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2019年6月18日 (火)

港町memory 17

ラジオから(テレビは無いので)、多くはニュース関連なのだけど、「東京オリンピック」というコトバが聞こえると、戦後派で戦中のことなど知らないはずなのに、官製用語(非常時、進め一億火の玉だ、贅沢は敵だ、八紘一宇、五族共和・・・まあ、なんでもイイんですけどね)と同じnuanceでそいつを聞いてる気分になるから不思議なもんですナ。
そんでもって、地震関連で「ともかく地震になったら命を守れっ」なんてことを朝のあいさつおはようさん、みたいに(そいつをややヒステリックにしたみたいに)アナウンサーが口にするから、このひとたちは/どこまで正気なのだろうか/と疑ってしまう。ここはいっそ「命を投げ出せっ」といわれたほうが、覚悟が決まるってもんです。誰だって命を守ることに一所懸命になるのはアタリマエです。それが命令一下でそうさせられるような、このmission、command、めいたコトバはなんなのだろう。このコトバは聞いているだけですが、書き言葉にすると、やはり「地震ニナッタラ命ヲ守レッ」とカタカナになってきます。
カタカナは軍用によく使われます。
かつては漢字しかなかった敷島の国でござんすが、(ですから万葉集だってみんな漢字)ひらかなの発明で、紫式部たちの文学も誕生しました。(色事も柔らかい)
そうして、カタカナの発明は上位下達の感触をもって存在することが多いんです。(なんでかなあ。たぶん、逆なんでしょうけどね。そういうふうに軍部が命令に多く使ったから、がマトモな解釈なんだろうけど)
それから、「ブロック塀」。バカの一つ覚えのように「ブロック塀に気をつけろ」。
うちの近所にも幾つかあります。今年亡くなった知人の画伯などは、病床で「うちのブロック塀は、まず、端っこの・・・」と、高さ1m未満の自宅のブロック塀のことを気にして、その対策まで講じてらっしゃいましたが。地震で倒壊するのはブロック塀だけみたいな様相ですナ。

いまの若いひとは(いや、私のような還暦を遠に過ぎたものにしても)みんな「猫」です。
『猫に未来はない』(長田 弘・作)という本もありますが、猫は前頭葉が小さい(のか、まったく無いのか)ので、だいたいが、その瞬間(現在)のことしか考えないのだということが生物学的にもいわれています。
いま、この世界において、だれが、未来や将来について真面目にかんがえることが出来ましょう。
とはいえ、目的がなければ生きていけないのもニンゲン。とりあえず、未来、将来は在るという、あくまで〈仮定〉のもとにそいつを考慮し、実際(ほんとうのところ)は、現在を実感で乗り切るしか手立てはナイようです。
「東京オリンピック」はパンドラの箱の底が抜けた世界では、まったく効き目のナイ呪文だとおもってます。「希望」は箱の底に在ったんですが、抜けちゃってんだからなあ。どこに落っこちたかなあ。
メーテルリンクの『青い鳥』のラストシーンは、たいていのひとが誤解してるか錯覚していすが、/青い鳥がいなくなるところで〈終わり〉/ます。

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