第十回
玄十郎、抜刀すると下段に構えた。柳生新陰流では、初見の相手に対しては正眼はとらない。まず下段に構えて空きだらけの姿をみせる。とはいえ、ここからの後の先はアタリマエのことで、まず、相手の力量を計ろうというのだ。
黒装束が後ずさりした。玄十郎の強さを見抜いたにチガイナイ。このものには、幻術は効かぬかも知れぬ、と、そう感受したのだ。玄十郎の腕前はワカッタらしい。
ならば仕掛けてみるか。玄十郎の刃が切っ先を変えて逆袈裟に黒装束を斬った。が、斬れたのは装束だけ。中身のほうは消えている。すかさず玄十郎の小柄が闇に飛んだ。
「ウッ」という呻き声が聞こえた。本体、実体はそこに潜んでいる。そう心得て玄十郎、さらにその方向に進んだが、ここで、屋敷のほうから主人だか、泊まりの者だかの声がした。
玄十郎は一間を逆に飛んで、屋敷に向かう。余り人は出番終了とばかりに逃走。
「あの男、すこぶる出来るナ」
帆裏藤兵衛が今度は玄十郎に感心している。
「柳生だな。しかも、あの剣筋は尾張柳生だ。驚いたな、尾張柳生がいまの時代にも生き残っていたとは」
羽秤亜十郎は面白そうに顎を撫でる。
玄十郎が店の主の閨に駆けつけると、互いに抱き合う主夫婦の前に黒装束がひとり立っている。こちらは蔵の鍵を盗もうとしたのかも知れぬ。
その黒装束、立ったまま動こうとしない。いや、動けないようなのだ。そのワケは玄十郎、すぐに解した。黒装束の前に雇われの余り人がひとり、抜刀して立っている。およそ二尺七寸の太刀はその侍の右上段に構えられている。いわゆるトンボだ。
「ほほう、薩南示現流か」
と、玄十郎が呟いた。
余り人の中にも使い手がまだいたらしい。
おそらく黒装束が微動だに出来ぬのは、動けば、示現流の初太刀が待っているからだ。
「おい、示現流氏、その黒装束、斬っても中身はござらんぞ」
と、玄十郎、そういったが、
「わかっておりもうす。拙者が斬ろうとしているのは目前の装束に非ず、その実体でごわす」
薩南示現流の初太刀が振り降ろされたのは、黒装束の後ろの襖だった。
グェッという声がして両断された襖からのめり倒れてきた者の頭蓋は石榴のごとく砕けていた。
「おみごとっ」
と、玄十郎。
そのときだ。外が闇夜だというのに突然真っ赤に輝き出した。
慌てて障子を開け放つと庭が紅蓮に燃えている。
「かっ、火事だっ」
と、声をあげたのは、店の主。二人の武士も一歩退いた。
紅蓮の炎の中に、いまひとり黒装束が立っている。
「少々、ニホンのサムライを侮った。なるほど、明治の世に剣客は在るのだナ」
いって黒装束の姿は消えた。
と、紅蓮の炎もすっと消え失せ、みえるのは庭石と池と松の木の普通の日本庭園。玄十郎と示現流、同時に庭に飛び下りたが、もはや賊の気配はナイ。

