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2019年5月 7日 (火)

港町memory 9

つづきです。
それでおわかりかとおもいますが、光速度の列車のすれ違いも、巨大ハサミの支点近くと刃先の距離のチガイも、どれだけチガイがあっても、どちらも0hour(時間が非在)なもんですから、何㎞動いても速度は光速度より速くなることはアリマセン。
ずいぶんと「ウラシマ効果(ウラシマparadoxとも称されます)」を単純化して解説しました。つまりは加速度重力という量子力学の成せることだという解説でした。ただし、光速に出来るロケットはありません。ここではあくまで解説を単純化するために光速にしましたが、ロケットの速度を0hourにすることはいまのところ不可能です。(これはこれで、理由はありますが、今回は省きます)。
ところで、時間が無い(非在)なんですから/加齢しない/、というのはアタリマエのことです。
ところで、便宜上でも時間の存在するニュートン力学世界の私たちは加齢します。老化します。老齢化します。齢とります。そんでもって死にます。それは何故でしょうか。何故でしょうてなふうに考えることはありません。決まり事ですから。しかし、これってホントウはずいぶんと難儀な問題なんです。
簡単にいってしまえば、ニュートン力学の世界に存在しているのだから、仕方ないじゃないかということになりますが、では、何故、私たちはニュートン力学の世界に存在しているのでしょう。私たちだって、分子、原子、量子と、微細にしていけば、私たちの実体を構成している最小単位は量子です。量子で創られているものが、何故、ニュートン世界に在って、時間という便宜上の概念のママに加齢していくのでしょうか。何故、私たちの構成最小単位が量子であるのに、私たちの世界はニュートン力学に支配されているのでしょうか。
量子力学は、現存の私たちから考えると常識を逸していることばかりです。しかしながら、非常識なのは、このニュートン力学の世界のほうであって、ほんとうの世界(自然界)は量子力学のほうです。つまり、/何故、ニュートン力学の世界が生じてしまったのか/のほうが謎であり、そう問うたほうがほんとうの疑問なのです。
人類は問いかけています。
前衛の物理学者は問いかけています。
〔時間〕に対しての問いかけです。けして物理量ではナイのに、厳として存在しているようにふるまっている、〔時間〕という支配者。この支配者の世界、『時間の国のアリス』そのアリスがおそらく私たちです。
量子もまた生成消滅します。宮澤賢治が綴った『春と修羅』の序ではその辺りの様相が詩的に表現されています。
/わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)/
シュレーディンガーの猫という思考実験で有名なシュレーディンガーは量子の運動を求める〔波動方程式〕を完成させましたが、「確率」という壁に阻まれ、量子力学から手を引きました。現に〔波動方程式〕だけでは、量子の運動は求めることは出来ません。シュレーディンガーもまた、ニュートン力学のひとでしたから、立場としてはアインシュタインと同じです。しかし、シュレーディンガーは将来は量子と生命の探求が必要となるだろうと言及しました。これが分子生物学という分野をうみだしました。
アインシュタインは、コペンハーゲン派のボーアと論争(「確率」というものの存在について議論)して、その時点ではボーアの論理に屈しましたが、現在ではボーアの「相補性(あるときは波であり、あるときは粒である)」という量子の定義は否定されています。もっとも新しい量子の定義は/波動でも粒子でもある、なんだかワカラナイもの/というものです。
ということはですね、私たちの実体は/なんだかワカラナイもの/だということです。

もう少し、つづけたいとおもいます。


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