら、空理空論を考えている」なんですから、つまりは奥さん同伴ということなんですけど、吉行淳之介さんの「推理ものは再読する気になれない」に対して「再読など期待せず、再読してはならないものなのである」と、吉行淳之介さんが批判した「奇妙な味」(私:注・・これはいまでいう幻想小説のことです。江戸川乱歩は当時、そのての小説をそう名付けたものだから、そう呼ばれました。日影丈吉さんなんかの作品なんかも当時はそう称されていました)の作家ダール、ブラッドベリイを擁護されているんですが、つまりそれをして「花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」とまず書いておいて、結びにもう一度、「花作りに精を出す女房の、いささか素枯れて来た後ろ姿を懐手して眺めながら考える。––– 花のいのちは短くて、苦しきことのみ多かりき」と、こうきちゃう。Nihilistの面目躍如。これぞ山風老師のhumanismでござんす。てめえの奥さんと幻想小説、ブラッドベリイを並べるんだから。まあ、たしかに、そういわれれば、女性とは幻想小説だといって過言ではアリマセン。(例外はナニにでも在るでしょうけど)

2019年7月25日 (木)

第二十回

 投擲されたものが判別つかない。さすがのこの剣客東郷十兵衛にも無理はなかった。朧はナニかを投げたワケではなかったからだ。ナニか、は、目に見える物体ではなく真空状態に変容された気体だった。
「朧十忍が一、飛影刀っ」
 と、バリッと何かが破れる音がして、何もなかった空間に毛深い腕がみえた。
「diamantのmanteauでカラダを包んでいたのね。裸眼ではみえぬワケだ。しかし、もはや、捉えた。なるほど、異人。毛深いとは聞いていたが、そのとおりだったようね」
 diamantの素材については殆ど知識のナイ東郷十兵衛には判然とはしなかったが、朧は異人の幻術使いたちが、渡屋というギヤマンを扱う大店を狙ったワケを識った。(まあ、要するに他に日本で商売されているものが何なのか、武士としてはワカラナカッタともいえますが)。
 身を隠すものを引き裂かれた幻術使いは、路上に裸身を晒して立っていた。
「オソルべきというべきか、ニンポウ」
 毛深い大男は、そう呟いた。
「恐怖はこれからだよ」
 朧は右手の指を弾いた。少なくとも十兵衛にはそうみえた。と、いうか、そのようにしかみえなかったといったほうが正しい。
 次なる朧の忍法は何なのか。見守る東郷十兵衛も、これを受けて立つ毛深い異人も固唾を飲んだ。
「いまのは、ただ指を鳴らしただけよ」
 ほんらいなら、ズッコケなのだが、東郷十兵衛も毛深い異人も、ズッコケが下手なので、敢えて、その格好はやめた。どうも、ズッコケには正当なカタチがあるらしいのだ。それは吉本新喜劇が発明、開発してきたものらしい。まず右足をある角度で出すところから始まるらしいのだが、ここでそのformを解説していても仕方ないので、当方(作者)もヤメルことにする。
「順序でいけばお次はそっちの番ということで、南蛮幻魔術とやらをみせてもらいましょうか、毛深い異人さん」
 朧は自信にあふれた面持ちで、敵手に対して屹立している。
 贔屓の歌手グループ、ザ・クロマニヨンズなら「かかってこいっ」という掛け声を入れるだろう。
 十兵衛も興味津々、次なる魔法を待っている。 
 と、裸身を覆っていた異人の体毛が風に草がゆれるような動きを始めた。しかもそれは一本一本が生き物のように、まさに細い蛇のようにくねりながら伸び始めた。
「蝶々の次は蛇なのね。動物を仕込むのがうまいワケね」
 異人の異変に朧はまったく動じない。十兵衛は重心を踵に移した。正中線は保たれている。十兵衛自身の守りは何が起こっても対応出来る態勢になっている。
「それが毒蛇であっても、所詮は幻術、さて、もう一度指を弾くけど、今度はただ弾くだけじゃないのよ」
 いったとおり、朧の右手の指が弾かれた。
 と、蛇と化した体毛が体毛にもどり、さらにそれらはバッサリと斬り棄てられたように地に落ちた。
 東郷十兵衛は、この女忍びらしき強者が、いま、自身の敵ではないことに内心安堵していることに気がついた。不甲斐ないといえばそれまでだが、朧の忍法はさほどに東郷十兵衛ほどの達人を畏怖させたのだ。
 朧が三度目の指鳴を成したとき、敵手の南蛮毛深い男のカラダは溶解していった。
「朧十忍が一、とろとろ」
 忍法の命名はイマイチだとはおもったが、十兵衛の目には敵手の敗北の姿がそのとおりに映った。これで、伴天連幻魔術の四剣八槍の何人が倒されたのか、十兵衛には勘定が出来ぬことではあったが、まるで、倒されるために出てきたような連中だなと感慨深い面持ちでもあった。
「ご無礼を仕りました。今後の御武運をお祈りいたします」
 いうと、女忍びの姿は東郷十兵衛の視覚から消えた。
 楠木右近を追っているというておったが、その右近とやらは、かのような練達の忍びが手こずるような腕前なのか、立ち合ってみたいものだ。東郷十兵衛、そうおもいつつ丹田に気を込めた。つくづく武芸者の業は哀しい。

2019年7月24日 (水)

港町memory 31

参院選終わったんですけど、そういうことはもうどうでもイイらしく、吉本興業紛争(になってしまった)ほうに世間の目はいっているようです。ありゃ、吉本興行の問題なんですか、それとも、芸能界の問題なんですか。その、なんですか、「反社会的勢力」とかにも会見ヤってもらえばどうですかね。
参院選は、安倍さんが「勝利」というているんですから、自公勝利なんでしょうけど、過半数を当選させたことでの勝利ということなら、ふーん、ですねえ。だって、勝負ってのは、勝つか負けるかヤってみないとワカランところで、ヤってみて勝ったら勝利なワケですから。まさか、自公で過半数割れは誰も予想もしていませんし、確率として0ですから。
改憲の三分の二には届かなかったので、負けということでもなく、そういうことなら衆参両院で過半数持っているワケですから、まず改憲の必要定数の三分の二を二分の一に法改定すりゃ、なんぼでも改憲出来ますしねえ。
日本共産党は、ワカルんです。何がかというと、そういう公約(大企業から税金搾り取る)とかは無理や、というのは。マルクス・スターリン主義もわかります。ワカンナイのは公明党だなあ。創価学会は宗教団体なワケでしょ。一応檀家集団ということになってますけど。国家権力がそういうところと手を組んでエエんですかね。今上陛下とかとの帳尻はどうなってんですかね。
私は法人税は安くしてもイイとおもってます。損はナイとおもってます。国際的経済の競争力からみて、そりゃ、そのほうがイイに決まっている。消費税、上げてもイイですよ。使い方次第ですから。ですから、所得税をそのぶん下げたほうが、イイんじゃナイでしょうか。下げられない理由は、公務員の賃金が減るからだけなんじゃないの。なんしろ、かの税金の48%は彼らの給金ですから。
私は源泉徴収で全て支払ってますので、還付金でかえってくる状態でいままでヤってきてますが、鶴屋南北賞を受賞した年は、その賞金くらいしか収入がなく、低額所得者ということで、市からかな、六千円頂戴したこともありますが、出版不況とか関係ねえですね、劇作家は。書くものでは食えないのでどっかでなんかしてタツキをたててますね皆さん。幸い、私はなんとか書くことで糊口をしのいでいますが。教えるとか、そういうの出来るほどもう体力がナイから。それに名古屋で仕事とると、他の劇作家の方の仕事の邪魔することになるとマズイんで遠慮してます。
いまさらに、『寿歌』ばっかヤってますけど、いろんなところが。昨今じゃ、たとえばトム・プロジェクトの『A列車に乗っていこう』(【演出】日澤雄介【出 演】 石田ひかり 松風理咲)は逸品だと自負しているんですが、名古屋の演劇関係・事業団は見向きもしない。名古屋40年の文化の遅れは未だケイゾクですね。
以上、この辺のアホラシサもあって、気抜け、鬱気ている今日この頃です。

2019年7月23日 (火)

第十九回

 高笑いに含まれた殺気に威嚇されたか、影は細かく分散すると蝶になって舞い始めた。
「伴天連幻魔術、死黒蝶、ご覧頂くとスルカ」
 と、術者の声は未だ何処から聞こえてくるのか見当はつかない。ただ、朧に対する畏怖も混じってか、常人にはワカラヌ乱れを含んでいたようで、
「拝見しましょうか、伴天連坊主の手品遊び」
 朧は、その僅かな気の乱れに気づいているようだった。
 東郷十兵衛は得体の知れぬものどうしの罵りあいを聞きつつも、未だに刀の柄に手をかけてはいない。妙な成りゆきに苦笑いさへみせている。 
 女忍びは地面を滑るように東郷十兵衛の真横に擦り寄ると、十兵衛の顔を観ることはせずに、囁いた。
「渡屋の貴殿の用心棒仲間と、南蛮渡来の幻魔術との闘いはそれぞれ見物させてもらいましたワ。キヤツらは本体の在り場所を常に隠しながらあなた方と相対していましたね。それがキヤツらの戦闘方法なんでしょうけど。けれども、そんな戦術は私には通じません」
 黒い蝶は数を数倍に増やして十兵衛と朧の周囲を飛び回っていた。
「まるで稚戯のような術ね」
 朧の唇がやや尖るようになって、黒い蝶を一旋すると、おびただしく飛び回っていた蝶の群れは、ことごとく地に落ちた。
 敵手がこの黒い蝶で何をしようとしたのかが、東郷十兵衛にはワカラナカッタ。
「おそらく、寸時に、この地べたに落ちた黒蝶は私たちに一斉に襲いかかってきたでしょう。刀で振り払ってもヒラヒラとそれをかわし、私たちにほんの少し傷をつけたにチガイアリマセン」
 朧は地べたの蝶を一匹拾うと十兵衛にそれをみせた。
「極めて薄いdiamantです。羽根は鋭く、毒が仕込んであります。投擲されたものは避け易いのですが、浮遊するものは刀ではなかなか払い落とすことが出来ぬものです」
「ギヤマンか。なるほど、南蛮伴天連が渡屋を襲ったのも、それなりにワケがったということだな。キヤツラはギヤマンの価値を識っているということか」
「ええ、渡屋が大儲けしているということをね」
「で、わしらにはこれだけか」
 東郷十兵衛は懐から金子を取り出した。
「おカネが目的じゃナイんでしょ」
「それはそうだが、どうも銭というものは手にしてしまうと不思議とココロがゆれるものだの」
「お武家さんも人の子というコトですね。ところで、こんなところで油を売っている場合でもナイんで、旦那、ちょっと屈んでいただけますか」
「んっ」
「南蛮の賊の実体が何処に在るのか、探してみますから」
 東郷十兵衛、首を傾げながらも朧のいうとおりにした。蹲んだのではナイ。屈んだのだ。コノ態勢のチガイは、東郷十兵衛の武芸者としての枠を物語っている。屈むということは、低い姿勢にありながらすぐに攻守の何れにも身体を向けることが出来る。
 と、刹那、女忍びの身体が独楽のように足を軸に数回転した。上半身にある手は千手観音のようにみえた。朧は自らを回転させながら、何か投擲したようだが、十兵衛には投げられたモノが何だったのか判別つかなかった。

2019年7月18日 (木)

第十八回

 東郷十兵衛は渡屋からの守料を懐に、それを確かめるかのように握ってみたが、この仕事ほんらいは金子目当てではなかった。維新の世に自身の剣を如何にすべきか、剣とともにどう生き抜くべきか、戦国の時代より受け継がれてきた薩南示現流も自分の代で終わることは百も承知だったが、東郷十兵衛に去来するのはそのおもいだけだった。先祖がそうしたのと同様に百姓でもやっていればイイのかも知れないが、どうも当世はそのような気ままな暮らしすらゆるしてくれそうにナイ。とするならば、たしかあの伴天連幻魔術、四人は倒されたが四剣八槍と号していたからアト八人は残党が在るはず。これを機会として、我が示現流果てるまで、我、敗れるまで血にまみれてみるのも一興かも知れぬ。そんな物騒なこともココロの片隅にはあった。
 そんな東郷十兵衛のココロの声に応えたかのように、聞き慣れない声がした。
 それは抑揚や発音の奇妙さからして、この国の者の喋り方ではなかった。
「迂闊といえば、ウカツ。油断といえばユダンだった。維新とやらの端国ガ敷島にどのような武芸者、強者が遺っているノか、この国オ制圧するに如何ほどの戦力が必要か、researchのつもりが、四人もの同じ旗下の道士を失うとワ。何事も侮るべきではないな」
 東郷十兵衛ほどの使い手にも、その声がどの方向から発せられているのか判断が出来なかった。おそらくそれはその者の術にチガイはないのだが。
「伴天連幻魔術の異人の方かな」
 と、立ち止まった十兵衛は俯き加減のままいってみた。
 応えはなかったが、ここまで十兵衛を尾行してきたのなら、十兵衛にも気づかれなかったその気配の消し方はそうとうの術者でしか出来ぬものだ。しかし、東郷十兵衛は剣に手をかけようとはしない。もちろん、東郷十兵衛はすでにその身体を何処からやって来るやも知れぬ敵に対して構えてはいた。
 東郷十兵衛の気は静かに丹田におくられ呼吸は六十秒に4回の腹式呼吸になっていた。全身は脱力して、何処からのどのような攻撃にも反応出来る準備が整っていた。
 だが、おそらく伴天連幻魔術の異人もそれを察知しているにチガイナイ。
 従って両者のみえざる睨み合いが暫し続くことになったのだが、この張りつめた気の闘争を弾き飛ばすかのように一本のクナイが飛来した。
 それは何処かに向けて投げられた類のものではなく、あきらかに両者、東郷十兵衛とその敵手の気力の糸を切り落とすために投擲されたものとおもえた。十兵衛はクナイの投げ手がいるであろう方を一瞥した。不敵、とでもいうべきか微笑みを交えて女がひとり腕組みをしながら立っていた。それは異人ではナイ。また東郷十兵衛の敵でもナイようだ。それは十兵衛自身にも理解出来た。何故なら殺気がまるで向けられていなかったからだ。
 女人の姿格好から、市井の民ではナイことはすぐにワカッタ。黒装束ではなかったが、忍びの者らしい。一重の朱衣に白い腰帯。履物は特殊な足袋だ。いくら維新でさまざまな格好のひとがあちらこちらを闊歩しているとはいえ、新種の芸妓でもなければそんなcostumeはナイだろう。
「敵ではござらぬようだが、味方というふうでもなかろう。拙者か、それとも未だ姿をみせぬほうか、何れに御用か」 
「東郷十兵衛どのですね。不知火朧と申します。貴殿を追尾してきたのではありません。ご存知かも知れませんが、楠木右近と名乗る武芸者を追ってきたら、そちら方の争闘に巡り逢ってしまったという次第です。僣越とは存じますがお教えいたしましょう。貴殿を狙っている気配を消した敵は、貴殿の真下に在ります。」
 とはいえど、そこには東郷十兵衛の影が在るのみ、のようにみえた。
 が、
「なるほど、さすが忍び。おそらく其処許も同じ類の術をおつかいになるとみゆる。それゆえ、この、」
 と、十兵衛のコトバはそこまで。いままで十兵衛の影だったモノがするりと地面を蛇行して、そのまま垂直に立ち上がった。それから例のカタコトの和語だ。
「武芸者だけではなく、ニンジツとやらに多少は長けたものもこの国には未だ健在スルとミエル」
「ほっほっほ。伴天連幻魔術などとは洒落臭い。如何ほどのものか。ジポンには武士(もののふ)も、忍法も健在ぞ」
 朧の高笑いは邪悪な影を包み込むように、その姿なき者に浴びせられた。

2019年7月15日 (月)

港町memory 30

つらつらつれづれと書いていますが、原作は560ページの長編で持ち歩くのには不便な長編だったそうで、原作のレビューをサクサクと読みましたが、こりゃあ、尾崎将也脚本の大手柄なんじゃないかなと、圧倒的WOWOWドラマ勝利なんだなあと感じました。
脚本と戯曲はチガイマスが似たりよったりの部分もあります。ザックリcutする。スッキリcharacterを変える。なにしろ、テレビ(や、映画、舞台)は「目にみえます」から。永作博美、市原隼人、杉本哲太を相手に活字じゃかなわない。
戯曲を書くコツはなんですかと訊かれると/視覚的(みえるよう)なせりふを書きなさい/と応えますが、手品のタネを教えても手品が出来るとは限りません。と、いうか、「それって、どういうことですか」と問い返されます。で/観音さまというのは、音を観る菩薩です/といいますてえと、「亜スペルがーってこわいねえ。自分のこと菩薩だなんていってるよ」てな顔されます。
で、あらすじのつづきです。が、その前に、
/かつての恋人の弘志(市原隼人)が、弁護士の矢田部(田中哲司)に美紀のことを話し始める/
この部分は、おそらく原作ではさほど重視されていない(書き込まれていない)のではないかとおもわれます。法廷部分は緻密に書き込まれていて、退屈したとrevueがありましたが、で、尾崎さんはさほど書き込まれていない、love scene、このepisodeをみごとなplotに脚色したんだろうというのが、同業者としての私の推測。
美紀と弘志の束の間の幸福。これがとてもよろしゅうござんす。/不幸中の幸い以外に幸いなどというものはナイ/です。
/今度は警視庁に逮捕された美紀(永作博美)は、鳥飼(大倉孝二)の取り調べでも否認を続ける。逮捕の現場に居合わせた弁護士・矢田部(田中哲司)は美紀の弁護を名乗り出る。一方、この事件に興味を持ったテレビ局のディレクター・高井(甲本雅裕)と立花(藤本泉)は、過激な報道で美紀を追い詰めていく/
この辺りで、美紀の過去と、家事代行業をしていた先の独居老人の不審死が浮かび上がってくるのですが、それらはつまり偶然の連鎖でしかナイに関わらず、あろうことか、美紀自身が「自分と関わりのあったひとは不幸になるのではないか」という関係妄想を持ち始めます。これが眠狂四郎あたりがいうぶんにはカッコイイんですけど、美紀はそうはいかない。虚無なひとではありませんから。
ともかくあらすじを最後まで記しておきます。
/ついに美紀(永作博美)は、馬場(北村総一朗)の事件で起訴される。美紀に関わる老人たちの不審死が次々と明らかになる中、美紀を守るために弘志(市原隼人)が取った行動も裏目に出てしまい、報道は過熱する。美紀は何も語らず、ついに裁判が始まると、美紀の正体が徐々に暴かれていく/
ドラマでは弘志との出逢いも、弘志が美紀を信頼する根拠も、ネットカフェの急病人に対する美紀の緊急処置にありますが、たぶん、原作では、美紀に看護師資格などはなかったのではないかというのが、私のまたまた推測。なんでかというと、そういう職業経験は美紀にはカッコ良すぎてともかく/不幸なヒト=美紀/には不似合いになる。このへんは読み物と見せ物のチガイ。ビンボを徹底してビンボにすると、ドラマでは不幸を通り越してお笑い落語長屋になっちまいます。そこでドラマでは、不幸をテキトーにsaveして、美紀はアホではナイ。Communication能力は優れている。なのに、〈沈黙〉が支配する。という/謎/を追います。
美紀の沈黙も具体的にいうと/取り調べでも否認/なんですけど、美紀にとっては否認というよりも/ほんとうのこと/をボソっといっているに過ぎない。それは自分の人生に自信がナイから、に起因している。善かれとおもってヤッた家事代行で、雇い主が次々と不審死しているんですから。こうなるともう、サマリタン問題にマルキ・ド・サドの『ジュスティーヌ~あるいは美徳の不幸』(ただし渋澤龍彦、訳の初期稿)まで加算されてくる。しかし、ああ、それ、いいですねえ。永作さん主演で。それも観たいナ。
ともかくも視聴者の興味は(と、いうより脳裏の夜霧、いや過りですね、これはもう)「何故、彼女が黙っているのか」だけに収斂されていきます。と、同時にもう一つサマリタン問題としては、「この世間でナニかをスルということは、理由よりもアリバイのほうが必要なのではないか」という不安あるいは恐怖感のようなものがココロの底を這いずり始めます。自らが生きるために他人に何かスルということは、たとえそれが善行であっても、善行として成されるか(作用するか)どうかは〈関係の確率〉に決定される。とすると、/何もシナイ/のがイイのかって、そんなこと現実に出来そうにアリマセンから、私たちの存在というのは、サマリタン問題的に分析しちまうと、生きていくだけで〈悪〉に成ることがある。
と、ここで終わっちまったら、インテリの偽悪、絶望ドラマでしかアリマセン。
さあ、そこで、WOWOWドラマチームは賭けに出ます。美紀に沈黙を破らせるのです。
永作(山本美紀)博美にこういわせます。
「私にもし、罪があるのなら、希望を棄てたことだとおもいます」
こういうせりふは、よほどの勇気、覚悟、決意がナイと書けない。三流ドラマや似非劇作家、疑似脚本家ならともかく、こういうせりふはせりふ自体ではなく、ドラマであれば永作博美さんの演技を心底信頼しないと書けない。
ドラマは山本美紀の無罪で結審、永作(美紀)博美は、市川(弘志)隼人と、船で旅立つhappy endingになりますが、そのあたりは、なんとなく往年の日活アクション映画のラストシーンを彷彿とさせます。胸を撫で下ろすところです。
結語。つまり、サマリタン問題、善きサマリア人のたとえの答とは仁慈と憐みではなく、信仰義認でもなく、ヒジョーに単純ながら、「希望」だったということになります。原作レビューではラストシーンが/物足りなかった/拍子抜けした/呆気なかった/という落胆の傾向が多くみられます。ここも活字と動画の差です。
昨今、何が難しいかというと〈希望〉を語ることです。/希望/を書くことが最もアポリアな課題なのです。パンドラの函は底からぬけて、最後に残るはずだった〈希望〉が真っ先にどっかいっちゃったもんですから。
けれども〈希望〉を書かねばなりません。たとえどんなに絶望に侵されていても。どんなカッコワルイ生活をしていても、平気で希望が書けるようになったら、一流でんな。 

2019年7月14日 (日)

港町memory 29

さて、あらすじです。
/東京・赤羽で資産家の老人・馬場(北村総一朗)の変死体が発見され、赤羽所轄の刑事・伊室(杉本哲太)と西村(臼田あさ美)は警視庁の刑事・鳥飼(大倉孝二)とチームを組み捜査に当たる。すると、容疑者として家事代行業の女・山本美紀(永作博美)が浮上する/
この馬場さんは独居です。変死体というのは、椅子に坐ったまま(後ろから紐状のもので)首を締められて殺されていたからです。馬場さんは資産家ですが、それは殆ど不動産です。そこで、不動産屋の女が登場します。300万円の商談が成立して現金を手渡したが、それはみつかったのかと、逆に刑事(伊室と西村)に訊ねます。もちろんみつかっていません。これは大事な伏線だというくらいならミステリファンでなくてもわかります。
刑事二人は聞き込みで馬場さんの女関係から、昨今出入りしていた山本美紀の存在を知ります。しかし、これは家事代行業です。とはいえ、犯行当時(殺されたその日)出入りしていたのは彼女だけです。長男も現場に顔を出します。この長男が真犯人だということはミステリファンにはすぐにワカリマス。あまりに登場のタイミングが良すぎます。
ところが、どうしたって怪しいのは山本美紀です。捜査も彼女を対象に絞り込まれます。彼女は犯人なのか、そうでナイのか。ここで、この(一応)ミステリが、「Who done it = 誰が犯行を行ったか」に重点を置いているのなら、そちらに物語は傾斜していきますが、そうではナイ。むしろ物語の傾向(興味)は「Why done it=なぜおこなったか、犯行に至った動機の解明を重視」にベクトルを向けています。さらにこれは、次第に山本美紀が取調室や法廷で殆ど「語ろうとしない=沈黙」は何故かという「Why」になります。ここがこのドラマのstandard(立脚点・立ち位置)なところです。視聴者はそこに引きつけられていきます。サマリタン問題をmotif(あるいはtheme)にしている部分に該ることが、これまた次第にワカッテきます。
あらすじには書かれていませんが、時系列として、市川くんが港にいるところがintroductionです。

/赤羽署の刑事・伊室(杉本哲太)らは、目の前で埼玉県警に美紀(永作博美)を連行されたことで焦っていた。一方、埼玉県警の刑事・北島(菅原大吉)は美紀の事情聴取を始めるが、美紀は罪を認めない。そんな中、かつての恋人の弘志(市原隼人)が、弁護士の矢田部(田中哲司)に美紀のことを話し始める/
拘留には期限があります。美紀の黙秘と意味深なだけの自供(たとえば埼玉県警に述べた「貧乏は悪いことですか」赤羽署での供述「9万6千円のマンションを借りたのはガスの取り口が二つあったからです」など)からは得るところはありません。で釈放になるのです。しかしまた赤羽署でまた逮捕。このときに、家事手伝いだけでは不相応な高めのマンションを借りた(そのお金は馬場さんから借用している・・・これはちゃんと供述している)理由は、恋人の市川くんと交際が始まっていたからだとおもわれます。少なくともWOWOWドラマでは、そう解釈するしかナイ。
弁護士の矢田部はダメ弁に描かれていますが、原作ではそうではナイようです。しかし、テレビ・ドラマとしてはそのほうが、絵やcharacterとしてオモシロイ。小説には小説にあったcharacterの描き方があり、テレビ・ドラマにもそれなりの描き方がありますから、そういうところでの優劣はアリマセン。けれども、原作を先に読んでいたひとにはどうしても違和感が生じるでしょう。(こういうことがあるので、私、二つとも、というのはなるたけ避けています)
さて、視聴者にも、美紀の沈黙の理由の一つがワカッテきます。というか、美紀は沈黙(いわゆる黙秘権の行使)などはしていないのです。ほんとうのことをポツリポツリと語っているのですが、それでは彼女を犯人には出来ない。決定的にゲロを吐かさなければ、というのがケーサツですから。
ケーサツは取り調べのプロです。私もサツ廻りの新聞記者にいろいろと逸話を聞きましたが、たとえば、こういう尋問法もあります
ケ「〇時〇分、オマエはほんとうに〇〇にはいなかったんだな」
ヨ「いませんでした」
ケ「絶対にか」
ヨ「はいっ」
ケ「よし、これで犯人はオマエだということが確定出来た」
ヨ「ええっっっ」
引っ掛けなんですけどね、アリバイ崩しの一方法で、容疑者を錯綜、混乱させる手口です。
(まだつづきます)

港町memory 28

気になっている方もいるかも知れませんので、サマリタン問題(今後『善きサマリアンのたとえ』はこのように称することにします)にフリードリッヒ・ニーチェがどうサラっと応えているかを記しておきます。手元にtextがありませんから、これは超訳ならぬ超記憶訳になってしまいますが、ニーチェはだいたい次のようにいっています。「道端にヒトが倒れている。そこに通りかかって、そのヒトにどうしました、大丈夫ですかと声をかけたり、抱き起こしたりするのは人間の人間としての/アタリマエ/の営為であって、その営みには宗教上の信仰や道徳も教義、方針なども一切関与する余地などナイ。それをさも宗教上(キリスト教)の愛だの善意だの信義だの信仰の領域に引っ張り混むなどは狂気の沙汰だ」くらいのことは怒鳴り散らしていたと記憶しています。(あんまりサラっとはしてませんね。上方ぼやき漫才のようです。よって、これには私、大笑いしましたけど。哲学の書を読んで笑ったのはニーチェくらいでしょうか。しかし、ニーチェはここでタイセツなことも述べています。真にキリスト教徒はたったひとりだけだ。イエス・キリストがそうだ。つまりニーチェはキリスト教を全否定してなんかいないのです。ローマン・カトリックを唾棄しているのです)。

私自身は、このサマリタン問題を以前『画学生とパン屋の女子店員』のたとえで、このブログにあげたことがあるので繰り返しはしませんが、そのときの私自身の感想は、「情が仇」「善意の悪意」とでも要約してしまいましょうか、当人の意思とは裏腹に、誠意や思慕、努力や献身がまったく〈負〉の作用としての結果することが世間には数多あり、それは、なんらかの関係のあるものに対して〈関係の確率〉として必ず生じてしまうものだが、確率であるがために関係者の関与は極めて消極的に制限される。という一つの〈絶望〉的な悲哀でした。
しかし、佐々木老師原作のWOWOWドラマ『沈黙法廷』はミステリとは銘打っていますが、まったくミステリではなく、サマリタン問題の〈絶望〉に立ち向かって、〈希望〉を導き出しています。(まあ、多少の無理、コジツケ、力業に傾斜している部分がナイとはいえないんですが、虚構、小説としては私はそれでもヨイとかんがえます。まして、役者の演技がそれを凌駕しています)。

私なりの、あらすじを書いてみます。
従ってここからは、ネット語の「ネタバレ」とかいうものに相当しますから、先に作品を読みたい或いは観たい方はどうぞそうして下さい。けれども、私はこの「(ネタバレ注意)と書かれることもある」という掲示ものものあまり好まぬほうで、手品のタネをバラシても、その手品が出来るかというとそうでないのと同じだから、優れた作品ならば、そんなことは気にしないでイイとおもっています。名人の落語は何度でも聴くでしょう。私にしても、このドラマについてのみいえば、原作小説を先に呼んでいても、観たとおもいます。永作博美さんのファンですし、市原くんとは映画の仕事で親子を演じたことがあるので、というのが理由です。ふつうは、/どっちも/食べることは殆どしません。それについてはそういう機会があれば説明します。
あらすじは、/ドラマ「沈黙法廷」のあらすじ一覧 | ザテレビジョン(0000927957)/をsamplingします。(ネット検索の結果、これが最もうまくまとめてあった)
長くなってきましたね。では、いちおう、〈つづく〉にしておきましょう。

2019年7月12日 (金)

港町memory 27

佐々木譲さん原作のWOWOWドラマ『沈黙法廷』(永作博美・市川隼人、他)について、もちろんDVDでしか観ていないのですが(しかも最近)、これくらいのものが書けないと小説家とはいえないなあと、物書きとして、べつの道の劇作家のほうに逸れた自分にほっとしているところです。その理由を述べる前に、このドラマのthemeあるいは重要なmotifであろう「善きサマリア人のたとえ」について、長くクドクなりますが、記しておきます。なんしろ/亜スペルがー/だそうですので。
/善きサマリア人のたとえ(よきサマリアびとのたとえ、英語: Parable of the Good Samaritan)とは、新約聖書中のルカによる福音書10章25節から37節にある、イエス・キリストが語った隣人愛と永遠の命に関するたとえ話である。このたとえ話はルカによる福音書にのみ記されており、他の福音書には記されていない/(編纂者のローマ法王一世がのちのちの議論を嫌ったんでしょう。なんしろ、鶏三回のひとやからね)
「ある人がエルサレムからエリコへ下る道でおいはぎに襲われた。 おいはぎ達は服をはぎ取り金品を奪い、その上その人に大怪我をさせて置き去りにしてしまった。たまたま通りかかった祭司は、反対側を通り過ぎていった。同じように通りがかったレビ人も見て見ぬふりをした。しかしあるサマリア人は彼を見て憐れに思い、傷の手当をして自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き介抱してやった。翌日、そのサマリア人は銀貨2枚を宿屋の主人に渡して言った。/介抱してあげてください。もし足りなければ帰りに私が払います/— ルカによる福音書第10章第25~37節
このたとえ話は教派によって解釈が異なるが、主題についての解釈は大きく分けて二つある。
一つは、仁慈と憐みを必要とする者を誰彼問わず助けるように、愛するように命じられた教えであるとする解釈(正教会、カトリック教会ほか)。
もう一つは、ユダヤ教的律法主義・キリスト教的律法主義の自己義認の誤りを論破するためのたとえ話であって博愛慈善の教えではないとする解釈である。この解釈は「人は善行ではなく信仰によってのみ義とされる」信仰義認の立場をとるプロテスタントが採る。(もちろん、ウィキペディアからの丸写しだということは断っておくが、これはよくまとめられた文言だと私はおもう)二つめがなんだか難しそうなのは、簡単にいってしまうと、キリスト教というのはなんで信仰するのかというと、そらもう、死後、天国に行くためにですが、善行がそれ決めるのではなく、信仰それ自体がそれ決めるワケでんな。この辺りはムスリムとおんなじかんがえなんですけどね。そやから、狂信的でなくても、なんぼでも神さんのためになら自爆テロやってもええんです。テロでの人殺しはけして善行ではありませんが、信仰のほうがタイセツなんでござんす。
さて、もう一つ、私の浅学によると、あのニーチェは明言こそ避けているが、このサマリタン論議に関して『アンチ クリスト』でサラッと述べている。(超訳も出版されていますが、そんなに長編ではナイので、読むなら白水社のニーチェ全集あたりが良いかとおもいます。ニーチェの著作の中でも、標的がはっきりしているので面白いです。ほんとうに笑えます。感動もします)
さらにもう一つ、サマリタン論議に想を得た『person of interest』(放送チャンネル‎: ‎CBS 放送期間‎: ‎2011年9月22日 - 2016年6月21日)も、ある解釈といえなくもありません。
このサマリタン問題、まさに〈問題〉です。紛争沙汰になった事例もあります。ウィキ、丸写しさせていただきます。
/ある夏の夜の深夜に、日本にある自宅クリニック前の路上で急病人が発生した。クリニックの医師が診察したところ、上気道閉塞を疑われる所見で挿管は不可能と判断された。救急車を手配して、転送のため近所の大学の救急救命センターに電話中、患者は吸気のまま呼吸が停止し呼びかけにも反応がなくなった。(首が腫れた状態で、喉仏の隆起もなく、気管切開が困難な状態であったが、一刻の猶予も許されないまま、)緊急で気管切開を行い、気管切開自体は成功したが、血管を傷つけてしまい、出血多量で死亡した。その医師を待っていたのは、警察による業務上過失致死罪の容疑による取り調べであり、さらには、当夜、あれだけ「助けてください」とその医師にとりすがった患者の妻からの弁護士を介しての損害賠償請求の通知であった/(平沼高明「良きサマリア人法は必要か」週刊医学のあゆみ第170号pp953-955、1994年)
さらに
/日本国内の医師に対して行われたあるアンケート調査によると、「航空機の中で『お客様の中でお医者様はいらっしゃいませんか』というアナウンス(ドクターコール)を聞いたときに手を挙げるか?」という質問に対して、回答した医師全員が上記の緊急事務管理の規定と概念を知っていたにも関わらず、「手を挙げる」と答えたのは4割程度に留まり、過半数が「善きサマリア人の法」を新規立法することが必要だと答えたという。より最近のアンケート調査では、89%もの医師が医療過誤責任問題を重要視し、ドクターコールに応じたことのある医師の4人に1人が「次の機会には応じない」と答えている/
長くなりました。んでもって、これを土台にして、『沈黙法廷』がなぜ名作、逸品、秀逸かをゴチャゴチャいうことにします。(次回につづく)

第十七回

 渡屋は、柳生玄十郎、薩南示現流(後に東郷十兵衛と名前が判明)、羽秤亜十郎に金子一円銀貨を五枚包んだ。守り方の犠牲者は皮肉にも羽秤亜十郎を仕事に誘った帆裏藤兵衛ひとり、襲い方、敵手の伴天連幻魔術を用いる南蛮のものたちは四名が倒され、これを見届けた四剣八槍を名乗る生き残り四人は姿を消した。
 以上のことが一夜で起こった殺闘だった。
 すでに夜明けは終わっていた。守り方(用心棒なのだが、渡屋は彼らをそう呼んだ)にはそれ相応の礼の宴席が設けられたが、玄十郎は辞退して店をあとにした。東郷十兵衛も湯漬けをかき込むとその場を去った。羽秤亜十郎だけが湯飲み酒を呑みながらも肴には箸をつけようともせず、遺された帆裏藤兵衛の鬼包丁二刀をお手玉のように操っていた。
 番頭のハナシでは、その武器をわざわざ届けにきた着流しの武士があったという。おそらくは楠木右近だろう。すると、帆裏藤兵衛は相討ちになったか、倒された後、右近が南蛮盗賊のひとりを斬って棄てたか、だナ。と、羽秤はぼんやりした面持ちで湯飲みの酒に上等の酒を注いだ。五円か、安くはナイが高くもナイ。四剣八槍とかいっていたが、すると残りは逃げた四人とアト四人。まさか右近が彼らに遅れをとるとはおもえないが、面倒なことに巻き込まれないうちに右近、倒すべし。いや、残りの八人と少し遊んでみるのも一興かナ。そんなことも妄脳の中で思案していた。この男、とことん酔狂に尽きる。
 と、ふいに鬼包丁の一刀を何かに向かって投げたことに羽秤亜十郎は気付いた。投げてから、そこに気配を感じたのだ。
 いつの間に、いやそういう疑問はこの男に投げかけても無駄だ。無意識のうちに投げられた鬼包丁を受け止めたらしい右近の姿が在った。
「酔狂なのはオレだけではナイらしいな。ダンナもその口かい。朱鷺姫の財宝探しは暫しのお預けということかい」
「それを羽秤亜十郎の口から聞くとは、立場が逆だの。帆裏藤兵衛は、自身と似たような術中にあって倒された。意外におもえるが、そういった場に遭遇すると当事者にとっては最も苦手になる。相手は特殊な武器、これをグラスファイバーという。diamantの鞭のようなものだがそれを用いた。初見の敵で、この武器と対するのは無理だ」
「ところが、右近のダンナはそいつを斬った。つまり一見の敵手ではなかったということだナ。いったいあんたは、南蛮の伴天連幻魔術という奴らの兵法を識っているのか」
「何事もその場で察知することは出来る。それは、お主もご存知」
「ああ、そうか。そういや、いつぞやオレの長年の修行の技を数秒で会得しやがったナ。ともかくも藤兵衛はあの世行きか」
 亜十郎、湯飲みの酒を飲み干した。
「あの世はもう無い。終わった」
 いともたやすく右近がそう応えたので、羽秤亜十郎もさすがに首を傾げざるを得なかった。そうして半ば歪んだ口から、
「あの世が終わったというのは、どういうこった。まさか、禅問答じゃあるまい」
 右近は虚空ともいえる眼差しで羽秤亜十郎をみつめた。
「あの世からみれば、この世はあの世だ」
「ちぇっ、まったく禅問答じゃねえか」
それには応えず右近は鬼包丁を投げ返した。目視出来ぬ速さだったが、羽秤亜十郎、これを簡単に受け止めた。それどころか、くわえていた爪楊枝を吹いて飛ばした。長さ一寸ばかりの楊枝は右近の傍らの柱にめり込んだ。突き刺さったのではナイ。ほんの端部を残して深々と柱を貫かんとばかりに刺さっていた。こやつもさすが、天才肌だ。しかし、その瞬時に右近の姿は消えていた。
「宝は遠くなりにけりだな」
 亜十郎の繰り言だけが残った。

2019年7月 8日 (月)

港町memory 26

日本国憲法第十五条
/公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない/
選挙権が十八歳まで下げられて、ガッコのセンセイはまだ高校生の有選挙権者にたぶん「あなたたちにも日本の政治に参加する責任があるのよ」とか「責任をもって、候補者を選ぶように」とか訓示しているとおもいます。
でも、憲法によりますと、前述の如く、/選択に関し(つまり投票ですね)公的にも私的にも責任を問われない/ことになっています。「責任ある一票」というものは憲法においては存在しません。/公的にも/ですから、日本国民のひとりとして、でも/私的/ともありますから、大衆食堂で飯食っていようが、社員食堂でランチしていようが、ともかく「責任」を問われることはありません。
また、野党が国民に「あんたがたが、与党に投票するから政治はよくならないんだ」なんていったら、あきらかに憲法違反です。
ですから、自民公明はキライなんだけど、野党もなあ、とおもっているひとは、棄権するのではなく、適当なそのほかのひとに一票いれて、自民公明の票を減らせば、それでいいのです。ともかく棄権は損です。自民公明がおそらく〔勘違い〕するから。

老後、年金で生活は無理で、2000万円必要っ、でほんとに驚いているひとがこの敷島の国に存在しているというニュースがほんとうなら、私はそれに驚きます。
/そんなことも知らなかったのかっ/ですね。
私は老齢年金以外に年金基金にも加入していますが、それでも、なんやかんやと天引きされて、実際に給付されるのは月額7万円くらいです。
で、いよいよ生活出来なくなったら(ほんのすぐですが)、無銭飲食でもして、獄(ひとや)に入ろうとおもいます。無銭飲食は実刑ですから。銭で解決出来ません。刑期は短いですが、出てきたらまたやればいいのです。刑務所の規則正しい生活で、健康を保てばヨロシイ。かなり夏は暑く、冬は寒いですが、飯はタダですし、医療費も要りません。
もちろん、プランBもあります。Dくらいまであります。いろいろ試してみるつもりです。
幸いにして、生き残っている母親は、年金で充分な施設に入居出来ますし、在宅看護、在宅介護、往診、緩和ケアまで、一応手続きはしてありますから、そっちのほうは大丈夫でしょう。もう90歳ですから、適当にしてればイイんです。

聴覚過敏で苦しんでいたんですが、補聴器がうまく解決してくれました。好きなジャズも聴けます。よく出来たDVDも観られます。ほかに贅沢はありません。

ですが、アト一つやりたいことがあります(仕事関係は除く)。これは気長に、と、かんがえています。ですから歩けなくなるまでは踏ん張ります。
「まだ来ないの」と、壁紙の連中が待ち草臥れているようですが、すみません。生への執着というのではナイのです。逃れがたい好奇心でござんす。

さて、ハートランドかな。

2019年7月 5日 (金)

港町memory 25

老化、加齢、どう表現してもイイのですが、トシとると、カラダがいろいろと壊れてきます。「病む」といってもいいんですけど、やはり、年齢という重力から鑑みるに「壊れる」といういい方のほうが適しているようにおもわれます。
私のいまの通院を述べてみますと、週に二回の麻酔科(ペイン・クリニックによるブロック注射)、月に一回の内科定期診療(おもに本態制高血圧と健康診断)、同じく月に一回の皮膚科(末梢血管不良)、二ヶ月に一回の精神科(鬱疾患)、三ヶ月に一回の眼科定期検診、三ヶ月に一回の歯科定期検診。ですから、まあ、六十七歳としてはこんなもんでしょう。
べつに病気自慢をしようというのではありません。
いろいろと病院、医院、医療関係所を巡っていて、どうしても職業柄(なのか、単なる性癖なのか、アスペルガーなのか)、観るのが、ヒトです。どういうヒトかというと、三種類。医師、看護師、患者さん、です。
特に看護師さんは、新旧、大小、さまざまな医療機関において、どうも認識のされ方がチガッテいるということに次第に気がついてきました。
で、本日はそのハナシ。
いつものごとく資料はウィキペディアしかありませんので、その程度だとおもって頂いてよろしゅうござんす。
まず、いつからだったか、看護婦さんが、看護師になりました。これは正しいとおもいます。フェミニズムがどうの、女性差別がどうのという観点からではありません。だいたい私はそういうものを持ち合わせたことはありません。単純に基準だけをいっておけば、男性がfeministであるのは、アタリマエの前提だと考えている、これで充分。
さて、未だに根強く誤解、錯覚、マチガッテ認識されているのが、医師と看護師の関係ですネ。医療関係者ですら正確、正鵠に把握、認識していないところが多い。ですから我々一般人、庶民、大衆は未だに看護師さんのことを医師の助手のようなもんだと識知してしまっています。思い込んでいるということです。これは、大マチガイでござんす。
医師と看護師とでは、/業務/がまったくチガイマス。看護師の業務は「維持管理業務」といわれていまして、/病棟内外で患者の生命、活動、そして精神を〔維持〕することに関して誰よりも詳しいプロフェッショナル/(『病理医ヤンデルのおおまじめなひとりごと』市原真、大和書房)とありますから、そうなんでしょう。
医療関係者と書きましたが、当人の医師や看護師ですら、それ、知らないっ、というヒト多いとおもうなあ。
つまり、看護師というのは、演劇でいえば、舞台監督のようなものでしょうか。舞台監督ってナニよ。ナニよといわれても、煩雑なんですけど、大雑把にいえば『労働安全衛生関係法令』に基づいて、舞台公演における一切の業務の責任を持つひとです。
ワカリヤスクいってしまえば、公演体制に入ってしまえば、一番エライヒトです。演出家よりも劇作家よりも、producerよりもエライ。
と、こう書けば、看護師ってエライだとおわかり頂けるとおもいます。
まあ、なんですな、看護師をアゴで使っているような病院、医院、医師なんぞとは近づかないほうが身のためです。
とはいえ、看護師にも、いろいろありますが。中にはヤンキー看護師てのも存在します。私、一度入院した病院などは、新人の看護師さんが、点滴を四回ヤッても針が入らない。そこで、中堅どころにMaydayときた。ヤッてきたのはニューオリンズ、髪は金色、ガム噛んで、necklaceを片手でぶん回し、私の腕をまくるとすいすいっと無言で一発。こういう看護師に遭遇するのもオモシロイといえばそうなんですけど。
患者さんの中には、そういうのにいっぱい遭遇してきたのか、看護師さんを「おねえちゃん」と呼ぶヒトも、中にはいらっしゃいます。
幸いにして、私の通院している病院、医院は、いまのところ看護師さんに対してのストレスはありません。
ベテランの看護師さんになると、夜勤、救急などでは、若い研修医には救急車が到着するまでに、救急隊員からの情報から、ナニをどうすべきかをテキパキと伝えておきます。立派なものです。
旅公演で、一度ケンカになりそうだったのは、夜半、熱が出て、宿泊施設から救急病院にタクシーで行った(そうそう、東京だったな)ときのこと、ふつうなら朝まで待つんですが、公演中ですから、そうはいかない。で、行ったら、ただの風邪で、看護婦(その頃はそういう呼び方だった)がいうことには「夜は急患さんが多いし、医者の数が少ないんです。ただの風邪で利用しないで下さい」
そこで、「それは、当方の疾病、容態事情とはなんの関係もナイ、そっちの医療システムの問題で、夜、急患が多くて医師が少ないのなら、医師の数を増やせば何の問題もナイはずだ。私はいったいナンノ責任を問われている。何をあんたに責められているのだ」と、まあ、ここまでにしておいたんですけど、いまの看護師さんならこういいます「良かったですね、ただの風邪で。夜間は医師が少ないのでお待たせして申し訳ありません」まあ、飲食店のように「またどうぞ、ご贔屓に」とまではいわないでしょうけど。
ともあれ、私は患者さんにはあまり興味はナイので(というか、しんどい、苦しい、痛い、死にそうナヒトにsynchronizerしていると脳がもたない)医師と看護師さんの動向、表情、コトバには、かなりsynchronizer(この場合は同化でもイイですが)していきます。
とくに、私は朝一番に行くもんですから、看護師さんの普段着姿をちょくちょく観ます。これは「イカシテ」ますね。合コンにイチバン人気なのがnurseだというのもワカル気がします。とはいえ(とはいえが多いでしょ)やはり、働いているときの彼女たちがイチバンよろしい。(コスプレマニアではありません)。演劇の公演体制突入の、あの緊張感と同じものが漂っています。

2019年7月 3日 (水)

港町memory 24

/『無法松の一生』)は、岩下俊作の小説。福岡県小倉(現在の北九州市)を舞台に、荒くれ者の人力車夫・富島松五郎(通称無法松)と、よき友人となった矢先に急病死した陸軍大尉・吉岡の遺族(未亡人・良子と幼い息子・敏雄)との交流を描く。
1943年(昭和18年)に大映が『無法松の一生』の題名で映画化して以降、映画・テレビ・舞台で度々取り上げられ、後に作者本人が『無法松の一生』と改題した。/(ウィキペディアより抜粋。当方月々2500円のkampanijaでござんす)
私はこれをまず、貸本屋の貸本マンガで読んだのが最初です。(生涯でもっとも読書量の多い)小学生の頃でした。なんだか好みの作品で、何処が好きなんだか、よくワカラナイんですけど、何度も借りて読んでます。
で、次はテレビ・ドラマで配役が、富島松五郎:南原宏治、吉岡良子:南田洋子でした。
伊丹万作老師の脚本で、ベネチア映画祭大賞受賞作は、三船敏郎、高峰秀子さんのコンビでした。他にも多数の方々が映画や舞台で演じられておりますが、映画のほうは、三船敏郎、高峰秀子さんのコンビのorthodox standardだけは観ています。で、ドラマ自体はベタなドラマなんですけど、なんで私、このハナシが好きなんだろうとずっと不思議でした。ワカラナイけど、泣くんですナ。泣くんだけどワカラナイんです。
で、ご贔屓のFM番組『歌謡スクランブル』で中村美津子さんのデビュー30周年記念のアルバム、歌唱時間21分余の長編歌謡浪曲『無法松の恋 ~松五郎と吉岡夫人~』をいつものようにふっと聴いていたんですが、(この番組、不思議なことにふっと聴いた歌でインスパイアされることが多い)なるほど、無法松の恋で、~松五郎と吉岡夫人~というタイトルからして(えらく説明的でダサいタイトルだなあとはおもうんですけど、そのとおりの内容です)「ぼんぼんが~」とかなんとかよりも、そのふたりの「恋」に傾斜していってまして、松五郎が雪の中(雪の中は将棋の阪田三吉だったかな)で最後は死んでるワケですが、その亡骸に縋り付いて、良子夫人、自身の心情の本音を吐露する部分が入っています。(原作を読んだことがナイ、というより興味がナイので原作の表現は知りません。たぶんアルんでしょうけど)ここで、松五郎が自分(未亡人・良子)に恋をしていたことは充分に知っていたと告白するワケです。これはもうキリスト教的にいえば告解ですナ。しかし、時代が時代(いまと、そんなに変わらんのですが)だったんでしょう。人力車夫と軍人の未亡人の恋というのは、法規上は未亡人ですから問題はナイとしても、世間からすればこれはもう銃殺刑並みです。しかし、純愛なんです。矢島正雄老師の『人間交差点』に移行してもどうにもならないでしょうねえ。ともかく、この部分はこのドラマの中でのイチバンのdramatic、highlight、climaxでござんす。
ですから、幼少ではありましたが、そういうことはうすうすだか、ズキズキだか、感じながらマンガを読み、テレビ・ドラマを観て、映画も観たんでしょう。別に、無法松の松五郎の献身なんてどうでも良かったんです、私にしてみれば。この吉岡の奥さん、未亡人・良子の葛藤、表にはけして出さない葛藤を/愛と孤独/として、哀しみとして感じていたのだとおもいます。
私にとって/愛と孤独/というものは、そういうものなんだなあと、最近、少しずつワカッテきております。アスペルガーとしてはなかなかの奮闘でござんす。
〔愛と孤独〕は、人生の/疾病/です。疫病といってもイイ。
罹患すると、特効薬どころか対症療法もありません。致死率も高い。
とはいえ、治ってしまえば、後遺症はまったくありません。稀に、アルコールやドラッグに逃げるひともいますけど。銭に逃げるひともいます。異性交遊に逃げるひともいます。それらは後遺症ではなく、それはそれで、一つの疾病です。

では、ハートランドの時間になりました。
本日も私、仕事がナイんで、ビール飲んでは昼寝です(家飲みしかしないんですけど)。で、ときどき書いてます。
寝てる時間と書いてる時間だけは痛みと鬱から、逃げられますので。

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