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2019年6月21日 (金)

港町memory 19

長いが引用する。
/たとえ君が三千年生きるとしても、いや、三万年生きるとしても、記憶すべきはなんびとも現在生きている生涯以外の何ものをも失うことはないということ、またなんびともいま失おうとしている生涯以外の何ものをも生きることはない、ということである。したがって、もっとも長い一生ももっとも短い一生と同じことになる。なぜなら現在は万人にとって同じものであり、〔従って我々の失うものも同じである。〕ゆえに失われる時は瞬時にすぎぬように見える。何人も過去や未来を失うことはできない。自分の持っていないものを、どうして、奪われることがありえようか。であるからつぎの二つのことをおぼえていなくてはいけない。第一に、万物は永遠のむかしから同じカタチをなし、同じ周期を反復している。したがってこれを百年観ていようと、二百年観ていようと、無限にわたって観ていようと、なんのちがいもないということ。第二に、もっとも長命の者も、もっとも早死にする者も、失うものは同じであるということ。なぜならば人が失いうるものは現在だけなのである。というのは彼が持っているのはこれのみであり、なんびとも自分の持っていないものを失うことはできないからである。/(『自省録』マルクスアウレーリウス、神谷美恵子・訳)

私たちに在るのは現在だけです。
そこで、これ以上、自身の現在を失いたくないという心情や傾向から、私自身を失ってしまえばよいのではないのかという誘惑にかられます。
自死への招致とでもいえばいいのでしょうか。
私にとって、この誘惑や招致から積極的に逃避するすべは、好奇心というものだけです。

もういっちょ。
/エピクテートスがいったように「君は一つの死体をかついでいる小さな魂に過ぎない。」
(同前)

異議ナシ。
ただし、この死体の重いことといったらありゃしない。

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